癒しと呪い5
「先生、いつになったらちゃんと授業するんですか?」
魔王は相変わらずまともに授業はしていなかった。
いつも椅子に座り、あとは生徒の自習に任せていた。
この日もそうだった。お昼休みの終わった五時間目の授業、魔王はすぐに教壇から降りていた。
何もしていないわけではない。
図書室から持ってきた本を読んで過ごしている。魔法について書かれた本を読むことで、帰還へのヒントを探ろうとしていたのだ。
「わたしにはわたしの仕事がある。貴様たちは自分のすべきことをしろ」
「でも、いくらなんでも長すぎませんか、自習。もう2ヶ月くらいずっとこうですけど」
「本来の橘悠太が戻ってきたら教えてもらうといい。わたしが無理に教えるよりも、その方が効率的だろう」
「戻ってくるんですか?」
「さあな。確かなのは、わたしは一生このままでいるつもりはないということだけだ」
「じゃあ、なんなら向こうの世界の歴史を教えてもらえないですか」
「なぜだ」
「だって橘先生、総合歴史の教師ですよね」
魔王は教壇に戻り、教科書を見下ろした。確かに総合歴史と書いてある。そう言えば胡桃にもそんなことを言われた記憶がある。
「総合歴史とはなんだ?」
「え、そんなことも知らなかったんですか」
生徒が一様に引いた。
「不要なものに意識を向ける必要がなかっただけだ」
魔王は教科書をパラパラとめくった。これもはじめてのことだった。
「フム、ざっと見た感じでは人と魔法との歴史を世界単位で記してあるようだな。これは思いのほかためになるかもしれない」
魔王は最初のページに戻り、内容を確認した。魔法の起源について書いてあると思ったからだ。
しかし、そこに記してあったのは、
「……悪魔狩り」
古代のヨーロッパで起こった悲劇だった。
魔法という力がまだ一般にまで浸透していなかった時代、魔法を使えるものは迫害を受けていた。
決して魔法によって権勢を振るっていたわけではなく、むしろ細々と暮らしていたのに、普通の人間からは危険だと見なされ、次々と命を奪われたという。
魔王は眉をひそめた。
「妙だな。魔法を使える人間がなぜ追い込まれる?その力を使えばいくらでも反撃できただろうに」
「数が違うからじゃないですか。いまもそうですけど、普通の人間のほうが圧倒的に多かったんですよ」
「それに、そこまでの迫害を受けたのならいまだに魔法がこの世に残っているのも不思議だな。魔法を使えるものが限られているなら、その血筋が途絶えた時点でなくなりそうなものだが」
「魔法士は血筋が全てではないんですよ」
「そんなことはわかっている。わかってはいるが」
そのとき、教室のドアが勢いよく開いた。
「た、橘先生!」
胡桃だった。肩が上下に揺れるほど息を切らせていた。
「なんだ、授業中だぞ」
「してないでしよ!いや、それよりも早く来てください!」
胡桃は魔王に近づき、その腕を取った。
「だいぶ慌てているようだが、まずは理由をいえ」
「いいから、とにかく来てください!」
強く腕を引き、胡桃は魔王を連れて教室を出た。
そのまま向かった先は一階にある一年生の教室だった。
1ーAの教室のドアを開けると、クラスは騒然としていた。教師の二人が突然入ってきても、誰もそちらには注意を払わなかった。
生徒の多くがある一点を見つめていた。窓際にある後方の席。そこに座る生徒が立ち上がり、悲鳴を上げた。
「な、なによこれ、いったいどうなってるのよ!」
一人の女子が立ち上がり、手鏡で自分の顔を確認していた。
明らかにうろたえていた。それも当然だった。その女子の見える部分、顔や手などが異様に変色していたからだ。
青黒いまだら模様によって肌が支配されていた。見た目はゾンビのようで、周囲の生徒はあからさまな距離を取っている。
「あれは、新城綾香だな」
「……よくわかりましたね。こんなに離れているのに」
二人はまだ廊下から教室を眺めていた。
「さっき会ったばかりだからな」
「顔色もだいぶ変わってるのに?」
「髪型でわかる」
じーっと胡桃は魔王を見つめた。
「言いたいことがあるのなら、さっさと言え」
「心当たりはないんですか」
「まるで、新城綾香の変化がわたしの責任であるかのような言い方だな」
「違いますか?お昼休みに新城さんと話したんですよね。その直後にあんな状態になったんですよ」
「自業自得というやつだ」
魔王はそう言って教室に足を踏み入れ、綾香の近くに立った。
「ずいぶんな変わりようだな、新城綾香」
綾香はいま気づいたかのようにハッと魔王を見た。
「橘、先生」
「その顔はどうした。何か悪いものでも食べたのか」
「こ、これは」
「思春期の女子にこのようなことを言うのは心が引けるが、不気味だな。とてもじゃないが、人間とは思えない」
「っ」
「貴様は確か地元組だったな。さっさと親に連絡して、病院にでも行ったらどうだ。そのままだと死ぬかもしれないぞ」
「あんた、なの」
「なにがだ」
「あんたに会った直後にこうなった。魔術でも使ってわたしになにかしたんじゃないの!」
「ああ、そうだが」
と魔王はあっさりと認めた。
綾香は魔王の首もとをつかんだ。
「直しなさいよ、早く元通りにしなさいよ!」
「なぜだ」
「なぜって、あんたの仕業だって認めたでしょうが!」
「無理だ」
「え?」
「貴様の体にはわたしが異世界から召喚した死霊が取りついている。それは貴様の命を奪うまで活動をやめることがない。死霊を元の世界に返すことは可能だが、すでに体に定着しているものを無理やり剥がそうとすれば、貴様の命はまずないだろう」
霊にはいくつもの種類がある。死霊は怨念の残された幽霊のことで、人に取りつくとその生命力を奪うとい特性がある。
「ふ、ふざけないでよ!あんた、なんの権利があってそんなことするのよ!」
「貴様が三田茜にしたことと何か変わるところがあるのか?」
「は?」
「貴様がいじめた三田茜は自殺をはかった。もしわたしが助けなければ確実に死んでいただろう」
「復讐のつもりだっていうの?なんの関係もないあんたが?」
「同じ立場を味わってみて、どんな気分だ?」
魔王は教室を見渡した。生徒の多くが表情をひきつらせていた。
魔王の言葉ではなく、それは綾香への嫌悪感だった。
クラスの誰もが綾香からあからさまに離れていた。彼女に近づくと自分もああなってしまうという恐怖感が現れていた。
「この苦痛を三田茜は感じていたわけだ。貴様にも同じ体験をしてもらう」
「冗談、でしょ。わたしに死ねって言うの!」
「報いを受けろ。貴様の罪は命で償え」
「警察に通報したら、あんたどうなるかわかってんの!」
綾香は携帯を取り出した。
校内への持ち込みは禁止されていたが、マナの影響で使いづらくなっているのでチェックらしいチェックは行われてはいなかった。
「勝手に呼べ。人間にわたしを押さえつけることは不可能だ」
綾香は奥歯を噛み締めた。学園坂を森に変えた魔術はその目で目撃していた。
魔王が本気でやれば、おそらく警察などは相手にならない。魔法士が中心の特務部隊でも敵わないのかもしれない。
「実は助かる方法がないわけではない。それは耐えることだ。死霊とはいえ、その存在は永遠のものではない。人の生命力を完全に取り込む前に消滅することもある。それまで生きていれば、貴様の勝ちだ」
「……いつまで、なの」
「一月も耐えれば充分だろう。それまで貴様が生きていればの話だがな」
そう言って魔王は教室を出ていった。




