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初めて授業

魔王と胡桃が学校についたときにはすでにホームルームが始まっていた。


早めについていたとしても、魔王は教師の仕事はなにも知らない。

その状態でクラスに行ってもどうしようもないので、胡桃はホームルームの時間を使って魔王にこれからの振る舞いを伝えた。


「いいですか、あなたは橘先生です。魔王ではありません。まずこれを頭に叩き込んでください」

「わたしの正体を隠す必要があるのか?」


「あります。余計な混乱を生み出したくはないんです」

「わかった」

「橘先生を演じるのは難しくはありません。昨日言ったように、橘先生は口数が少ないので、生徒からいろいろ質問を受けても簡潔に答えておけば大丈夫です」

「いろいろな質問とは?」


「なぜ屋上から飛び降りたのか、ということです。これはもう生徒のみんなが知っていることなので、隠しようがないんです」

「なんと答えればよいのだ」

「自殺というのはまずいので、屋上で休んでいたら誤って落ちてしまったということにしてください。幸い怪我などもしていなかったですから、しばらくすればみんな忘れるはずです」


「授業についてはどうする?」

「落ちたショックで混乱している部分があり、一部の記憶も失っている。なのでしばらく授業はできない、ということにしてください。教室の隅に座って生徒の自習を見守ってください。くれぐれも妙なことは言わないでくださいね」

「魔王だと名乗らなければいいのだろ」

「はい。では頑張ってください」


ホームルームが終わり、授業開始を知らせるベルが鳴る。魔王は胡桃に案内される形で教室に向かった。


一時間目の担当は担任をしているクラスでもあった。魔王は教室に入って教壇に立つと、教室を見渡して言った。


「わたしは記憶を失っている。昨日屋上から落ちてしまったからだ。これは偶然の事故に過ぎず、わたしに自殺の意思はなかったが、体がまだ完全な状態とは言えない。よって授業を担当することはできず、今日は自習だ」


魔王はそう言うと、教壇の近くに置いてある椅子に座った。


戸惑いの声が生徒たちから漏れる。

担任が屋上から飛び降りたことはみんな知っていたが、まさか翌日から授業に復帰するとは誰も思っていなかった。


「あの、先生、大丈夫なんですか?」


生徒のひとりが手を上げて質問をする。


「体は問題ない。頭をちょっとやっただけだ」


魔王は平然と答える。確かにその様子は怪我人には見えなかった。


「どうして自殺をしようとしたんですか?」


再び生徒からの質問。


「自殺ではない。誤って落ちただけだ」


「でも、屋上には柵があるので、自分で乗り越えないと落ちることはないと思うんですけど」

「柵の上に乗ってバランス感覚を養っていた。そのとき足を滑らせてしまったのだ」


「どうしてわざわざ屋上で」

「緊張感があったほうが技術が身に付きやすいからだ」

「なんかしゃべり方変わってませんか」


生徒たちが知っている橘悠太という教師は真面目な人で、言葉遣いも丁寧だった。生徒を呼ぶときは名前にさんをつけるほどだった。


「頭を打った影響かもしれない」

「本当に橘先生なんですか?」

「いや、わたしは魔王だ」


言ってからまずいと気づいた魔王だったが、自分の発言を慌てて撤回するような惨めな姿はさらけ出したくはなかったので、そのままにした。


「ま、魔王?」

「ふむ、魔王だ」


魔王は胡桃たちにしたのと同じような説明を繰り返したが、生徒たちはキョトンとするばかり。


多くの生徒の受け止めは「頭を打って本当におかしくなっちゃったんだ」という哀れみに満ちたものだった。


「残念ながら、国名や名前については口にすることはできない。こちらでの発音が難しいからだ」

「……」

「まあ、わたしのことは気にせずに自習を続けてくれ」


と言われたからと言って、素直に黙る生徒でもなかった。

胡桃たちと反応が違うのが生徒たちは魔王という主張を疑うのではなく、興味を持って質問し始めたことだ。

真面目な担任が魔王と言い張っている。それがおかしくてしかたがなかった。


「魔王様は何歳なんですか?」

「年齢くらいはいいだろう。二百三十六歳だ」

「結婚はしてるんですか?」

「魔王に結婚という概念はない。子をたくさん産むため、ひとりには縛られずにあらゆる女性と関係を持った」


「趣味はなんですか?」

「魔王としてふさわしくあり続けることだ。そのための勉学や鍛練と解釈しても構わない」

「魔王や魔族は強いんですか?」

「強い」


「なら、どうして人間に負けたんですか?」

「正直に言う。結束力の違いだろう。魔族は力がすべてだ。部下よりも力に劣れば魔王としては認められない。それはつまり、常に魔王の椅子を狙うものが現れる、ということだ。人間に勝つよりも魔王として君臨したい、そのような欲望を持つものも多かった。だからこそ人間に対して一致団結することができずに隙が生まれたのだ」


「つまり、魔王様の失政ということですよね?」

「そうではない。魔族がそのような性質を有していた、ということだ。人間のように規則に乗っ取った人事制度を設けたとしても、魔族は従わない。きつく締め付けられれば、それはかえって国力の弱体化を招くということだ」


「そもそも、どうして人間と魔族は争っていたんですか?」

「正確なところはわからない。お互いの主張がぶつかったままだった。何度も話し合いの機会はあったが、いずれも物別れに終わった。あえてひとつの結論を言えば、魔族と人間は相容れない存在だったということだろう」


「魔術って見せてもらえます?」

「無理だ。胡桃という教師と約束したからな」


「日本にはどんな印象を持ちました?」

「まだ一日しか経っていない。興味があるのなら、また後日聞くといいだろう」


そのようにして次々に答えていく魔王。誰からも質問が出なくなると、魔王は立ち上がった。


「よし、なら今度はわたしから聞こう。いまのわたしはこちらの常識はあるが、知識はないという状態だ。今後の生活を考えると、いささか不安があるのも事実。とくにこの体の持ち主である橘悠太という人物について聞いておきたい」


魔王の問いかけにはいくつかの反応があった。

しかし、どれも深い情報とは言えなかった。


橘悠太は優しい教師だが、どこか生徒とは距離を置いている感じがしたので、詳しい素性を知っている生徒はいなかった。


「胡桃から聞いた情報と変わらないな。橘悠太はやはり、社交的な人間とは言えないようだ」


それからも魔王は質問を繰り返した。とくに魔法について、この国ではどのような扱いを受けているのかを知りたかった。


魔法は希少な能力で、使えるのは全体の1割にも満たない。だいたい思春期の頃に才能に目覚め、全国の数ヵ所に設置された魔法学園に通うことを強制される。


かつては魔法は軍事力の象徴だったが、いまは必ずしもそうではなくなった。

近代兵器の登場により戦い方が変化したこと、それと世界的な戦争はとりあえず起きていないことがその要因だった。


魔法師は多くの場合、自国の治安維持を担う役割が与えられた。積極的な魔法士の検査は行われているが、取りこぼしも少なくはない。


学園に通うことなく自分が魔法士であると自覚が芽生えることもあり、そういった人間は魔法の力を使って犯罪に走る場合が多い。

そのような犯罪者を取り締まるのが魔法師の大きな役目であった。


平和な国では魔法師はエンターテイメントの要素のひとつでもあった。魔法師同士の戦いやその能力を活かした興業が成立する。サーカスなどの見世物では魔法師がいるかいないかが成功の可否を分けるとも言われていた。


学園での魔法の扱いについても、さほど重視はされていなかった。


高校生活はあくまでも学業が中心であり、本格的なトレーニングというものは卒業後になるとのことだった。三年になれば基礎的なことを教えてもらえるが、それもあくまで体をならす程度。


魔法の使用は寿命の一部を削ると言われており、学生に無理をさせるのはよくないという運動がかつてあったことがこのカリキュラムに影響したとされている。


「やはり、ずいぶんと軽いものなのだな、この国の魔法師というのは」


魔王は様々な世界を知っていたので冷静に受け止めることはできたものの、元の世界との違いにはやはり違和感を覚えるところもあった。


生きるか死ぬか、奪うか奪われるかという緊張状態で魔族も人間も暮らしていた。それに比べるとなんとのどかなことか……。


生徒は生徒で、この人大丈夫かなという思いは強くなっていた。

魔王という設定に勢いで乗ったものの、どうやら冗談ではすみそうもないくらいに担任は頭を強く打ったらしい。


これが一時的なものではなくずっと続くとしたらさすがに笑えなくなってくる。

チャイムが鳴った。

そんなこんなで魔王のはじめての授業は終わった。

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