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初めての登校

何やら騒がしい音がするので、魔王はその発生源をつかみ、どこかへと放り投げた。

ベッドのそばにあった目覚まし時計は壁にぶつかって壊れた。


静かになったのは束の間で、今度は枕元に置いていた携帯からうるさい物音が響いてきた。魔王は同じように携帯を壁に投げつけた。


魔王として生きているとき、熟睡することはあまりなかった。

魔族にも様々な派閥があり、命を狙ってくるやからも否定できないからだ。

人間の間者が潜んでいる可能性もあり、心休まるときは皆無だった。


しばらくすると、また別のところから音が聞こえた。それはインターホンの呼び出し音だった。

こればかりは投げつけるものが見当たらず、魔王は布団で顔を隠すようにして眠り続けた。


「起きてください、橘先生、このままだと遅れちゃいますよ!」


どんどん、と部屋のドアをノックする音に続いて聞こえたのは、胡桃の声だった。


最初は無視していた魔王だったが、胡桃の呼び掛けは収まらない。魔王は渋々ベッドを出て、玄関に向かった。


「おい貴様、常識というものはないのか。ご近所さんが迷惑しているだろ!」


ドアを開けていい放つと、胡桃は困り顔で言い返した。


「常識がないのはそっちですよ。いま何時だと思ってるんですか。このままだと遅刻しちゃいますよ!」

「遅刻だと?」

「そうです。橘先生は車を学校に置いたままですよね。徒歩だとどんなに急いでも九時を過ぎちゃいますよ」


自分が学校の教師であることを魔王は思い出した。

本物の魔王のときには時間の制約などなかったので、起こしにくるものもいなかった。


「だから迎えに来た、というわけか」

「そうです。何度も電話をしたんですけど、全然つながらなくて」

「それは苦労をかけたな。もう二度と電話をする必要はない。ここへも二度と来なくていい」


そう言って魔王はドアを閉めようとした。


「ちょ、ちょっと、これからどうするつもりですか!」


胡桃が慌てて爪先をドアの間に滑り込ませ、手でこじ開けるようにした。


「それをこれから考えるところだ。わたしは魔王であり、この世界の理に縛られる必要はない。教師という職業にも興味はない」

「で、でも、教師をやめたらお金がなくなっちゃいますよ」

「魔術を使えばなんとでもなるし、いつまでもこの世界にとどまるつもりもない」


魔王は元の世界に戻るつもりだった。教師として働く意味など全くなかった。


「どうやって戻るつもりですか?」

「ん?」

「戻る方法はわかってるんですか?」


わかるはずもなかった。魔王はこちらへ飛ばされた理由すら分かっていなかったのだ。


「いや、これから調べるつもりだ」

「なら、教師として働いたほうがよくないですか?ひとりでは調べるのも限界がありますし、学校ならいろいろと情報が集まりますよ」


胡桃の言い分には一理あった。魔王にはなんのあてもなく、調査方法については全くの白紙だった。


「なるほど。貴様のいう通りかもしれん。しかしひとつ大きな問題がある。それはわたしが教師として機能するとは思えないことだ」


魔王には日本人としての常識はある程度あったが、橘悠太がどんな人物なのかはわからなかった。

その記憶は引き継がれておらず、教師としての知識も空っぽだった。


「その辺はなんとかなると思います。落下した影響で頭が混乱している、という感じにすればみんな納得すると思いますし」

「何年もそのいいわけを通すことは無理だ」

「何年もいる気ですか?元の世界に戻るつもりなんですよね」


とりあえず着替えて出てきてください、と胡桃に促され、魔王は急いで服を着替えた。

橘悠太のことは全然知らないのに、どんな服を着ていけばいいのかはなんとなくわかるのが不思議だった。


自宅を出て胡桃の運転する車に乗ると、発進する前に胡桃が魔王へとビニール袋を渡した。


「なんだこれは?」

「朝ごはんですよ。食べてないですよね」


魔王は袋の中に手を入れて、中のものを取り出した。三角形の黒い物体がそこにはあった。


「おにぎりですよ。わかりますか?」


正確にはわからなかった。食べ物だろうとは思ったが、食感などは頭に浮かばなかった。


「食べてみてください。日本人として生きるには、米に慣れておかないといけませんから」


魔王はなんなくおにぎりの袋を開け、その先端をかじるようにして食べる。

米というものを食べたのはもちろんはじめてだったが、なんら抵抗感は感じなかった。


「ふむ、食べられないことはない」

「平気なんですね。てっきりまずいと叫んで吐き出すかと思ったんですけど」

「まさか、それを期待してこれを用意したのか?」

「そういうわけではありませんけど」


胡桃は苦笑して車を発進させた。


魔王は助手席からぼんやりと外を眺めている。

昨日学校を出たときはすでに周囲は暗くなっていたので町の様子を観察することは難しかったが、朝日を浴びた景色ははっきりと確認をすることができる。


同じような建物が並び、面白味のないところだと魔王は思った。

自然が少なく硬質的な感じがして、居心地が悪そうだった。魔法が広く知られているのなら、なおのこと問題は大きい。


「この世界は地球といったか」

「はい。わたしは地球に住む日本人ですね。魔王様には地球人といったほうがわかりやすいかもしれません」

「地球人は愚かだな」


「どうしてですか?」

「魔法は精霊の力を使って行使する。これに違いはないな?」

「はい、こちらでもそうですよ」


「なら、どうしてここまで自然が排除されている。自然と精霊は等しい存在で、どちらも魔法には必要不可欠なものだ。それを蔑ろにするということは、魔法への向き合いかたに問題があるということだ」

「それはまあ、経済を優先させた結果ですかね」


魔法はかねてからその国の力を表す指標のひとつだった。

しかし、近代兵器の登場や世界的な戦争の懸念が薄らぐにつれ、その序列も徐々に変化していった。


経済を抜きにして国を語れなくなると、魔力の源のひとつとされる自然の維持よりも開発が優先されるようになった。


それで魔法が不要になったわけではなく、国内の治安維持には大きく貢献している。

民主主義を標榜する以上国家の統率には限界があり、魔法師の犯罪者も決して少なくはない。


「でも、自然が残されているところはたくさんありますよ。魔王様が思う以上に地球は広いんです」

「そのぶん、悪いやつも多いのだろう。わたしは昨日、テレビのニュースでテロリストの起こした事件を知った。あれも魔法士が関わっているらしいな」


声明文では魔法士の扱いへの不満が綴られ、改善されなければ今後も危険な行為は続けざるを得ない、と記されていた。


「魔法士は基本的に国の管轄下に置かれているんですけど、それをよしとしない魔法士もいるんですね。自分たちのほうが優れているのに、一般人に支配されているという構図は我慢ならない、ということらしいです」


一般人のほうが人口は圧倒的に多く、政治的な事柄に魔法士が口を出せる余裕はない。

政治的な行動を嫌う魔法士も多く、また国民の多くも魔法士の政治的な発言は敬遠される傾向にある。


「貴様も同じ」

「芹沢胡桃です。ちゃんと名前で呼んでください」

「なら、胡桃。貴様も同じことは考えたことがあるのか。」


「ありませんよ。だってわたし、魔法士じゃありませんから」

「なに?」

「あ、言ってませんでした。学園では一年生と二年生は勉学を優先するんです。ですから教師も一般人なんですよ」


学園には魔法士の才能を認められたものが集められるが、その大半は能力には無自覚だ。

そのため最初の一、二年は勉学が優先されるので、担任も魔法士でなくてもよいとされている。


「ならわたしーー橘悠太も?」

「はい。一般人です」


日本という国はやはり平和なのだな、と魔王は思った。

テロがあるとはいえ、戦いが日常というわけではないのだろう。そうでなければ魔法士の育成をのんびりと行うわけがない。


「魔王様のいた世界ではどうだったんですか?魔術や魔法というのは幼い頃から学ぶものなんですか?」

「……」


魔王は何も答えない。

赤信号で車を止め、胡桃は無言の魔王の方を見ると、魔王は言った。


「もっと疑いはしないのか?」

「疑う?」

「わたしが嘘を言ってるかもしれないと、だ」


魔王には不可解だった。胡桃が簡単に自分の話を信じていることが。

魔術という概念がないということは、異世界そのものを受け入れることは難しいはず。


実際に魔術を披露したとはいえ、それだけで納得できるものだろうか。

例えば幻影魔法を魔術のように見せた、などと疑っても良いのではないのか。


「それはわたしも不思議ですね。なぜか魔術には抵抗がないんですよね。もしかしたら家庭環境が影響しているのかもしれません」

「家庭環境?」

「わたし、親がいないんですよ」


胡桃には親の記憶が全くない。幼い頃から施設で育てられたからだ。


「だから小さいとき、わたしは異世界への憧れがあったんです。物語のような世界がきっとどこかにあって、そこならわたしも幸せに生きられるんじゃないかってよく考えたんです」


「わたしが怖くはないのか?単なる異世界人ではなく、魔王だぞ」

「むしろ、親しみを感じますね。なぜかはよくわからないんですけど」


不思議なことだが、魔王も同感だった。

こちらではまだそれほど人とは出会っていないが、胡桃からはどこか安心感みたいなものが感じられた。

魔王は胡桃の横顔をじっと見つめた。


「な、なんですか」


熱い視線に戸惑いつつも、胡桃は信号が青になったことを確認して車を発進させた。


「いや、もしかしたら、この体、橘悠太が貴様のことを好きだったのかもしれないと思ってな」


恋人ではないと胡桃は言っていたが、それは橘悠太の感情を否定するものではない。


「それはないですね。昨日も言いましたけど、橘先生はそういう感じの人じゃないんです」

「恋心を隠すため、あえて何にも興味を持たないように見せかけていたのではないのか」


「そんな器用な人には見えませんでした。もし橘先生が誰かを好きになったら、その感情を隠すことはできなかったと思いますよ」

「断言できるのか」


はい、と胡桃はうなずいた。


「わたしは小さい頃から大人の表情をうかがってきたから、そういうのには自信があるんです」

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