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新しい人生。

昼休みの出来事だったので、複数の生徒の力を借り、魔王は保健室へと運ばれた。

魔王が目覚めたのは放課後に突入する直前のことだった。


「ようやくお目覚めね」


魔王に声をかけたのは白衣を来た女性。

養護教諭の浅木クレアだった。


ハーフらしいくっきりとした顔立ちに、メリハリの効いた体。

比較的怪我の多いこの学校では誰もがお世話になるといっても過言ではないこの保健室の主だった。


「なんだ、貴様は」


魔王はベッドで上体を起こして言った。少し寝たからか、頭痛はすっかり収まっていた。


「なんだはこっちの台詞よ。橘先生あなた、自分が何をしたのかわかってるの?」

「橘先生とは誰のことだ」

「あなたよ、あなた」


クレアは人差し指で魔王の鼻をつついた。


「教師が自殺未遂だなんて、とんでもないことをしてくれたわね。しかも、よりにもよって校舎からの飛び降りなんて、生徒にぶつかったらどうするつもりだったのよ」


自殺。確かにそうだ、と魔王は思った。勇者に殺されるくらいなら、と自分は魔王城から落下した。

はずだが。


「魔王城はどこに行ったのだ?」

「は?」

「魔王城だ。魔族の象徴であり、わたしの住み処でもある」


一度気絶しても、景色はさほど変わっていない。ということはこれは幻影ではないということだ。


「打ち所が悪かった?」

「あ、目覚めたんですね」


保健室のドアが開き、落下した魔王に一番先に駆け寄った女性が部屋に入ってくる。


「全然平気そうだよ、頭は強く打ったらしいけどね」

「まだ混乱しているんですね」


そう言ってベッドの魔王に近づいたのは、芹沢胡桃。数学を担当する教師で、生徒からからかわれるほどに見た目は幼い。


「一時的な混乱というより、行くところまで行った気もするけどね」

「勇者とか言ってませんでした?」

「逆、魔王とか言ってた。ゲームのやりすぎかね」

「おい、二人だけで話すな」


魔王が不満げに言い、立ち上がろうとした。

しかし、まだ体が完全ではないため、すぐにベッドへと腰を下ろす。


「く、なんだ、この体は。全然言うことをきかない」

「当然ですよ。屋上から飛び降りたんですから、生きているだけで奇跡なんですよ」

「……」


魔王は胡桃の顔をじっと見つめた。


「幻影でないのなら、貴様たちはなぜここにいる?」

「幻影、ですか」

「それとも、衝撃が足りなかったのか?」


魔王は再び拳をつくり、自分の顔を殴ろうとした。


「な、何をするんですか、また気絶しちゃいますよ!」


胡桃は魔王の手を慌ててつかみ、言った。


「……人の感触があるな」


魔王は逆に胡桃の手を握り、その感触を確かめるように何度も握った。


「やはり幻影ではない。これは本物の感触だ。ということは貴様、人間だな」

「そ、そうですけど」

「一般の人間がこちらまでやってくるはずがない。ということはここは人間の国、ということか」

「人間の国、ですけど」


そういうことか、と魔王は思った。自分が落下の衝撃で気絶している間に、勇者たちは自分の体を自国へと運んだのだ。


いったいなんの目的で?

そこがさっぱりわからない。


もし尋問をする気なら拘束をするはずだが、監禁されてすらいない。自由に動け、手足にも何もついてはいない。


「単なる間抜けか、それとも慈悲深いところを見せてわたしを懐柔しようとでもしているのか?この魔王に恩を売り、人間の手下として働けと?」


そこまで言ったところで、魔王が眉をひそめる。


「やけに小さいな」

「なにがですか?」

「この腕だ。いや、体全体というべきか。一回りサイズがダウンしているような気がする」


魔王は次に胡桃と自分の体を見比べて続けた。


「大して変わりがない。腕も胴もほとんど同じだ。魔族と人間の大きな違いは体格のはずだ。こんな棒切れのような腕でどうやって戦えと?」


わたしが眠っている間になにか肉体を弱体化させる薬でも飲まされたというのか、と魔王は考える。

そんなものが存在するとは信じられないが、他の可能性が思い付かない。


「えっと、その、魔王、なんですか?」


魔王は魔王でかなり混乱していたが、それは胡桃も同様だった。

見知った教師が自分のことを魔王などと口走っている、しかも自殺未遂の直後に。


頭を打ったから?


それにしても、この変わりようには違和感を覚える。胡桃の知る「彼」は寡黙な教師で、ファンタジーとは縁遠い人間のように見えた。


自殺を考えるほど悩んでいたのなら、現実逃避をしたくなる気持ちもわかる。

ただ、普段の様子からは特別な何かがあったようには見えなかった。


「ふん、白々しい。わたしが魔王であることは、貴様たちも知っているだろう」

「すいません、わたしは魔王についてよくしらないんですけど、魔王とはどんなものなんですか?」


とりあえず胡桃は刺激しないよう、相手に合わせることにした。


「そうか。末端の市民なら魔王は物語にしか存在しないようなものなのかもしれない。しかし、この猛猛しい角を見れば」


魔王は自分の頭に手を置いて、固まった。そこにあるはずの猛猛しいまでの突起物が。


「ない、角が。折られた?いや、人間がそう簡単に折ることなどできない。そもそも、角の痕跡すらない。なぜだ」

「これで確認しますか?」


胡桃は自分の手鏡を魔王に差し出した。

魔王は手鏡を受け取り、自分の顔を確認し、驚愕した。


「こ、これは、人間ではないか!」


鏡に写ったのは自分の顔ではなかった。どこか頼りなさそうな顔をした人間の男の顔だった。


「とりあえず、説明したほうがいいですよね。あなたは橘悠太。この聖凜魔法学園の教師で、二十五才の独身。担当は二年A組、霊剣部の顧問でもありますね」


魔王は口を大きく開け、何度もまばたきを繰り返した。

鏡のなかの男性はその通りに表情が変化をした。


自分は人間になっている、とさすがの魔王も認めざるを得なかった。信じがたいことだが、それ以外には考えられなかった。


でもなぜ?なぜこんなことになった?


人間に体を作り替えられた?

いや、さすがに人間でも顔も体も全部作り替えることなどできないはず。そもそも、そんなことをする理由がない。


魂を他人に移した、ということならどうだろう。

そんな魔法は聞いたことがないし、可能だとも思えないのだが。


「これはどういうことなのか、説明してくれ」

「これは、というのは?」

「わたしが人間になってしまった理由だ」


胡桃はクレアと顔を見合わせる。


「あの、橘ーー魔王様、飛び降りたときのことは覚えてますか?」

「……覚えている」

「どうして死のうなんて考えたんですか?」


「勇者たちに追い詰められたからだ。やつらに殺されるくらいなら、自ら命を絶とうと思ったのだ」

「勇者と戦っていた、ということですか」

「そうだ」


「じゃあ、あなたは悪者、ということですか?」

「違う。なぜそうなる」

「だって、勇者は正義の味方ですよね。その人に倒されたということは、あなたは悪者といつことになります」


「勇者という呼称を使っているのは人間側がそう呼んでいるからだ。人間のほうが数が多く、一人一人の名前を覚えるのが面倒だからそうしているにすぎない。日本語では勇者は正しい」


と言ったところで魔王は「ん?」と首を傾げた。


「日本語?わたしは日本語というものを口にしているのか?」

「ダメだね、これは。もう一生戻らないのかも」


クレアが呆れたように言った。


「諦めるのは早すぎますよ。まだ目覚めてまもないんですから」

「記憶が混乱してるならまだいいよ。でも、魔王とか勇者とか、普通の日本人なら出てこない単語だろ」

「日本人?」


魔王がそう聞き返すと、クレアはうなずいた。


「そう。あんたは日本人。そして日本には魔王も勇者もいない。わかる?」

「日本というのは国の名前なのか?」


「そう。日本に住んでるから日本人。そしてあんたがさっきからしゃべってるのも日本語。魔王語でも勇者語でもない」

「日本などという国、聞いたことがない」

「日本語で言ってる時点で矛盾してると思うけどね」


魔王は人間の国のことはよく知っている。長らく戦争状態にあったのだから当然だ。


人間と魔族は大陸をそれぞれ中央から分断するようにして支配をしていた。北が人間、南が魔族。

二つの種族は相容れることなく、長年争いを繰り広げていた。


人間の国はかつてはバラバラな状態で魔族と戦っていたが、それでは魔族には対抗できないとあるときに悟って国家連合へと移行し、それがやがてひとつの国として成立するようになった。


それだけに情報は整理されていて、魔王も人間の国の地理には明るかった。


「日本というのは大陸のどの辺りにある国なのだ?」

「日本は島国だよ。大陸とは繋がってないんだ」

「なるほど、未開の地というわけか。だから言語体系も異なっているのだな」


だからといって自分が日本語をしゃべれる理由にはならない、と魔王は悩みを深くする。


「治りそうにないのなら、いっそ病院に連れてくってのはどう?本来屋上から飛び降りたなら、救急車とパトカー呼ばなきゃいけない案件なんだしさ」


魔王は日本語をしゃべっているし、パトカーや救急車などという単語も理解することができていた。


そう考えると単純に未開の島に運ばれた、という理屈には納得できない。やはり魂が移されたとしか……。


「わたしの体はどこにやったのだ」

「そこにあるでしょ」


クレアは魔王を指差して言った。


「わたしの元の体だ。魂を移す前の」

「そんな簡単に移り変われるんなら、あたしがとっくにここの生徒を襲ってるよ」

「クレアさん、冗談でもそんなこと言ってはダメですよ」


「なら、この痛々しい男をさっさとどこかにやってくれない?魔王がそんなに好きなら、異世界をもののアニメとか見せてやれば納得するかもしれないからさ」

「異世界……」


その単語を聞いたとき、魔王の頭にはある会話が浮かんだ。

それは先王である父親がまだ健在であるときに聞いた話だった。


魔族はもともとこの世界には存在しておらず、異世界からやってきたのだということを。


だからこそ、魔族と人間は争っているのだということを。


その当時は半信半疑で聞いていた魔王だったが、もしも本当に異世界へと移動する魔術があったのなら?

そう、あのペンダント。


あれに強力な魔力が込められていて、異世界とのゲートを開けるような役割を持っていたとしたら?


ペンダントに込められた魔力だけでは肉体そのものの転移は難しく、しかし意識だけを飛ばすことは可能だとしたら。


「……日本という国以外の国の名前を教えてくれないか」


胡桃は丁寧に一つ一つ国名を上げていった。そのどれも魔王は知らなかった。


そもそも、どれだけ大陸から離れていたとしても、魔族と人間の争いを知らないなどありえないし、勇者の仲間でなければこっそりと人の倍はある魔王の体を運び出すこともできない。


「どうやら、わたしの意識だけがこちらへと飛ばされたようだ」

「なんで?」

「ふむ、一から聞かせてやろう」


魔王はかつての世界で何が起こったのかを二人に説明した。

キョトンとした顔でそれを聞くクレアと胡桃。


「異世界から来たってこと?」

「そう考えるのが一番自然だ」

「勇者に追い詰められ、身投げした直後に地球に魂が飛ばされ、運がいいのか悪いのか校舎の屋上から飛び降りた教師に乗り移ったってこと?」


「そのようだな」

「そんな偶然あると思ってるの?」


クレアは疑わしそうに謂うが、魔王はひとり納得している。


「すでに結果は出ている。貴様たちが信じるかどうかはもはや意味はない」

「証明できるの?」


馬鹿馬鹿しいと思いつつも、クレアはそう聞いた。


「さきほど魔法学園と言っていたが、この世界にも魔法は存在しているのだな」

「ええ」


「なら、魔術はどうだ」

「魔法も魔術も同じじゃないの?」

「全く違う」


魔王のいた世界では魔法と魔術は完全に区別されていた。魔法は精霊エネルギーを利用してなにかしらの現象を引き起こすもの、魔術は異世界の力を借りるものだった。


魔術は魔族、魔法は人間が扱うものだとはっきりとわかれてもいた。

魔王は魔族なので当然魔術を扱う。魔王は魔族の頂点に君臨していたので、当然魔術の腕前も一流だった。


「つまり、魔術は召喚術ってこと?」

「そう考えて間違いはない」

「召喚術なんか聞いたことがないね。クルミちゃんはどう?」


「わたしもありません」

「なら、魔術を披露すればわたしが異世界の存在であることを証明できる、というわけだな」


そういって魔王はベットから立ち上がった。今度はめまいなど起こさなかった。


「ちょっと待った。まさかここでその魔術を使うつもりなの?」


クレアはその話をすべて信じたわけではなかったが、魔王の自信に満ちた態度には何か不安を覚えるところがあった。


「安心しろ。周囲に危害を加えるようなものを呼び出すことはしない」

「っていうか、仮にあんたの言うことが事実だとして、別人になっているなら魔術そのものが使えないんじゃないの?」


魔王は右手に拳をつくり、それをじっと眺めた。


「いや、わたしにはわかる。体が変わっても、能力そのものか失われたわけではないということが」


魔王は胡桃とクレアの二人を交互に見た。


「さあ、望みものを言え。わたしは魔王だ。いろいろな世界に接触することができるから、基本的に不可能なことはない」

「なんでもオッケーなの?」


「魔術には二つの種類がある。それはわかるな」

「わかるわけないでしょ」

「完全召喚と限定召喚だ」


完全召喚はこちらの世界の物を移すこと、限定召喚は一時的に力を借りたりすることを意味する。


前者のほうが難易度は高く、人間など意思のあるものを呼び出すことはほとんどできない。一方限定召喚は比較的簡単で、短時間ならあらゆるものを呼び出すことができる。


「じゃあ、猫でお願いします。かわいそうなので、限定召喚にしてください」


胡桃が軽く手を上げて言った。


「猫か。それなら容易いことだ。どこの世界にも存在しているからな」


魔王は目を閉じ、ベッドの上に手を置いた。意識を別世界へと繋ぎ、その世界の言語で猫を呼び出す。


手のひらが熱を持ち、エネルギーの塊が一点から生まれる。魔王が手を持ち上げていくと、魔王の意思に応じた世界の断片がそこへと出現する。


そこには確かに猫がいた。猫がいたが。


「ん?」


クレアはその猫を人差し指でつついた。指先に硬い感触があった。毛や脂肪の柔らかさは一切なかった。


「これって木彫りじゃないの?」


その猫は生きてはいなかった。完全に制止していて、色合いも落ち着いた木目調で統一されていた。


木彫りの熊ならぬ木彫りの猫で、細い髭までもが再現された精巧な置物であることは間違いがなかった。


クレアと胡桃は一斉に吹き出した。生きている猫を期待していたのだからそれも当然であった。


召喚という魔術を目の当たりにしたことは驚きでもあったのだが、それ以上に自信満々だった魔王とのギャップがおかしくて仕方がなかった。


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