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一番の価値は

作者: 彩条あきら

 俺の名は夜藩一番(よはん ふぁーすと)。聖ウェルテル大学の三年生で、れっきとした日本人。

 『一番』と書いて『ふぁーすと』と読ませる……俗に言うキラキラネームだ。笑いたい奴は笑えばいい。


 実際、俺は名前負けはしていない。大学では一番……首席に選ばれている。あらゆる学問を納めた秀才……みんなが俺をそう呼ぶ。だがそれは、俺にとって何の価値もない評価だ。



 俺には友達がいない。恋人がいない。作り方さえ知らない。

 皆が俺を祝福し、称賛する。一方で、心の弱さを吐露したり、寄り添ったりする相手は誰も居ない。中身が空っぽでやかましい、有象無象には友達とか恋人がいるのに、俺にはいない。俺に集まってくる賛辞など、空虚なものだ。

 だがもう手遅れだった。他の生き方を俺は知らない。今更やり直せない。


 ある日、俺は唐突に虚無感に見舞われた。自宅の天井からロープをつり下げ、先端に作った輪っかに頭を潜らせる。短かった人生に別れを告げようとした。その時だった。



「こんにちは。私『メフィスト神害保険』から派遣されました、営業担当の外典(げてん)と申します」



 セールスマンの様な格好をした男が、そう言って突然部屋に現れた。

 俺は足を踏み外し、立っていた椅子から転げ落ちそうになる。頸部にかかった重量から俺は咄嗟に逃れようとした。



「大丈夫ですか、お客様。今死なれては困るんです……物騒なものは処分しましょう」

 男が、パチンと指を鳴らした――天井から釣り下げられていたロープがたちまち炎上、塵になって消えた。

 俺は床に落下して激しく尻餅を突く。痛みさえも忘れて、得体の知れないその男に俺は問いかける。



「お前、誰だ。どこから入ってきた。目的は何だ?」

「冥界のセールスマン……とでも言いましょうか。まあ所謂、『悪魔』と呼ばれる存在です」

「悪魔……だと……!?」

 俺は眩暈を起こして倒れそうになる。


「本日はお客様に、耳寄りなサービスを提供しに参りました。わが社が提供する神害保険に、是非加入して頂きたいのです」

「さっきから、一体何の話をしているんだ」

「神害保険とは……神の采配ミスによって生じた被害を、保障するサービスです。死後の魂を担保として、人生のやり直しをすることが可能になります。役職や年収、また信仰や宗派なども問いませんので、利用者様からは大変評判がよく……」


 頭痛がしてくる想いだった。つまりこの男、俺に悪魔の契約を持ちかけているのだ。

 悪魔は何か名簿のようなものを取り出すと、それに目を落として言った。


「お客様の名前は夜藩……夜藩……よはん・いちばん……様でお間違いないですか」

「ふぁーすとだよ! よはん・ふぁーすと! 一番と書いて、ふぁーすとって読ませるんだ! 悪かったなキラキラネームで!」

「いえいえいえ、とんでもない」


 取り繕うような悪魔の姿に、俺は苦い顔をした。自己紹介のたびに同じ思いをする。俺は、その点では親を心底憎んでいた。俺が友達を作れなくなった理由のひとつは、この名前にあると言っても過言ではない。


「夜藩さまは、大学の首席と伺っています。あらゆる学問を収めた優秀な成績……とか」

「お陰で『ふぁーすと』『ふぁーすと』って、みんな下の名前でしか呼んでこないよ。大して仲も良くないクセに」

 悪魔は、俺の皮肉を受け流すように笑った。


「夜藩さまの人生は、満たされなかった……という訳ですね」

「友達も恋人もいない、寂しくて虚しい人生だ……笑っちまう。首席が何だっていうんだ」


 幼い頃から勉強、勉強の毎日。それだけが自分の価値と信じていた。遊びにもいかず友達も作らず……恋さえも知らない。最期がこの有り様では、余りにも割に合わない。

「……心中お察しします。では、そんな貴方にこのプランは如何でしょう!」


 言葉とは裏腹に、悪魔は嬉しそうな態度を隠さない。そうして数えきれない程の紙の束を、俺の前へ次から次に並べて言った。

「人生やり直し体験の基本保証にプラスで、今ならリア充追体験特約にも加入出来ます。友達百人保証、恋人百人保証のどちらか、あるいはその両方がオプションとして……」


「ちょっと待て。友達百人はともかく、恋人百人は色々問題があるだろ。大体、それだけいい話がありながら、何故寄りにも寄って人が死のうとしているこのタイミングで来るんだ。保険っていうのは普通、被害が発生する前に備えとして加入するもんだろ」


「お客様の人生でこれまで被った被害や理不尽の数々が、神の采配ミスかどうか事前に審査の必要があったんです……それに大半のお客様は、『えっ、この状態からでも入れる保険があるんですか!』……と、喜んで下さるので」

「ちょっと待て、『大半のお客様』だと? おい悪魔……さてはお前、相手が追い詰められて、断れない状態になるのを待って契約に来てるな! 人の弱みにつけ込むような真似しやがって、恥ずかしいと思わないのか!」

「な、何を言うんですか、人聞きの悪い!」


 それまでニコニコ笑うだけだった悪魔が、大粒の汗を流していた。目線も酷く泳いでいる。どうやら図星だった。俺は呆れかえり、溜息を吐きそうになる。


「仮にそうだとして……私はよっぽど良心的です。夜藩さんだって、神害保険が民営化された所為で、営業ノルマが過酷になったのぐらい、ご存知でしょ!?」

「いや、すまん……俺はそもそも、公共事業だったこと自体を知らない……」


「私にだってね、家族がいるんです……病弱だけれども、可愛らしい妻と娘が……二人を食べさせていくには、営業成績出すしかないんです! なのにウチの上司ときたら、若い事務の子相手にセクハラばっかりして! サキュバス相手でもやっていい事と悪い事がある! 結果を出せ出せしつこいクセに、時代遅れの根性論やパワハラしかしないで!」


 戸惑う俺を尻目に、悪魔は身の上話を延々語り出した。止めようかと思ったが、下手に口を挟める空気ではなくなってしまっていた。


「私は確かに、自殺間際の人間を狙って契約を繰り返してきました。それは認めます。だが、少なくとも契約は履行され、サービスは提供される。一体何が不満なんですか」

「……じゃあ訊かせて貰うが、あんたより悪質な契約ってどんなのを言うんだ」


「うーん……例えばですが、実績を水増しするため、契約済みの人間を次々新しい契約に乗り換えさせる、とか。新規契約の度にサービスの質が低下するので、最後は契約前と変わらないような悲惨な末路を辿ったり」

「……悪質どころか、それ殆んど詐欺じゃないか!」


 俺は興味本位で訊ねたことを、若干後悔していた。


「後は、営業担当の悪魔が自腹で契約して穴埋めをしたり、その家族にまで契約させたり……何なんですか、悪魔の契約を悪魔自身がするって! 誰がどう得をするんですか! もはや意味が分からないッ!」

「いや……俺に怒られても……」

「私は家族をそんな目に遭わせたくない。だからお願いしますよ、夜藩さん。貴方は何も損をしない。助けると思って契約して下さいよ」


「お断りだ! 今の話を聞いて、契約したいなんて馬鹿がどこにいる! それにお前、本当は今の仕事、辞めたくて堪らないんじゃないのか。話を聞く限り、そうとしか思えない」

「だったら……どうしたっていうんですか」


 悪魔は俺の言葉に、唇を噛みしめながらそっと下を向いた。どうやら、心が揺れ動いているようだ。だがそれは、彼にとって同時に屈辱でもあるようだった。


「夜藩さん……貴方はさっき死のうとしていた。だがそれは、自分の心やプライド以外に守るべきものが無いから出来ることだ。私は、貴方みたいに自分の都合で生き方を決められない。家族を守るには、私はどんな汚い仕事も耐え抜いて、生きていかなければならないんだ」

「……ああ、そうだろう。俺にあんたの気持ちなんて分からない……」


 俺は自嘲するように言った。リア充にはほど遠い、お前のような人間には分からない。そう言われた気がして、俺は少しだけ投げやりな気分になった。


「ただしな、お前の奥さんや娘さんの気持ちは少し、分かるつもりだ。あんたはずっと家族のためだと言ってるが……その家族に、あんたの仕事をどう思うか、何をしてほしいか、ちゃんと訊いてみたことあるのか?」


 悪魔の顔に戸惑いが広がった。俺の予想は的中した……こいつは、家族のためだと繰り返しながら、肝心の家族の意見を聞こうとしたことは、きっとまだ一度もなかったのだ。

 俺は息を深く吸い、少しずつだが、自分自身の話を始めた。


「一番と書いて『ふぁーすと』と読む……俺の両親は、こんな酷い名前を俺のためだと言って付けた。でも分かるだろ……それは親のエゴってやつだ。赤ん坊は自分の意見を言えない」

 悪魔は俺の言葉に黙って耳を傾けていた。

 俺は不思議に思った。こんな風に自分の身の上を話すことは、生まれて初めてだった。


「あんたの奥さんや娘さんは、ちゃんと自分の意見を言えるハズだ。あんたが、そこまで辛い想いをして、苦しめられる職場で働いて、本当に幸せかどうか。辞めろなんてのは無責任かもしれない……でもせめて、話ぐらいはした方がいい。自分ひとりで満足してるより、その方がずっと大切だろ」


 悪魔は最後まで何も言わなかった。俺の発する言葉を受け止めていた彼は、ふとした拍子にすうっと消えるようにいなくなった。

 死にたいとまで思っていた俺の心は、不思議と少し軽くなっていた。




 あれから俺は、大学で老人福祉のボランティアサークルを見つけ、参加するようになった。たとえ誰であれ、話し相手がいればそれだけで心の救いになる。悪魔との出会いが、俺にそれを気付かせてくれていた。


 そんなある日、家に帰った俺は、郵便受けに見慣れぬ封筒があるのを見つけた。

 開封して驚いた。手紙の差出人は、なんと例の悪魔の男だった。


 彼は今、長年勤めていた保険会社を辞め、転職活動の真っ最中だそうだ。俺のアドバイスに従って、奥さんや娘さんと、しっかり話をしたことがキッカケだった。手紙には迷惑をかけたという謝罪、そして俺への感謝が、丁寧な言葉で綴られていた。

 俺は、胸のつかえが取れたような気がして、久しぶりにホッと息をついた。


 手紙を読み終えたその時、封筒の奥からヒラリと、何かが足元に舞い落ちた。拾い上げるとそれは、悪魔の一家三人が仲良く映った写真だった。奥さんと娘さん、そしてあの悪魔が全員笑顔でこちらを見ている。

 写真を裏返してみると、更にメモが添えられていた。



「追伸……夜藩さんの話をしたところ、是非一度、ウチの娘が会って、お礼がしたいと言っています。落ち着いたら連絡致しますので、その時はどうか会ってやって下さい……」



 写真を表返し、俺はもう一度、悪魔の家族を確かめる。

 可憐なセーラー服を身に纏い、背中からは羽と尻尾を生やした少女がひとり、黒髪を美しく棚引かせ、儚げで柔らかい微笑みを浮かべ、俺を真っ直ぐ見つめていた。


(おわり)



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