ぜんぺん。
小学4年の夏休みも残り7日を切った日曜日の朝。グリコはお父さんの本だなのおくにある古い古いフィルムの入ったカメラを見付けました。
「あと、12枚はあるよ」ブルーベリーの木の下のざっ草取りをしていたお父さんが言いました。
「たったの?」
「とっておきの写真だけをとるのさ」
「使ってもいい?」
「こわさないなら」
そこでグリコは食べかけの食パンとビスケット、それにモモのおかしをカバンにつめ込んで、はき古した方のスニーカーを選んで――そうそう、ペットボトルにお茶も入なければいけません――お家を飛びだしました。
げん関の前で愛犬のアルゴが連れて行けとせがみます。
「ごめん。今日はひとりでいくの」
「くぅーん?」
「帰って来たら散歩に出かけましょう」
*
『まずは、どこに行こうかしら?』とグリコは考えます。
『そうだ、公園に行こう』この時期、公園の池のほとりには赤や黄や白のスイレンがいっせいにさいているのです。
「あれ?グリコじゃん」池のまわりでかの女がスイレンをさがしていると同じクラスのロトくんが声をかけてきました。「なにしてんの?」
「べつに。ただの散歩」
「イヌは?」
「今日はひとり」
「おれたち、池で虫とり」
そう言うとロトくんとその友だちの男の子たちはザブザブと池に入っていきました。メダカやザリガニやをとりながら持って来たおかしやジュースを飲んでいます。なかには池のほとりにすわって「いつまでも、ここにいたい」と言っている子もいます。
『これじゃあ、とっておきの写真になんかならない』グリコは泣く泣く公園を出ることにしました。
*
『今度はどこにいこう?』ふたたびグリコは考えました。
『そうだ、グラウンドに行こう』日曜日のこの時間、大人の男の人たちにまじってカッコいいお姉さんが野球をしているのです。
「あの子、今日は仕事だって」左の目に黄色のがん帯を着けた男の人がそう言いました。「かの女、コウシュのカナメなんだけど」
「こうしゅ?」
「そう。そのカナメ」
おじさん (お兄さん?)の話していることはいまいちよく分かりませんでしたが、カッコいいお姉さんの名前が『カナメ』であることは分かりました。
「ちなみに、この目もあの子がうった打球が――」
『でも、これじゃあ、カッコいいお姉さんの写真がとれない』おじさん (お兄さん?)の話はまだまだ続きそうでしたが、グリコはにげるようにグラウンドを後にしました。
*
グラウンドに来た時とは反対側の方角に歩くと小さな石だんがあり、そこを上がった先の細い道路では何台ものクルマが行き交っていました。
『あぶないなあ』グリコはそう思いながらその細い道をわたって森の方へと入って行きました。
ここは町のみんなが『あいおいのリスの森』とよんでいる森です。『七ひきのおすリスと七ひきのめすリスが仲良くくらすあいおいの森』という昔話があるそうですが、グリコはこの森でリスを見たことがありませんでした。
『そうだ、リスを写真にとろう』グリコは考えました。
森を歩いていると道が3つに分かれていました。
・日あたりのいい、なだらかな道。
・日あたりのない、さかのある道。
・まん中をとおる、くさの多い道。
いつものグリコなら『なだらかな道』を歩くところですが、この道を歩いてリスを見かけたことはありません。
『くさの多い道』は虫やカがいっぱいいそうで虫よけスプレーをわすれたグリコが歩くと大変なことになりそうです。
そこでグリコは、いつもならけっして歩くことのない『日あたりのない、さかのある道』を歩くことにしました。
『だって、ここならリスがいそうだもの』カメラをかまえたままグリコは『さかのある道』を歩いていきます。
森のおくに行けば行くほどお日さまは見えにくくなっていきます。虫やカは飛んで来るし風も出て来て夏休みとは思えないぐらいの寒さになっています。
森の一番おくまでたどり着きました。とても暗くてしめっぽい暗い場所です。フクロウやミミズクの泣き声がしてきます。はたしてリスはいるのでしょうか?
『いないのかなあ?』そんなふうにグリコが思っていると、かの女の頭の上を何か小さなものが走っていく音が聞こえました。
カサササササッ。丸くなった木のえだの上を小さな何かが1列になって走っています。1・2・3・4……グリコが数えると、その数は全部で14ひきもいました。
『七ひきのおすリスと七ひきのめすリスだ!』かまえたカメラのシャッターをおそうとしたその時、グリコの頭の上のほうから大きな大きな風がふいてきて、カメラといっしょにかの女も飛ばされてしまいました。
バーババッバードドドッ。さっき歩いて来たばかりの道をグリコは押しもどされて行きます。
『このままだと森から出てしまう』そこでグリコは『くさの多い道』の方に転がってみることにしました。それなら風は追って来ないと思ったのです。
ゴロゴロゴロゴロッ。グリコの作戦は成功しました。風はここまでは追って来ません。
『やった!』グリコはよろこびましたが、ここは一体どこでしょう?
『リスの他にも何かいるかも』そう思ったグリコは、先ほどとは別の森のおくへと歩いてみることにしたのでした。
*
『くさの多い道』の方の森をおくへおくへと歩いて行くと大きなダンボールのカベにぶつかりました。これは一体なんでしょうか?
大きな木と大きな木との間に大きなダンボールや大きなベニヤ板をつなげて作ったヒミツ基地のようです。
『こんなに大きくて目立つヒミツ基地などあるのかしら?』とグリコは思いましたが、きっとこれを作った男の子たちはそんなこと気にもしないのでしょう。
こちらの森のおくはものすごく暗く、ダンボールの向こうに見えるお日さまはまるで夕方のお日さまのように見えます。
『ヒミツ基地の中にだれかいないかしら?』夕方のようなお日さまと寒さのせいでグリコは不安になったのでしょうか、ヒミツ基地への入り口であろうダンボールを開けてみることにしました。
中に入ってみると、そこには大きな大きな女のひとの絵がかざってありました。グリコは思わず『キレイ』とつぶやきそうになりましたが、するとその時です。ヒミツ基地の周りからたくさんの男の子たちのさけび声が聞こえてきました。
「オオイ、オイオイオイオイオイオイエエ」
東側の木の上でだれかがさけびました。
「オオイ、オイオイサア」
西側の岩の上でもだれかがそれに答えてさけんでいます。
パパパッパパパッパパンッ。
モデルガンで打ち合いをしているような音が聞こえてきました。
「ロオ、ロロッロロッロッロッロッ」
今度は北側の暗やみから別のだれかがさけび声を上げました。
「ロロロッロロロッロッロッロオオオオ」
南側からかい中電灯を持っただれかがさけび声を返しています。
ババババッババババッ。
彼らの一人がモデルガンを打ちながらヒミツ基地の中に入って来ました。
ババッバババッババッ。
そして、そのすぐ後にも別の一人がモデルガンを打ちながらヒミツ基地の中に入って来ました。
ババッ。ババッ。バババッ。
そうして二人が打ち合いを始めると、外にいた男の子たちもどんどんヒミツ基地の中に入って来ました。打ち合いはどんどんはげしくなっているようです。
しばらくするとモデルガンのたまがなくなったのでしょうか、男の子の一人が地面に落ちていた石を拾って投げ始めました。
ヒュン。ビュン。ドスン。ドン。
小さな石や大きな石がヒミツ基地の中を飛び交います。
『ここにいてはあぶない』キレイな女のひとの絵を写真にとろうとグリコは思っていましたが、仕方なくヒミツ基地をあとにしたのでした。
*
走って走って、男の子たちのさけび声が聞こえなくなるところまでグリコは走りました。すると、そこは『日あたりのいい、なだらかな道』のと中にある水飲み場でした。
水飲み場のすぐそばには小さなベンチが置いてあって、走りに走ってつかれ切っていたグリコはそこにへたりこんでしまいました。
『ここから見えるお日さまは、昼間のお日さまだ』グリコはそう思いながらカバンの中に入れておいたペットボトルのお茶を飲み始めました。
カサカサカサカサッ。
アジサイ林の向こう側を何か大きなモノが横切って行きました。
カサカサッカサカサッ。
アジサイとアジサイの間から黄色と茶色がまざった毛が見えています。音の感じからすると足の長い動物のようです。葉っぱと葉っぱの間からは特大級のビー玉がこちらを見ています。
カサガサカサガサ。
白く見えているのはツノでしょうか?グリコはカメラをかまえました。が、次のしゅん間。
カサカサカサカサカサ。
その動物は風のように森のおくへと走り去って行ってしまいました。
『あれは、シカなのかしら?』グリコはそんなことを思いました。
「それとも、キリンかしら?」とつ然、グリコの後ろの方から歌うような女の人の声が聞こえて来ました。
「キリンじゃないよ」そう言いながらグリコがふり向くと、そこには金色の長いかみの毛をしたキレイな女の人が立っていました。
「なら、シカなのかしら?」女の人が言いました。
かの女のとなりには2ひきのイヌがおすわりをしていて、1ぴきはライオンに、もう1ぴきはオオカミにそっくりですが、2ひきともリードも何も着けられてもいません。
「すわってもいいかしら?」昼間のお日さまの光が女の人のかみに当たってとてもキレイです。『さっきの絵の人ににている』とグリコは思いました。
「おじょうちゃんも飲む?」女の人が水とうをとり出しながら聞いてきました。
「チーズとコムギコとハチミツとプラムで作ったジュースなの」水とうからはとても良いかおりがしています。
「いいんですか?」
「もちろん」女の人がジュースを入れたカップをグリコにわたそうとします。
カサカサカサカサッ。
アジサイ林の向こう側でまた大きな何かが動きました。
ガサガサッ。
そして林の向こうから根っ子の黒いミルクのような色をした花が飛んで来てグリコと女の人の間に落ちました。
「やはり、キリンだったようね」女の人はそう言うと、グリコに差し出していたカップを引っこめ、ジュースを地面にすててしまいました。
「ごめんね、おじょうちゃん」ジュースの入った水とうをカバンにしまいながら女の人は言いました。
「『お日さまは、高いところにあるけれど、すぐにしずんで、のぼらなくなる』そんなこともあるかも知れない」そう言って女の人は森の出口を指差しました「いそいだ方がいいかも知れない」
女の人にうながされるままにグリコは森の出口へと歩き出しました。
「お父さまによろしく」女の人が歌うように言いました。
「お父さんに?」そう言ってグリコが後ろをふり向くと、そこにはすでにだれもいませんでした。
*
『あの人を写真にとっておけばよかった』森を出たグリコはすぐにそう思いましたが、森はすでにしまっていて入れません。
『今度はどこにいこう?』北に行けば上り坂で、南に行けば下り坂です。グリコは楽な下り坂を行くことにしました。
ダラダラとした下り坂を南へと歩いて行きます。最初の交差点で下り坂は終わり、今度はダラダラとした上り坂になっていました。
『ここをお作りになった神さまは、私たちのことがおきらいなのかしら?』そんなことをグリコが考えていると森の方から強くて温かい風が吹いてきてグリコのせなかをおしました。
『さっきの女の人かしら?』風にせなかをおされながらグリコはそんなことを考えました。からだはどんどんと坂を上って行きます。
坂を上り切った先には小さな神社と小さなお寺がありました。お寺のうら側にあるおはかには、ついこの間お父さんと来たばかりです。
『お母さんに会っておこう』そう思ったグリコは、3回さがしてみましたが、3回ともお母さんを見つけることは出来ませんでした。雲が出て来たせいでしょうかおはかの中はどんどんと暗くなって行きます。
「お日さまが、見えているうちに、もどりなさい」どこからか声が聞こえて来ました。
その声にうながされるままにグリコは、おはかから出ることにしました。
「お父さんが待っている」声が言いました。とつ然、お家がこいしくなりました。
『もう帰ろうかしら?』グリコはそんなことを考えながらおはかを後にしたのでした。
(続く)