書籍発売記念SS
『シド、私ね。悪役令嬢なの』
『…………?』
ヴィアラ10歳、シド13歳。
3日間高熱を出して寝込み、目覚めたヴィアラはこっそりとシドにそう耳打ちした。
(もうすっかり熱は下がったはずだけれど)
突然おかしなことを言い出したヴィアラを見て、シドは笑みを浮かべながらも困惑する。
ヴィアラが熱を出したのは、シドと魔法で遊んでいたときだった。
訓練を終えたシドが邸に戻ってきたら、ヴィアラが玄関まで走って来て「雪が見たい」とねだったのだ。
行儀見習いの先生が、雪深い地域の出身だと聞いた彼女は、空から降る冷たい雪に興味が湧いたらしい。
シドは魔導士修行で疲れ果てていたものの、きらきらとした目で見つめられては「また今度」とは言えない。
ヴィアラの願いを叶えてやりたい一心で、無理をして魔法を使った。
その結果、予想をはるかに超える量の雪が雪崩のように発生し、ヴィアラとシドは埋もれてしまった。すぐに若い衆が救出したものの、ヴィアラは高熱を出して3日間もベッドの上で苦しんでいた。
やっと目覚めたかと思えば、自分が「悪役令嬢」なるものだと言うのだから理解のしようがない。
『お嬢。いったん食事をして薬を飲んで、それから話しましょうか』
『信じていないわね!?』
シドの反応を見て、ヴィアラはうるっと涙を滲ませた。
『いえ、信じていないわけじゃなくて、今やるべきことはまずそれかと』
『それは、そうだけれど……。でも!私は!今!聞いて欲しいの』
必死に訴えかけるヴィアラに、シドは結局負けて話を聞くことに。
『私の前世は日本っていう国……ううん、違う世界の女の子だったの』
突拍子もない話。シドはヴィアラが話す異世界の話を黙って聞き、「ここは小説の世界なのよ」という言葉が出ても彼女の言葉を遮ることはなかった。
内心は、突然「悪役令嬢」と言われても……という状況だったのだが、ヴィアラが必死で訴えようとしていることはわかる。
(お嬢はもしかして、これから先に起こる未来を視た……?前世うんうんの真偽はともかく、これからお嬢の言うとおりになるなら対処しなきゃ)
話を聞きながら、シドは頭を悩ませる。
しかし話が悪役令嬢の末路に及ぶと、初めて彼は口を開いた。
『私はね、最後には処刑されるの!ギロチンでざくっと!』
『ギロチンって、なんでまたそんな旧式の処刑方法で?』
『そんなこと知らないわ。でも、小説ではそうなの!悪役令嬢のヴィアラはギロチンで処刑されるのよ!』
『う~ん』
公爵家の娘を処刑するなんて、前代未聞である。第一、マーカス公爵家がそんなことさせるわけがない。
シドは冷静にそう諭すも、ヴィアラはこれから自分が処刑されるかもしれないと怯えていた。その様子を見ると、ますます「悪い夢ですよ」なんて言葉はかけられなかった。
『お嬢、公爵様やイーサン様に相談なさっては?』
『ダメよ……!頭のおかしな子だと思われちゃう!』
『大丈夫です、今までもけっこうおかしかったです』
『ちょっと!?失礼よ!』
キッと睨みつけるも、蒼褪めて弱った10歳の少女の姿は怖くもなんともない。
(家族に言いたくないのに、俺には話してくれた)
シドの心の中に、少しの優越感が湧きおこる。
この子だけは、自分が守ってやらなければ。自然にそう思えた。
『お嬢、処刑されるのは何歳のときですか?ローゼリア学園でそのヒロインとやらに出会うなら、十六か十七歳までは猶予があるってことですよね?』
シドの疑問に、ヴィアラは黙って頷く。
『大丈夫です。それまでに、何とかしましょう』
『ホント?何とかできる?』
『はい。がんばりましょう』
きっぱりと宣言すれば、ヴィアラはようやく落ち着いて笑みを浮かべた。
『では、食事を運ばせますね。メイドを呼んできます』
『うん、お願い』
シドはベッドサイドを離れ、廊下に出てメイドたちに声をかけた。医者も呼んで薬の準備もしなくては、と急いでここを離れる。
ヴィアラが目覚めたという知らせを聞いた邸の者たちは、瞬く間に準備を行った。すぐに温かいスープが運ばれてきて、着替えや医者の診察も行われた。
ヴィアラの両親は、娘の回復を喜び、イーサンは学園から戻ってきてからずっとヴィアラのそばに付き添っている。
『ヴィアラ、何か欲しいものはないか?お兄様が何でも用意してあげるよ?』
『一人の時間が欲しいです』
『うっ』
『もう5時間ですよ?いいかげん、お兄様はお部屋に戻ってください!』
イーサンはしゅんと肩を落としつつも、ヴィアラの負担にならないようにとおとなしく部屋を出て行こうとする。
『おい、何でシドはまだここにいるんだ?』
その問いかけに、シドはかわいらしくコテンと首を横に傾けて答えた。
『俺はお嬢の護衛で、従者で、犬なんで。そばにいるのが当然です』
『…………ずるい』
扉の前でシドを睨むイーサンは、ヴィアラによって「また明日」と強制的に退室させられた。
そんな三人を見て、メイドたちはくすくすと笑っている。
ヴィアラはメイドたちにも下がるように伝え、寝室にはシドだけが残った。
『お嬢、本当に身体はもう大丈夫なんですか?』
『心配性ね』
『だって、俺が失敗したせいなんで……すみません』
急にしおらしく謝罪するシド。ヴィアラはあははと笑って言った。
『おかしい!シドが謝ってる』
『そりゃあ、まぁ』
『でもシドのおかげで、私は前世のことを思い出したのよ?もしもこのまま何も知らなかったら、悪役令嬢になっていたかもしれないし』
『…………』
『だからね、これでよかったのよ』
そう言ってにっこりと笑うヴィアラは、不安な気持ちを無理やり押し込めているように見えた。
シドはすぐに彼女のそばに近づき、その手をぎゅっと両手で握って告げる。
『俺、強くなります。お嬢を雪で埋もれさせるようなことがないように、それで万が一「悪役令嬢」みたいなことが起こっても俺がお嬢を助けられるように』
(未来がどうなるのかは、誰にもわからない。でも、俺に力があればお嬢を助けられるはず)
シドの言葉に、ヴィアラはうれしそうに笑う。
『約束よ?』
『はい。約束です』
ヴィアラはそのままベッドで横になり、まだ身体が万全ではないのかすぐに眠ってしまった。
ベッドサイドの椅子に座り、主人の健やかな寝顔を見ていたシドはこれからやるべきことを整理する。
(とにかく情報を整理しなきゃな……。お嬢の視た未来を書き出してもらって、一つ一つ可能性をつぶしていくか)
明日から、また修行も忙しくなる。
ヴィアラが寝込んでいる間、ずっとそばにいて課題がたまっていた。それでも、自分の力が将来この子の命を救うかもしれないと思えば、今まで以上にやる気が出る。
『お嬢。大丈夫ですよ』
眠っている主にそう告げると、シドはそっと立ち上がり、寝室を出て行った。
◆◆◆◆◆
あれから7年。
ついに婚約解消を果たし、身分差を乗り越えて二人は結婚式を迎えた。
隣国から人質としてやってきたときには想像もつかなかった未来が、今こうして現実となっている。
「ヴィアラ」
「ん……?何?」
新婚旅行は2週間。お披露目パーティーを抜け出し、すべてをイーサンに任せて逃亡中である。
朝、目が覚めたらヴィアラがすぐ隣にいる。
妻の長い髪を指で梳き、その名前を呼びかけると小さな返事が聞こえた気がした。
「もう朝……?」
すでに陽は高い位置にある。けれど、シドはそれを気づかせないようぎゅうっとヴィアラを抱き込んで言った。
「今日は寝坊しましょう。婚姻休暇なんで」
「そうね……」
ふぁ、とあくびをしたヴィアラは、またすぐに眠りに落ちていく。
観光に行くのを楽しみにしていたが、それはまた明日にしようとシドは思った。
「本当に終わったんだな」
誰に話しかけるでもなく、シドはそう呟く。
何よりも大事な人が腕の中にいて、それを実感したくて何度も確認してしまう。
悪役令嬢の運命に翻弄されたヴィアラ自身は、すでにこの幸福な現実に適応しているのだが、シドはまだ何かあるかもしれないと警戒を解けずにいる。
「俺が幸せにしますからね」
そう囁いて額にキスをすれば、ヴィアラはくすぐったそうに身じろぎをした。こんな何気ない日常が、堪らなく愛おしい。
シドは、ヴィアラと一緒にもうひと眠りしようかと瞼を閉じる。
ところがそのとき、クローゼットに入れた荷物から通信機の音が静かに聞こえ始めた。
──ブブッ……、ブブッ……、ブブッ……
「…………」
(絶対にイーサン様だ)
二人きりの新婚旅行。確実に邪魔が入るとは思っていたが、2日目にしてもう連絡が来るとはさすがに恨めしくなってしまう。
シドはむくりと身を起こし、クローゼットに向かって右手を翳す。
そして、器用にも通信機だけを凍らせて連絡を絶った。
「これでよし」
後のことは、後で考えよう。
シドはそう決意し、再びヴィアラの隣で眠りについた。