笑っていてほしい
ーーどんなに遠くからでも、彼女のことはすぐに見つけられる。
散々探し回ってようやく見つけたシェリーを見つけた時は膝から崩れ落ちそうなほど安心した。足早に彼女に近付く。文句の一つでも言ってやりたい気分だったが、彼女の様子がどこかおかしい。
シェリーは長椅子にぼんやりと腰掛けていた。手元のダンスカードにはびっしりと名前が書かれている。ずっと何年先の約束まで埋まっていそうなくらいだ。
見ると良く名の知れた男性の名前もある。これはなかなか好調なスタートといえるだろう。
「……疲れてしまいました?」
「ええ、少しね」
シェリーは力なく笑った。その顔には見覚えがあった。体調が悪いのに、なんでもないと誤魔化すとき。悲しいことがあったときに、悟られまいと過ごすとき……。
「何かあったんですか?」
「……何も、平気よ」
平気じゃない。だが、無理に聞こうとしたところでシェリーはきっと答えない。自然と話してくれるのを待つ方が賢明だった。
「……お嬢様、ダンスの際に気に入らないからと言って人を蹴ってはいけませんよ」
「……見てたの?」
ふふっと、シェリーが思い出し笑いをした。つられてリチャードも笑ってしまう。
少しだが、シェリーの顔が晴れたようだ。
「ええ、もちろんですよ。ずーっと見てました」
「見られてないと、思ったのに」
シェリーはそう言ってテーブルの上のグラスをとった。鮮やかなフルーツがごろごろと入ったフルーツパンチだった。見た目は美しいが、これにはかなり強いアルコールが入っている。
どうして知っているのかというと、シェリーのダンスを見ていたら女性が丁寧に持って来てくれたのだ。胸元の大きく開いたドレスを来て、彼女も完全に出来上がっていた。
貴方にも分けてあげる、と手渡されて飲んでみると喉が焼けるほど熱かった。
「お嬢様、これはお酒ですから……」
リチャードはシェリーが口をつける前に止めようと、自身の手の平でグラスを覆った。
タイミング良く、彼女のしっとりとした唇が手の甲に当たる。
リチャードは思わずドキッとしてしまった。ぐっと口を噤むと、シェリーが上目遣いでこちらを見つめた。
「……っ! 林檎ジュースにしてください……!」
「……なによ、これにもりんごは入ってます!」
いつもより、ほんの少し低い声。それからこの意味わからない返事……。
(まさか……)
リチャードは、嫌な予感がして頭を抱えた。
「お嬢様、まさかとは思いますが、これもう飲みました?」
予感は的中していそうだ。最初は部屋の暑さのせいで火照っているのかとも思ったが、頬がほんのり赤く、瞳も潤んでいるし。話し方もいつも以上にふにゃふにゃだ。
「美味しかったわ。お酒なんて、一滴も入ってないわよ。ずーっとこればっかり飲んでるんだから、本当です」
シェリーが小さく手招きした。耳を貸して、と言いたいらしい。仕方なく、彼女の口元に耳を寄せる。少し熱っぽい息が耳にかかってくすぐったい。それを我慢すると、彼女は少し黙ってから、大切な秘密を打ち明けるように囁いた。
「レモネードより、す、き。……うふ」
「う、うふ……?」
唐突に引き合いに出されたレモネードについて、リチャードは首を傾げた。相当に酔いが回っているのは確かなようだ。
「帰りましょう、お嬢様」
体を支えようとほっそりとした腕に触れると、身を捩って避けられてしまった。
今までになかった避けられように、リチャードは動揺し深く傷付いたが、どうにか平静を装った。
「……どうかしました?」
「どうせ、また私のことを子どもだと思ってるんでしょう。いやよ、私は帰らないわ」
彼女の目は完全に据わっている。
「はい?」
シェリーは少し黙ると、唇をきゅっと噛み締めた。泣き出しそうになるのを堪えているようにも見える。
シェリーは再びふらふらと歩き出した。このままだと外に向かっている。
リチャードは周囲を慎重に見回した。この状況に気付いている人間はいないようだった。
コールドウェル家の御令嬢が乱痴気騒ぎ、だとかなんとかと騒ぎ立てられては困る。それは少し大袈裟だったかもしれないが、少しのことでもここにいる人たちにとっては格好の大事件になるのだから。
「待ってください」
外に出たところで再び声を掛けると、シェリーはようやく立ち止まってくれた。
さっきの避けられてしまったショックはしばらく忘れられそうにないが、リチャードは再び彼女の細い手首を掴んだ。
離してよ、とシェリーは言ったが、今度は振り払うこともしなかった。
リチャードは一歩近付くと、彼女の華奢な肩に触れた。小さな子どもに言って聞かせるように、しっかりと目線を合わせる。エメラルド色の瞳が涙で揺れていた。
決して子ども扱いしてる訳ではないと思っている。ただ、大切に守りたいと思っているうちにこうなってしまう。
「……お嬢様を子どもだなんて思っていません。今日だって、立派に乗り切ったじゃありませんか」
シェリーの目から涙が零れ落ちる前に、リチャードはそっと指で拭った。
「私には他の誰より、貴方が一番輝いて見えました」
たった今の状況は別として、とリチャードは心の中で付け加えた。
「……本当?」
「私が嘘をついたことありますか?」
そう言うと、シェリーは照れたように俯いた。長い睫毛が涙で濡れている。
どうやら暴走は収まったようだ、リチャードはほっと息を吐いた。
「さあ、私と帰りましょう。こんな状態のレディを放っておけませんから」
リチャードが恭しく右手を差し出した。
シェリーが観念して差し出されたその手を取ると、慣れた手つきで引き寄せられた。
そして、リチャードの上着でしっかりと体を巻かれてしまう。夜風が冷たいとは思っていたが、この巻き方は少し乱暴なような気がする。これはレディに対する優しさではなく、どちらと言えば冬の日に子どもを毛布で包むような扱いで、シェリーはまた呆れたように空を仰いだ。
「……なんだか上手く丸め込まれちゃったわ」
まだ少し、ふわふわとしている。
リチャードが転ばないように体を支えてくれているので、シェリーもそれに甘えることにした。
彼の上着からは、当然だが彼の香りがしていた。石鹸みたいな清潔感があって、落ち着く香り。
彼の体温がまだ仄かに残るその上着を、シェリーは落とさないようにぎゅっと抱き締めたいた。




