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娘として8

窓を開け放つと、生暖かい空気が室内に流れ込んできた。


いまは梅雨の時期。

しかし、空には雲ひとつない青空が広がっていた。雨が降る様子はなく、一気に夏へと移り変わりそうな気配が漂っていた。


穏やかな大気を胸に吸い込むと、麗は少しだけ元気になれた気がした。

彼氏が殺され、父親は逮捕されてしまった。


辛い経験が続き、三階の病室から下を見下ろすと、ほんの一瞬自殺願望がもたげることもあったが、いまはなんとか平常心を保てていた。


「入るぞ」


その声と同時にドアが開き、魔王と胡桃の二人が室内に入ってきた。


「どうやら、元気そうだな。普通の人間なら心が壊れていてもおかしくはないが、顔色もそこまでは悪くはない。芯の太さはさすがヤクザの娘といったところか」

「なんの用?」


麗はそういってベッドに腰をおろした。


「教師が怪我をした生徒の様子を見に来るのは当然のことだろう。胡桃はとくに担任だからな、放っておくわけにもいかない」

「来栖さん、具合のほうはどうですか?」

「別に、悪くはない」


これは半分くらいは事実だった。

父親が逮捕されたことで、組は解散を余儀なくされた。

散々ヤクザの娘というレッテルに悩んできた麗にとって、それは前向きな変化であることも確かではあった。


「怪我のほうはどうですか?」

「もう、治ってる」


幸い、あの銃弾は致命傷とはならなかった。

肩の、しかも骨のないところを貫通したので、傷跡は残るものの、比較的軽傷で済んでいた。


事件についてはすでに決着がついていた。

部下から恋人の殺害を知らされた麗が父親に詰め寄り、口論になったこと。


激情にかられ玄三が銃を放ち、娘に怪我を負わせたこと。


警察や救急車が駆けつけたときは佐伯涼の姿はそこにはなかった。説明が面倒になるので、魔王が離れた場所へとその体を移していたからだ。


「父親の供述は聞いたか?」


魔王の問いに、麗は首を振った。


警察からの事情聴取は一度あったが、それ以降は体調不良を理由に拒んでいたので、父親が警察でなにを言ったかもまだ知らなかった。


玄三はすべてを認めていた。

自分の指示で佐伯涼を殺したことも。


不思議なことに、ゾンビ化した佐伯涼については言及はしていないようだった。

もしも魔王がそのようなことをしたといえば、捜査はもっと長引いたかもしれない。


「なぜ、佐伯涼を殺したのか、それについては貴様のためだったと述べているようだな」

「え?」


玄三もひとりの親だった。ヤクザの子供として生きる娘のことは常に心配していた。


だから娘に魔法の才能があると知ったとき、玄三は喜んだ。魔法士は特別で貴重な存在。

過去も家系も問われない。これで麗は家を出て自立することができる。


しかし、そこに現れたのが佐伯涼だった。


玄三は極秘裏に佐伯涼を呼び寄せ、別れを迫った。

佐伯涼はその時点で大学をやめ、海外へと飛び立つことを決心し、麗も卒業後に呼び寄せるつもりだと言った。


玄三は納得できなかった。

様々な不満があった。海外に娘をつれていくということ。魔法士としての道が閉ざされること。

ダンサーという不安定な職業。

二人が別れないという保証はなく、そうなれば娘はさらに窮地に追い込まれる。


ヤクザらしく脅したが、佐伯涼は引かなかった。

その態度が玄三には不愉快だった。娘のことを考えているようには見えなかった。


魔法士の成長過程では、その土地のマナとじっくり体や心を馴染ませる必要がある。

そのため、十代のうちに海外に長期滞在してしまうと、魔法士としての能力が落ちる、またはなくなってしまうとされている。


その点を佐伯涼は真剣に考えているようには見えなかった。

玄三にとっては娘を魔法士にすることが幸せに繋がると考えていたが、佐伯涼は魔法士そのものに興味がなかった。自分の夢、それだけに邁進していた。


「そうして貴様の父親は佐伯涼を殺した。親心が暴走してしまったわけだな。娘を魔法士にするために、そうしなければならなかったと、警察では述べているようだ」


麗はそんなことは知らなかった。彼氏が本気で海外へと自分を連れていこうとしたこと、そして父親がそこまで魔法士にこだわっていたことも。


麗にとって魔法士は確かに希望の光だった。

彼氏に誘われても海外へ行くつもりになったかどうかは怪しい。言葉の通じない海外生活にも自信はない。


「……言ってくれればよかった。そうすればこんな結果にはならなかったのに」

「父親に同情する気持ちが残っているのか」

「そうじゃないけど」


「貴様の父親は人を殺した。しかも相手には落ち度はほとんどない。もし少しでも父親に同情する気持ちが芽生えたのなら、結局は佐伯涼に対する恋心も偽物だったということだろう」

「橘先生、いまの来栖さんは弱ってるんです。そのような発言は慎んでください」


胡桃の注意にも、魔王は意に介さなかった。


「過去を吹っ切るくらいの覚悟が必要だと言っている。父親も彼氏ももういない。頼れるのは自分しかいないと気づくべきだ」


麗には母親や兄弟はいない。母親はすでに病気でなくなっていた。


「なんにせよ、これで貴様も前に進むことはできるだろう。今後は父親も彼氏も忘れて、魔法士としての鍛練に励むんだな」

「橘先生、来栖さんは病み上がりなので、長居するのはよくないです。もういきましょう」

「フム」

「それじゃあ来栖さん、しっかり休んでくださいね」


魔王と胡桃が病室を出ていこうとすると、


「……感謝をしろとでもいいたいの」


と麗が呟くように言った。


魔王と胡桃は足を止めた。


「自分のおかげで父親を排除することができた、そう言いたげよね」

「何を言ってるんですか、来栖さん?」


麗はベッドから立ち上がり、魔王の前に立った。


「そうでしょ橘、いえ、魔王。あんたが銃を撃たせたんでしょ」

「……」

「わたしはしっかりと見ていた。父親が引き金から指を離したところを。でも、なぜかその直後弾は発射され、わたしの肩を貫いた」

「わたしのせいだと?」


「それだけじゃない。弾の軌道もおかしかった。長身の彼の頭へと銃口が向いていたはずなのに、なぜか途中で弾丸がカーブを描くようにしてわたしの肩へと方向を変えた。どう考えても、物理法則を無視した軌道だった」

「ま、まさか、橘先生」


魔王はうなずいた。


「正直に言う。感心したぞ、来栖麗。あの緊迫感のなか、そこまで冷静に観察するとは、並大抵の度胸ではできないことだ」


玄三に銃を撃たせたのは魔王の仕業だった。


娘を前にした玄三が拳銃を手放そうとしていることが魔王にはわかった。

それではまずい、と魔王は思った。ここで玄三を排除しなければ、麗は一生過去に囚われたままになる。


小規模の範囲なら、魔王は離れたところにも召喚することができる。

魔王は拳銃の引き金のところにわずかな重力を召喚し、弾丸を発射させた。


その後、再び重力によって弾丸の軌道を変え、麗の肩を貫くようにした。

佐伯涼の殺人だけでは立証できない可能性があったので、玄三にはもっとはっきりとした罪状が必要だと魔王は判断したのだ。


「貴様は確かに傷を負った。しかし、その傷のおかげで家柄と決別することができ、男の敵も打つことができた。この世界で言うところの一石二鳥、というやつではないのか」


「それが教師のやることなの?普通の感覚じゃない。生徒を犠牲にして決着をつけるなんて、狂ってる」

「わたしは人間ではない。貴様たちの感覚で判断されては困る。そもそも、それを知った上でわたしに父親をどうにかしろと依頼しようと考えたのではなかったのか」

「……」


「感謝をしろとは言わない。わたしはすべきことをしたまでだ。ただ、一つだけ約束をしろ」

「約束って、なにを」

「包丁を盗んだ店に謝りに行ってこい。学校に戻るのは、それからだ」


そう言って魔王は病室を出ていった。

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