橘先生と魔王の犯罪4
ケルベロスの嗅覚は凄まじく、車内からでもにおいをかぎ分けることができた。
ハンカチは洗われたばかりのものではあったが、そんなことは些細な要素のようだった。
ケルベロスによって導かれたのは郊外に建つマンションの前だった。そちらを見てワンワンと吠えるケルベロス。
「この部屋のどこかにいるようだな。とりあえず車を駐車場にとめろ」
「え、でも住人じゃないとこういうとこって止めてはいけないんじゃ」
「緊急事態だろ」
そういわれると胡桃としても反論できない。
幸い郊外とあってマンションの駐車場は広く、空きも多かった。
「あとは部屋の確認だな」
「まさか、ケルベロスも連れていくつもりですか」
「当たり前だ。ひとつひとつ部屋をノックして確認するわけにもいかないだろ」
「マンションの住人にケルベロスが見つかったらどうするんです。大騒ぎになって栗沢さんどころの話じゃなくなるかもですよ」
「見つからなければいいわけだろ」
魔王は車を降り、ケルベロスの顔をいろいろな方向に向けた。マンションは七階建てで、ケルベロスは高いところを見上げていた。
「どうやら、最上階のようだな」
「なら、そのケルベロスを早く還してあげてください」
「どの部屋かまではわからない。もっと近くに寄る必要があるようだ」
そう言って魔王は胡桃の体を抱き上げた。
「な、なにするんですか」
「黙ってろ。舌を噛むぞ」
魔王は胡桃を抱き抱えたまま、空中に飛んだ。
空気の階段をかけ上がるようにしてマンションの最上階へと向かい、廊下へと着地した。
幸いそこには誰もいなかった。
「いまのは、なんですか」
魔王の腕からおろされた胡桃が言った。
「足場になるようなものを足で召喚しただけだ。これなら見た目は魔法とは変わらないから問題にはならないだろう」
「それなら最初にちゃんと説明してくださいよ」
「急がせたのは貴様だ」
ケルベロスがわん、と鳴いた。着地地点に近いドアのほうを向いていた。
「この部屋のようだな」
ご苦労だった、と魔王はケルベロスに声をかけて元の世界へと帰した。
「では、さっそく入るとするか」
「わたしがやりますね。とりあえずあなたは隠れていてください」
魔王に任せるとドアを蹴破られかねないと心配した胡桃が前に出て、インターホンを押した。
すぐに返答があった。それは若い男性の声だった。
誰、と誰何する声に胡桃は戸惑う。
ここまできたはいいものの、どんなことを言えばいいのかわからなかった。
さすがにここにうちの生徒はいますか、とは聞けなかった。
胡桃が狼狽えていると、ガチャリとドアが開いた。向こうのカメラには胡桃しか映っていなかったので、警戒心もなかった。
魔王が瞬時にドアに近寄り、その隙間に足を入れた。次いで手も差し込み、強引にドアを開け放つ。
ドアの前にいた男を突き飛ばすようにして廊下を奥へと進んだ。
突き当たりのリビングには男女が五人ほどいた。
二十前後の男女で、そのなかには有華も含まれていた。
部屋は煙で満ちていた。ソファーに座った有華の指で挟んだタバコから煙が立ち上っていた。テーブルにビールが並び、いくつもの缶が開けられていた。
「こ、これはどういうことですか」
母親の話からある程度想像していたとはいえ、その光景は胡桃にとって衝撃だった。
「見ての通りだ。栗沢有華は犯罪グループの一員ということだ」
「ほ、本当なんですか、栗沢さん」
「それが?」
有華に悪びれる様子はなかった。タバコをくわえながら挑発するような目付きで二人の教師を見上げた。
「ばれたらしゃーないもんね。もう言い訳もできそうにないし。ごめんね、胡桃ちゃん。わたしのことを信じてくれたのに」
ペロッと舌を出す有華。
「じゃ、じゃあ橘先生との関係というのは」
「同情を誘うためだろう」
栗沢有華はかつて担任だった橘悠太が自殺未遂で記憶の一部を失ったと聞いたとき、これは使えるなと思った。
警察が組織の尻尾をつかみ始めていることは薄々感づいていた。
有華は自分達が組織の中心メンバーでないことは自覚をしていたから、危なくなったら簡単に切り捨てられることは想像していた。
だから橘悠太を利用した。記憶がないことをいいことに関係をでっち上げ、警察や学園をだますつもりだった。
「まあ、警察に事情を聞かれたときの対策だったのよ。教師の欲望のせいで道を踏み外してしまったかわいそうな女子生徒、そんなイメージがつけば確実に処分は軽くなるでしょ?」
「利用するなら相手を選ぶべきだったな。わたし以外であれば騙されていたかもしれない」
「いやいや、屋上から飛び降りる教師なんてめったにいないって。わたしも運がよかったわけよ」
「この状況で運が良いと言い切れる貴様の感覚は理解しがたいな」
「あ、お腹が痛い。赤ちゃんが動いたかも」
有華はお腹をおさえて、苦しそうな表情を浮かべた。
「ふざけた女だ」
魔王はさらに奥へと進み、有華に近づいていった。
同じメンバーの男子がその前に立ちはだかったが、魔王の前では無力だった。軽くあしらわれ、次々に倒れていく。
「おい、立て」
魔王は有華の首根っこをつかみ、その体を持ち上げた。
「貴様は勘違いしているようだが、わたしは女であっても手加減はしない。魔族は力がすべてだ。性別は関係ない」
「あ、あ」
首を締め上げられ、うめく有華。魔王はその腹部をもう一方の手で触った。
「赤ん坊ができただと?ふん、笑わせるな。いまここで内臓ごと潰してやってもいいんだぞ」
「橘先生、やめてください!それ以上やったら本当に死んでしまいます!」
胡桃に腕を捕まれ、魔王はようやく有華の首を解放した。空中からソファーにどすんと落下する有華。
「だ、大丈夫ですか栗沢さん」
「そんな女を気遣う必要はない。本人が言うように、逮捕は間近に迫っているのだろう。あとは警察に任せておけ」
「け、警察に言ってやるよ。あんたにレイプされたって」
絞り出すような声で有華はいった。
「勝手にしろ。なんの証拠もないのに逮捕などできないからな」
「信用さえなくなればあんたは学校にいられなくなる!」
魔王はそれ以上何も言わず、部屋をあとにした。




