魔法社会前の事
朗は思った。
今朝の朝日新聞朝刊を見て感じた。
「警察、130万人分の容疑者からDNAデータ収集」
桁が違うと朗は思った。日本国民の100人に一人である。朝日新聞を読むと、軽微な犯罪者のDNAデータまで警察は収集しており、朗も浪人生時代、平成8年、早稲田大学合格が判明後、自転車の占有物離脱横領、つまり、自転車泥棒で、微罪処分になっている。この時は揉めたのだが、弁護士に「法律相談」等をして、何とか、自分なりに「解決」したのをもちろんはっきりと明確に覚えている。
「これは違法行為ではありません」
その若い弁護士ははっきり言った。
朗が、A4のリポート用紙に当時の状況を語った紙を見せると、はっきりそう言った。
その用紙に書いた詳しい内容は忘れてしまった。
嘘を書いたと言うことはないと思う。
今、軽微な犯罪を犯して、今日の朝日新聞の一面記事を見て、「不安な」と言うより、「絶望感」を感じている、みなさん、この小説の書き手である朗も、また、管理社会の恐怖と、食物や医療面における、国家権力の恐怖と戦い始めたところです。
私の小説が、少しでも皆様の心を助けますように。
弁護士は法律のプロにして、弱き人達の味方です。
何か、法律でトラブルを抱えたら、気軽に相談してみることをお勧めします。
遡ること数年前。
まるぶん金龍堂にその本はあった。まるぶんは熊本市のメイン通りである上通にある本屋で老舗の本屋である。
2階の入り口に近いコーナーにそのペンギンブックス「Crime and Punishment」(邦題、罪と罰)はあった。ラスコーリニコフの帽子姿の絵がプリントされた中々お洒落な本だった。
新潮文庫版の日本語で書かれた「罪と罰」は手元に大事に持っている。
この本は、天野屋書店という古書店に安値で売ってしまった。まだ全く読んでいなかったが、ある「声」の強い求めにしたがって、売った。
今にして思えば、そう言う本が必要になった、まだ若い学生か研究者の卵みたいな人が居たのだろう、と推測する。
『罪と罰』は、19世紀、帝政ロシア、ロマノフ朝の末期、社会情勢が不安定になり、人心が荒廃し、革命の機運が高まるなか書かれた小説である。主人公のラスコーリコフは大学生だが、生活資金がつき、学業を続けられず、とうとう『酷暑の事件』を起こしてしまう。
朗は早稲田大学に合格の決まった晩冬に多摩中央駅で、自転車、かなりガタのきた自転車を盗んだという容疑で「微罪処分」に処せられている。この罪は生涯消えない。現行法では、法の遡及効は固く禁じられているからである。何故、朗がこんな事をくどくどと書いているかというと、朗がその自転車を見つけると同時に3、4人の白い服を着た霊体の男性、あまり雰囲気は良くない筋の男性の一団が現れて、自転車に呪文を唱えて、去っていった。というより姿を消した。
この間、数秒であり、もう少し長かったかもしれない。
悪いのは白装束の男達であって、当時の常識に基づく「法と社会」ではない。
ラスコーリニコフの場合、夏の世の悪夢であり、闇の勢力が、ラスコーリニコフに「殺人」をけしかけ、少なくとも、犯科の動機自体を問うことは現在ならば難しいのだが、何故なら心神耗弱と言うことが考慮に入ってくるからであり、しかし、ポルフィーリーによって、「自白」させられてしまう。そして、シベリア流しが決まり、愛によって、犯科を認めたがゆえに時代に坑する覚悟を決める。幻の幻がロシアを守っていたのだが、それが底をつく。現代で言うところのシニフィエ・シニフィアンである。時代が時代を裏切りつつ個人が個人と時代と歴史とを相手にして戦う、そういう内容の小説である。時代を越えて読み継がれるべき不朽の名作である。
現代、則ち魔族の支配する時代とどう切りむすんでいくか、スマホと本と音楽が鍵になってくる。スマホはiPhoneは駄目である。これは、魔族の悪鬼たちが造り上げた新知恵の塔、Macの片割れであり、全く信用出来ない。現にiPhoneの販売元のアップル社は株式市場に適応したソフトウェアを同じIT企業の楽天に参入させ、金融市場と深い関係をもう持っている。先ず、新しい対抗するためのスマホ、信用出来るスマホを探そう。
スマホ、片手に秋になったら自転車の旅にでも出かけると良いかもしれない。
良い気晴らしになりますよ。