橘先生と魔王の犯罪7
栗沢家につくと、なにやら騒がしい声が耳に届いてきた。
玄関のドアは開いていたので、魔王と胡桃の二人はさっそく急いで中に入った。
声のする二階へと駆け足で上がる。
声の出所である階段に近いすぐそこの部屋に入ると、有華とその母親がもみ合っていた。
「落ち着きなさい、有華、ねえ、落ち着くのよ!」
ベッドの上で暴れている有華を、母親が必死になっておさえているという状況だった。
有華が何をしようとしたのかは、ベッドに落ちているもので胡桃にもだいたい想像することができた。
「まさか栗沢さん、自殺を」
胡桃はナイフを拾い上げ、そう言った。
母親は有華を押さえながら、
「ええ、病院から帰ってからずっとこの様子で」
「産婦人科でなにかあったんですか」
「実は、子供が」
「子供が?」
「いなくなったんです」
有華の口から悲鳴が上がった。切り裂くような泣き叫ぶような、そんな声だった。
「いなくなったって、どういうことですか?」
「さ、さあ、わたしに言われても」
「だってもう三ヶ月が過ぎてるんですよね。エコーでもはっきりと確認できたんですよね」
「見間違いかもしれないと、医者の先生は言ってましたけど」
「妊娠をしていなかった、ということですか」
「そんなはずない!」
有華は泣いていた。大粒の涙で頬を濡らしながら、お腹を押さえていた。
「わたし、わかってた。このお腹に赤ちゃんがいるのがわかってた。間違いなわけない!」
「でも、お医者さんは確認できないって」
「おかしい、そんなのおかしい!」
「勘違いだったのよ。赤ちゃんが突然消えるわけがないもの」
「……突然消える?」
胡桃はそう呟くと、魔王のほうを見た。
そしてその腕をつかみ、部屋を出た。そのまま階段を降り、玄関から外に出た。
「どうした胡桃。何か言いたそうだな」
「橘先生、わたしはあなたを信じたいです」
「散々わたしを疑った人間の言葉には思えないな」
「例え魔王の心を持っていたとしても、決してやってはいけないことが世の中にはあります。わかりますね」
「ふむ」
「例え魔王、魔族であっても、生命として誕生した以上、どの世界に生まれようとも最低限の心というものが要求される、わかりますね」
「貴様は誤解をしているようだが、魔族は決してデタラメな存在ではない。力という秩序に支配されているだけで、まっとうな社会性は維持されている。そこを勘違いするな」
「命を尊重する文化がある、ということですか」
「当然だ。意味のない暴力は禁止されているし、同胞が死ねばみなが悲しむ」
「だったらなぜ、人の命を弄ぶような真似をしたんですか」
「……」
「橘先生、あなた、赤ちゃんを召喚しましたね」
胡桃の指摘に、魔王は眉一つ動かさなかった。
「栗沢さんの赤ちゃんがなぜ突然いなくなったのか、そう考えれば納得がいきます。この前、犯罪組織のアジトに入ったとき、あなたは栗沢さんのお腹をさすった。そのとき、異世界から赤ちゃんを召喚したんじゃありませんか」
「だったらどうだというのだ」
魔王は悪びれもせずに認めた。
胡桃の言ったことは事実だった。
魔王は有華のお腹に触ったとき、異世界からちょうどよい感じの赤ちゃんを召喚した。
「自分が何をしたのかわかってるんですか!あなたはしてはいけないことをしたんですよ!」
「わたしはただ、自分の無実を証明しようとしただけだ。栗沢有華に子供が出来たと知れば、さすがに父親をごまかすことはできなくなる。そうすれば関係を持った相手を白状するはずだ。あの女がすでに性経験があることはにおいでだいたいわかったし、もしそうでなかったとしても赤ん坊が消えれば頭のおかしな女として処理される。わたしにとってまずいことはなにひとつない」
「自分が助かれば何をしてもいいと?生徒を傷つけても構わないと?そう言うですか?」
「向こうから仕掛けてきた戦いだ。わたしはそれに乗ったにすぎない」
「栗沢さんの気持ちを考えたことはありますか?彼女が子供の将来を考えてどれだけ自分の行いを悔いたか、あなたはそれを考えたことはありますか?」
「栗沢有華が仮に反省していたとしても、それは勝負の終わったあとのことだ。やつがわたしの犯行を否定した時点でこちらの勝ちは決まった。その後何をしようと興味はない」
「ゲーム?それが教師の、人の言うことですか!」
わたしは教師でも人間でもない、と魔王はさすがに言わなかった。
胡桃はそういうことを言いたいわけではない、ということくらいわかったからだ。
ただ、なぜ胡桃がここまで怒っているのかはわからなかった。栗沢有華の被害というものは実際にはない。
少し悲しい思いをしたかもしれないが、不良グループと手を切るきっかけになったとすればメリットもある。
「これをきっかけにしてまともな道を歩くなら、むしろ教師として喜ぶべきことではないのか」
「栗沢さんの涙を見て、何も感じなかったんですか。心が痛まなかったんですか。赤ちゃんのほうだってそうです。他の世界には赤ちゃんを失った母親がいて、栗沢さん同様に彼女もまた嘆き悲しんだはずです」
「安心しろ。召喚した赤ん坊は検査が未熟な地域から呼んだ。まだ妊娠にも気づいていない女のものだ。赤ん坊がいなくなったという自覚すらなかっただろうし、戻ってきたという感覚もないだろう」
魔王の頬が鳴った。胡桃のビンタによってぶたれたからだ。
「赤ちゃんは物ではありません、大人が好き勝手に利用してはいけないんです!」
「何を怒っているのだ貴様は」
「自分では何もできない赤ちゃんだからこそ、大人が責任を持たなくてはならない。そんなこともわからないんですか」
「わたしと貴様は過ごした世界が違う、だから感覚や物差しも違う。それだけの話だろ」
「あなたは魔王だと言いました。勇者と戦い、多くの仲間を失った。そのとき、あなたの心は痛まなかったんですか。もう自分達の子孫が生まれてこないことに絶望を感じなかったんですか」
「わたしと部下には長い時間によって育まれた関係性がある。栗沢有華と一緒にするな」
「赤ちゃんが母親の胎内で過ごす時間は限られている。例え一緒にいた時間が短くても、それは栗沢さんにとってはかけがえのない濃縮された二人ぶんの人生だったんです」
「……」
「栗沢さんは子供です。あなたにひどいことをしたのもその未熟さからです。でもだからこそ刺激に敏感で、成長速度も早い。早いからこそ、見落としてしまうものもたくさんある。わたしたち大人はそれを拾い、子供たちに届けるのが仕事じゃないですか」
「……」
「あなたはきっといつもひとりなんですね。だから誰かが近くを歩いていることに気づけない。魔王様が孤独だというのはよくわかりました」
「……こんな場所でいつまでも長話をしているわけにはいかない」
魔王はそう言って玄関のほうへと歩みを進めた。
「何をするつもりですか」
「栗沢有華に謝ればいいのだろ。それでこの騒動をおしまいにする」
「ダメです。余計に混乱します」
「なら、どうしろと」
「帰ってください。いまのあなたにできるのはそれだけです」
胡桃は道路の向こうの方へ人指し指を向けた。
ここまでは車で来た魔王だったが、歩いて帰ることにはなんの抵抗もない。自宅の方向もだいたいわかる。
「わかった。そうしよう」
そして魔王はひとり、歩き始めた。




