二人は友だち?
リチャードが隣の女性に声を掛けられている隙に、シェリーはそっと舞踏室から抜け出した。
ずっと踊り続けてくたくただった。近くの令嬢たちと同じように足を曲げたり伸ばしたりしながら長椅子に腰掛けていると、アランが冷えたレモネードを手にやって来た。
「シェリー、良かったら一緒に休まない?」
「アラン……! さっきはごめんね。リチャード、誰かと間違えていたみたいで……」
「いいんだよ、人が大勢いるからね」
どんな女の子かと期待して振り返った先に、誰もいなかったあの瞬間を思い出すと、実は腹が立って仕方がない。だが、アランは精一杯のふんわりとした笑顔を作って見せた。
「ところでリチャードは?」
「さっきまでそこにいたんだけど……」
彼女が指差す方向に、リチャードの姿はない。辺りを見回しても、それらしき姿はなかった。
胸元を大きく開けた女性はどうやら熱心にリチャードを誘っているようだった。
(何かしら、このざわざわした感じ……)
上手く言葉にできないが、あの女性といるリチャードを見た時にすごく嫌な気持ちになった。
シェリーはその嫌な気持ちを振り払うように、アランから受け取ったレモネードを一口啜った。蜂蜜の甘い香りと、レモンの皮のほのかな苦味で頭がすっきりする。そこの方は少し凍ってシャーベット状になっていた。
「これ、すごく美味しいわね」
シェリーは後からくる酸っぱさにきゅっと顔を顰めた。それを見たアランも同じような顔をして頷いた。
「シェリーはそれ好きだと思った。林檎ジュースと迷ったんだよ」
「好き、ありがとう」
そうシェリーが答えると、アランも嬉しそうに笑った。
シェリーの好きなものなら何でも知っているつもりだ、嫌いなものも、全部。
「ところで、いいお相手は見つかりそう?」
この社交界シーズン中に結婚相手を探そうとリチャードが張り切っている……シェリはそのことを思い出してまた少し憂鬱な気持ちになった。
「ダンスに夢中でそれどころじゃなかったわ。やっぱりね、貴方が上手だったから上手く踊れたのよ。さっきの方は大丈夫だったかしら、脛に痣が出来ていないといいけど……」
シェリーに蹴られた脛を摩りながら、その場に倒れ込んでしまった青年のことを思い出すと、また気の毒に思えた。
「アランはどうだった? 女の子たちの方が貴方を放っておかないんじゃない?」
「そんなことないよ。……そうだ、少し夜風に当たらない? そこのテラスならリチャードにも叱られないよ」
舞踏室のテラスはグレーゾーンだ。人目を避けることはできるけれど、完全に二人きりになる訳でない。最初にこのルールを作った人とは天才だと、アランは感謝した。
「ええ、そうね」
シェリーの手をとり、共犯者めいた笑みを浮かべてテラスへと向かう。
「風が気持ちいいわ、星も綺麗ね」
月明かりのない夜空に、無数の星が散らばっている。遠く聞こえる室内の音楽が、余計にこの密やかで甘美なムードを盛り上げていた。
シェリーの頬はほのかに上気していた。少し潤んだ瞳に、赤く濡れたような唇。丁寧に纏めた髪が僅かに乱れ、白い頸に掛かっていた。
社交界デビューすれば、当然多くの人と関わることになるだろう。そうすれば、自分だけのシェリーではなくなってしまう。
シェリーは魅力的な女性だ、そして彼女の内面の優しさを知れば尚のこと、世の男性が放っておくはずがない。
(他の誰かに奪われてしまう前に、それは今しかない)
アランはとうとう、覚悟を決めた。
「……シェリー、僕じゃだめかな」
シェリーはきょとんとした表情でアランを見つめている。
「君の結婚相手に、僕は相応しくないかな?」
シェリーも手にそっと触れる。
「アラン、あの……」
シェリーは突然のことに戸惑っていた。アランが何を言い出したのか、瞬時に理解することが出来ずにいた。何か答えなくてはいけないとわかっているのに、上手く言葉が出てこない。
冗談よね、と口には出せないが、頭の中では何度も思っていた。
アランはいつになく真剣な眼差しでシェリーを見つめている。目を逸らすことも答えになってしまいそうで、シェリーも真っ直ぐに見つめ返した。彼を傷付けることはしたくない。
ーー私たちはずっと友だちだった、はずなのに。
「君を愛してる」
二人の関係は、今夜はっきりと変わってしまった。
アランのことは大好きで愛しているけれど、それはナタリーのことを思う気持ちと同じだった。それが彼の求めている"愛している"という言葉の重さとは違うことも、シェリーは理解している。
「返事は待つよ。……でも、あんまり長くは待てないかも。君の気持ちを早く知りたい」
アランは固まったまま動けないシェリーの頬に優しく触れると、唇に触れるか触れないかほどの場所にそっとキスをした。
隣では若い男女が体をぴったりと寄せ合って、遠く聞こえる音楽に合わせて体を揺らしている。
残されたシェリーは一人、その場にただ立ち尽くすばかりだった。




