こうへん。
*
さっき上って来たばかりの上り坂を今度は下って行きます。
最初の交差点まで来るとさっきは一つ目だった下り坂は今度は二つ目の上り坂に変わっていました。
『ここをお作りになった神さまたちは、きっと、私たちのことがおきらいにちがいない』さっきは出口だった森の入り口にたどり着くころには、グリコはそんなことを考えるようになっていました。こんどは風が吹かなかったのです。
「とりはうたい、ふゆははるにかわる」さっきの女の人でしょうか?森のどこからかきれいな歌声が聞こえてきました。
「まがったみちにも、すべて呪文がかけられる」歌う声が別のひとに変わりました。さっきの女の人ではないようです。
「そんなまほうを、わたしはしっているのです」またちがう女の人の声に変わりました。しまっていた森の出口 (入り口?)が開いているのが見えました。
「わたししたちがであったよる」
「まちはまほうでみたされた」
「レストランにはてんしたち」
きれいな声にさそわれるようにグリコは森のおくへと入って行きます。
きれいな歌声は森のいたるところから聞こえて来ているようにも思えます。
「そんなことはウソかもしれない」
「そうしてホントウかもしれない」
「わたしはずっとしんじているの」
うす茶色の羽をした鳥がグリコの方に飛んで来ました。
かの女たちのシッポはうすい血のように少し赤くなっています。
「わたしたちがであったあのよる」
「あなたがほほえんでくれたよる」
「さよなきどりがうたったのです」
きれいな歌声はグリコのすぐそばをグルグル周っているように思えました。
そう、ちょうど、この3羽の鳥たちがグルグルと周っているようにです。
「そう、さよなきどりがうたったのです」
3つの声がいっしょになって歌い、やっとグリコは気づきました。
歌っているのはこの鳥たちです。
「とりはうたい、ふゆははるにかわる」
「まがったみちにも、すべて呪文がかけられる」
「そんなまほうを、わたしはしっているのです」
『聞いちゃいけない!』グリコが気づいた時、グリコの体は森の中の大きなぬまに入ろうとしているところでした。
「わたしたちがであったよる」
「まちはまほうでみたされた」
「レストランにはてんしたち」
『聞いちゃいけない!』グリコはぬまから飛び出ると、耳をふさいで走り出しました。
「そんなことはウソかもしれない」
「そうしてホントウかもしれない」
「わたしはずっとしんじているの」
『聞いちゃいけない!』どんなに強く耳をふさいでも、歌声は頭の中まで入って来ます。
『聞いちゃいけない!』どんなに速く走ってみても、さよなき鳥はついてきます。
『聞いちゃいけない!』必死に走って走りながらカバンの中をさぐってみます。
「わたしたちがであったあのよる」カバンのの中には食べかけの食パンが入っていました。
「あなたがほほえんでくれたよる」まるめた食パンを耳の中につめてみます。
「さよなきどりがうたったのです」それでも、さよなき鳥の歌は聞こえます。
『聞いちゃいけない!』
『聞いちゃいけない!』
『聞いちゃいけない!』
もう一度カバンの中をさぐってみます。カバンの中に入っていたのはモモのおかしでした。それをさよなき鳥の方へ投げつけました。森の入り口 (出口?)は、もうすぐそこです。
「そう、さよなきどりがうたったのです」
ゴロゴロゴロゴロッ。
グリコの作戦は成功しました。さよなき鳥はモモのおかしに夢中になって森の外までは追いかけてきません。グリコは、モモのおかしを投げたことを少しもったいなかったと想いながら、森からはなれることにしたのでした。
*
雨がふってきました。さっき行ったばかりのグラウンドが遠くに見えます。野球の人たちは大きなクルマに何人も乗り込んでお家に帰るみたいでした。
『お家に帰ろうかしら?』カバンの中をさぐってカサをわすれたことに気が付きました。
でも森にもどる気にはなれません。
雨が強くなって来ました。
近くにトウモロコシ畑とその畑の人のお家が見え、グリコはそこで雨宿りをさせてもらおうと考えました。
*
トウモロコシ畑の中に入ると雨が弱く感じられるようになりました。トウモロコシの木がグリコの背たけよりも大きく育っているからでした。
モー。
畑の人のお家の方からウシのなく声が聞こえてきました。この家ではウシも飼っているようです。
広い広いトウモロコシ畑をグリコは雨にぬれないよういそいで歩きました。どこからかとてもよい匂いがして来てグリコは自分のおなかがとても空いていることに気がつきました。
畑の人のお家に着くとお家の人たちがテントでバーベキューをしていました。
「これはかわいいお客さんだ」白いひげをたくわえたおじいさんが言いました。
「おじょうちゃんも食べるかい?」かみの毛のないおじさんが言いました。
ぐー。
グリコのおなかが鳴って、みんなが大きな声で笑いました。
「太ももから食べるといい。ちょうど焼き上がった」クシにお肉をさしながら太ったお兄さんが言いました。
もー。
かわいらしい声で子どものウシがないています。
「ただ、お祈りだけはわすれないでくれ」白いひげのおじいさんが言いました「これは、あいつのお母さんなんだ」
もー。
太ったお兄さんからもらったお肉を食べながらグリコが後ろをふり向くと、黒いはずの子どものウシの目がお日さまのような赤色に見えました。
「あの、わたし、ごちそうさまでした」グリコはとてもいたたまれなくなってその場をはなれました。おじいさんたちの笑い合う声が遠くに消えていきます。
さっき歩いて来たトウモロコシ畑の道を反対向きに走って行きますが、すぐに走れなくなりました。とても強いニシカゼが吹いたからです。
グリコはその場にしゃがみ込みました。カミナリも鳴っています。
トウモロコシ畑の真ん中あたりに立っている大きなサクラの木にそのカミナリが落ちました。おなかの中でさっき食べたお母さんのウシが出してくれと言っているようでした。
グリコは目の前がまっ暗になりました。
*
雨が上がり、このあたり一帯にお日さまの光が当たりました。グリコの眠るまっ白なベッドにもお日さまの光が差し込んで来てかの女を起こします。
「お母さん?」ベッドのそばに女の人が立っています。そんなことはないはずなのにグリコはまた聞きました「お母さんなの?」
「3時間も眠っていたのよ」女の人が言いました。
「こわい夢を見たの」
「とてもうなされていたものね」スミレとパセリでしょうか?とても良いかおりがして来ます。「トウモロコシ畑から出てきた時は本当にビックリしたのよ?」
まどからのお日さまの光が部屋中を照らしましたが、もちろん、そこに立っていたのはお母さんではなく、よく日にやけた野球のお姉さんでした。
「カナメさん?」グリコが聞きました。
「だれ?」
「コウシュのカナメさんでしょ?」
「ちがうわよ」ブドウ味のカルピスを水でわりながらお姉さんが言いました「オキ・ナナミ。それがわたしの名前」
*
ナナミさんが作ってくれたブドウ味のカルピスを飲みながらグリコは今日あった出来事をかの女に話しました。
「信じてもらえる?」自分でも信じられない話ばかりなのです。
「もちろん信じるわよ」そう言ってナナミさんはほほえんでくれました「わたしも小さいころによく見たもの」
「リスも?」
「リスも」
「ヒミツ基地も?」
「わたしのころは公園だったけど」
「森の中の女の人は?」
「あの人、ずっと若いままなのよね」
どんな話もナナミさんは信じてくれましたし、自分もあったことがあると言ってくれました。
「ちょっと待ってね」そう言ってナナミさんはおくの部屋に入って行きました。まどの外から5時を告げる音楽が流れて来ました。
その日が終わるのは少しさみしいけれど、グリコはこの歌がとても大好きなのでした。
「これ、わたしの小さいころの写しん」ナナミさんが一まいの写真を手にもどって来ました。「わたしもクミコちゃんみたいなぼうけんをしたの」
写真には川のほとりで友だちとボールあそびをしているナナミさんが写っていました。
「さあ、そろそろ帰らないと」ナナミさんはそう言ってグリコをベッドから出るよううながしました。「クルマで送る?」
「いいえ、大丈夫です」グリコはそう言ってベッドから下りました。「また、あそびに来ても良いですか?」
「もちろん」そう言ってナナミさんがげん関のドアを開けると、クチナシのかおりがいっぱいに流れ込んで来ました。
*
お家に帰るための道はまだぬれていましたが雨はすっかり上がっていました。今のお日さまは本物の夕方のお日さまです。5時を告げる音楽を口ずさみながらグリコは早足でお家へ向かいます。
お母さんのいるおはかを遠くに想いながらさよなき鳥が歌う森の横を通りすぎます。
首の短いキリンとあの女の人はお家に帰ったのかしら?
バーベキューの道具を片づけている畑の家の人たちに手をふるとみんなの後ろから母子のウシの鳴き声が聞こえました。
野球の人たちが雨上がりのグラウンドで再びボールを追いかけて、同じクラスのロトくんはお友だちと追いかけっこをしています。
グリコは走りに走ってロトくんとそのお友だちを追いこしました。
広場を抜けて丘ををかけ抜けると、お父さんの待っているお家が見えてきました。
ワンワンワン。
げん関の前で愛犬のアルゴがグリコに飛びついて来ました。散歩に連れて行く約束をすっかり忘れていたのです。でも、今日はごめん。明日にして。
「おかえり。良い写真はとれたかい?」ブルーベリーの木の土をならしながらお父さんが聞きました。グリコは写真のこともすっかり忘れていたのです。
「一枚も?」お父さんがあきれたように笑ったその時でした。お父さんの肩ごしに3色にかがやく虹が現れたのです。
「どうしたんだい?」虹に目をうばわれているグリコにお父さんが声をかけます。
するとグリコは、カバンの中にしまってあるカメラをとり出そうとして、それでもやっぱり、その右手をひっ込めることにしました。
「ううん。なんでもない」お父さんはまだ虹に気づいてもいないようです。
「それで今日は何をして来たんだい?」お父さんはそう言いながらお家のなかへ入って行きました。
今日あった出来事をグリコが話すのは、もうちょっと先のことになりそうです。
(おしまい)