いつでも君を
シェリーの屋敷から、アランは一人で歩いていた。
とにかく、今は一人になりたかった。
シェリーを困らせてしまうとわかっていた。
だが、気持ちを伝えないままでいれば、彼女が自分のことを友人以上に意識することもない。
そのことに気付いてしまってからは気が気ではなかった。
社交界シーズンがはじまれば、彼女の存在を知った数多の男達が求婚するだろう。他の誰かに奪われてしまう前に、彼女が少しでもアランを意識してくれれば……。
後悔はしていないつもりだったが、あれこれ考え始めると止まらなくなってしまう。
「そうさ、後悔してない。いや、でもやっぱり早まったかな……」
アランはぶつぶつと呟きながら、途方もないことばかり考えていた。
「アラン」
ハッと驚いて顔を上げると、そこにはナタリーが立っていた。
「ナタリー、こんな所でどうしたの?」
ナタリーは息を切らして、なぜか少し怒ったような顔をしている。
「貴方の所に行くつもりだったの、今日はこれで二回目よ。貴方はどうせシェリーの所に行ってたのでしょう」
約束なんてしていただろうかと、アランは少し不安に思ったが、おそらく何もなかったはず。しかし、二度も屋敷に来て不在だったというのは申し訳なく思った。
ごめん、アランがそう呟く前に、ナタリーはすごい剣幕で詰め寄った。
「……私には?」
ドスのきいた低い声。ナタリーがここまで怒るのは珍しい。あまりの迫力にアランは怯んでいたが、ナタリーの勢いは止まらない。
「私には、いつ言うつもりだったのよ……?」
ナタリーはそう言って、その場に泣き崩れてしまった。この状態は既視感がある。アランが不良になってしまったと誤解した時だ。
「……待って、泣かないでナタリー。永遠の別れじゃないんだよ」
アランの屋敷で聞いたのか、どこかで噂を聞いたのか。ナタリーにはいずれ自分の口から伝えたかったのに、どこから漏れてしまったのだろう。アランはナタリーに寄り添うように肩を抱いた。
「でも……すぐに戻ってくる気もないんでしょう?」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、ナタリーは子どもみたいに声をあげて泣いている。こんな風に激しく感情を露わにして怒ったり泣いたりするナタリーを見たのは数えられるくらいしかなかった。
子どもの頃からずっと、ナタリーは強くて賢い女の子だった。プライドが高くて、人前では滅多に泣かない、ナタリーが脇目も振らずに泣きじゃくっている。
「……ナタリー、君に泣かれるのは辛いよ」
ナタリーをそっと抱き寄せると、アランは小さな背中をさすった。
子どもの頃、些細なことで泣いているアランを、ナタリーは"くよくよしない!"と強く厳しい声で叱った。背中をさすってくれる小さな手は温かくて、その不器用な優しさにいつも励まされていた。
思えば、シェリーの前では泣かないようにしていたアランだったが、ナタリーの前では平気で泣き顔も晒していた。
今も昔も、素直な自分で居させてくれたのはナタリーだった。
「……ナタリーにはもう少し後に言おうと思っていた。だって決心が鈍るだろ、別れは辛い」
ナタリーに伝えるのには勇気が必要だった。せっかく再会できたことを喜んでくれたのに、またあ離れてしまうのは辛い。
「また手紙を書くよ、だから返事をちょうだい。君がマメじゃないことは知ってるから……そうだな、五回に一度の返事でいいから」
寄宿学校時代も、アランはナタリーによく手紙を書いていた。途中からは、"あんな現場を見られてしまったけれど、自分は変わっていない"という弁明も兼ねていたが、彼女に聞いてほしい話が沢山あったからだ。
何か楽しいことがあったとき、誰よりも一緒に楽しんでくれると知っているから。決断に迷ったとき、どんな時も背中を押してくれるのを知ってるから。
彼女が返事をくれるのは、大袈裟ではなく五回に一回くらい。最初は返事を待っていたが、途中からは言いたいことや聞きたいことを一方的に送ることにしていた。
「書くわ、毎回返事を書く。私からだって手紙を出す」
マメじゃない、と言ったことが気に障ったのか、ナタリーはキッとアランをキッと睨んだ。
「……どうして私が返事を書くのが遅いか、わかる?」
ナタリーはアランに訊ねた。アランは、少し考える素振りをして首を横に振った。
ナタリーは答えにピンとこないアランを見ると、諦めたように微笑みながら、またポツリポツリと話し始めた。
「貴方から手紙を貰えるのがどんなに嬉しかったか……一行考えるのも必死だったの。何時間も考えて、それでも納得がいかなくて、何度も書き直したこともあった」
「ごめんよ、そんなに負担だったなんて……」
ナタリーが大きく首を横に振った。
「そうじゃないの! …… 負担だなんて思ったことは一度もない。アランから手紙が届く度に、死ぬほど嬉しかったわ。それに、私は手紙を書くのも大好き。でも、貴方に何か書こうとすると、どうしても上手くいかないの……」
ナタリーの大きな瞳から、また新しい涙がはらはらと零れ落ちた。
「……それは貴方に少しでも、私を好きになってほしいから」
「ナタリーのこと大好きだよ、嫌いなることなんてない。だって、君は大切な……」
アランはハッとして口をつぐんだ。ナタリーの気持ちにようやく気が付いたからだ。
「アラン、貴方のシェリーに対する気持ちは知ってるわ。それに、私もシェリーが大好き。でも……」
ナタリーはふっと笑った。
「貴方の一番になりたかったの、アラン」
「ナタリー……」
ナタリーからの手紙はいつも温かった。彼女を知らない人がその手紙を読んだら素っ気ないと思うような文章も、彼女のさっぱりとした人柄を表すようで嬉しかったのを覚えている。
どうして、これまで気が付かなかったのだろう、こんなに近くで思ってくれていたのに。
「……そうだ、ナタリー。これを持っていてくれないか」
アランはそう言って、胸のポケットから古めかしい懐中時計を取り出した。
「これは大切なものでしょう……受け取れないわ」
「ああ、すこく大切なものだ。だから君に持っていてほしい」
それは寄宿学校時代の恩師から貰ったもので、彼にとってお守りみたいなものだった。蓋には異国の花の模様が精巧に彫られている。
「これはね、ある旅人が故郷に残してきた友人へのお土産に特別に作らせたものらしい。旅した国で一番美しい花をその度に描き留めて、故郷へ戻る前に職人に彫ってもらったんだって」
「……素敵なお話ね」
「俺の恩師もその話を気に入って購入したらしい。で、自分が旅に出る前に譲ってくれたんだ。君を導いてくれるお守りだ、って」
アランはナタリーの小さな手に、その懐中時計をしっかりと握らせた。
「今度は君に持っていてほしい。それで、僕が戻ってきた時に……そうだな、絵心がないから不安だけど、また新しい時計を贈らせてよ」
ナタリーは愛おしむように懐中時計をそっとなぞった。
「ありがとう、大切に持っているわ。私も貴方に何か……何もないわ。うう……」
ナタリーはそう言ってポケットを探ると、また泣き出してしまった。
顔をくしゃくしゃにして心のままに感情を出すナタリーは新鮮で、アランは思わず声を出して笑ってしまった。
「ナタリー泣かないで、笑ってよ。君の笑った顔が好きなんだ」
アランはナタリーの頬を両手でしっかりと包み、流れる涙を拭った。
「それに、君が泣くと……俺も泣きそうになる」
この町に戻るまで、自分が泣き虫だったことも忘れていたくらいだったのに。
ナタリーの涙につられて、思わず目頭が熱くなった。
ナタリーが小さく腕を広げた。それに応えるように、アランはナタリーを強く抱き締めた。
ナタリーの解けかたリボンに気付いたアランは、結び直そうとしてあることを思いついた。
「……そうだ、このリボンをくれないか?」
「いいけど、こんもなものじゃ……」
ナタリーは怪訝な顔をしている。懐中時計と髪飾りのリボンではあまりに釣り合わないと思っているようだ。
鮮やかな夏空を移したような真っ青なリボンだ。カラッとしたナタリーの笑顔によく似ている。
「旅行鞄に結んでいくよ。これを見ればいつでもナタリーの顔が浮かぶ。"くよくよしない!"って、励ます声が聞こえてきそうだよ、最強のお守りだ」
アランはそう言って、そのリボンにそっと口付けた。
「ナタリー、ありがとう。いつでも君を思ってる」
「私もよ、アラン。今度はすぐに手紙を書くから」
ナタリーは溢れる涙が溢れないように、さっと上を向いた。
「君からの手紙はどんな言葉でもうれしい」
二人はもう一度だけ、お互いを強く抱き締めた。




