そして花嫁は逃亡する【2】
式はつつがなく執り行われ、夜には盛大なお披露目パーティーが開かれた。
宴では世界各国のおいしい料理や酒が振舞われ、国王陛下や宰相らはとても喜んでいた。
お兄様は人見知りを極限まで抑え、死んだ目で挨拶を続けている。
そんなヘタレ紳士に熱い目を向けるご令嬢、何とかしてお兄様を恋に落としてもらいたい。
いくらシドが婿入りしたとはいえ、マーカス公爵家の跡取りはお兄様とその子どもなのだから……!
「ヴィアラ様、おめでとうございます!」
「まぁ、ありがとう!」
領地の有力者の娘たちが、揃って祝いを述べに来てくれた。
彼女たちにとってもここはお見合いの場。私は挨拶もそこそこに、うちの若い衆や王国騎士、魔導士協会の若手を紹介してまわり、花嫁なのにお見合いおばさんと化す。
一通り挨拶が終わった頃、ふらっといなくなったシドを探して会場からテラスへと移動した。
花嫁を置いて一体どこへ?
ほろ酔いの私は、夜風の心地よさに深呼吸をする。
空には無数の星。
今日、式を挙げられたのは本当に素敵な思い出だ。
ぼんやりと夜空を眺めていると、テラスの外の暗闇からシドの声がした。
「ヴィアラ」
ふとそちらを見ると、青いローブと旅装束に着替えた彼がいる。
さっきまで黒の正装だったのに、いつのまに……。
庭に立っていた彼は、テラスの柵越しに私に話しかけた。
「今から二人で逃げましょう」
「逃げるって!?」
スッと差し出された手。
私はその手を取りそうになるも、少しためらってしまう。
逃げてもいいのだろうか。
お披露目パーティーの終盤とはいえ、主役が消えていいのだろうか?
そんな私の心を見透かし、シドは微笑む。
「陛下や皆には伝えてあります。それに、イーサン様を明日から二週間返してもらいましたので仕事は押し付けましょう」
準備はばっちりだった!
まさか式の直前まで忙しくしていたのはこのため!?
すべて計画のうちということか。
そうとなれば、この手を取らない理由はない。
私はテラスの柵を軽々と乗り越え、ドレス姿のまま彼の胸に飛び込む。
「さぁ、行きましょう」
「ええ」
微笑み合うと、手を取り合って会場から走り去った。
「今度こそ、拐われるお姫様みたい」
ドレス姿の私と、旅装束の彼。
駆け落ちみたいに見えるかも。頬を緩ませてそう呟くと、シドがきょとんとして言った。
「ヴィアラ、自分で柵を乗り越えるお姫様はいません」
「あぁ、もう、そこはスルーしてちょうだい!」
クツクツと笑ったシドは、ローブを脱いで私の肩にかけてくれた
こういうところが好き……!
彼の匂いとぬくもりの残るローブに包まれて、幸せすぎて倒れそう。
「行きましょうか」
「ええ」
シドの手は私のそれをすっぽりと包み込むくらい大きい。やっぱりカサついているけれど、私にとっては一番落ち着く手だ。
手を繋いで駆けていくと、すれ違う衛兵に不思議そうに見られた。
本日の主役が裏門に向かって走っているのだ、疑問は当然である。
「馬車は裏手に待たせてあります。それで港まで行きましょう」
「港?」
「はい。行き先はニースです。イーサン様には言ってませんので、見つからないうちに船に乗りたいです」
お兄様はきっと怒るに違いない。
でも新婚旅行だと思って見逃してほしい。
「あとよろしくな~」
「ういっす!アニキ、お嬢、いってらっしゃい」
シドは何食わぬ顔で、待っていたゾルドに手を振り門を抜ける。
「それでは、イーサン様から追っ手が来ないうちに逃げましょうか」
「楽しみだわ」
馬車の御者席には、いつかのようにスキンヘッドのガリウスが座っていた。
親指をぐっと上げ、私たちに笑いかける。
幌馬車ではなく、マーカス公爵家の紋入り馬車であるという違いはあれど、私はあのときを思い出して笑みが零れる。
「しゅっぱーつ!」
シドの陽気な声が響く。
馬車の中で並んで座ると、タイミングを見計らってガリウスがゆっくりと馬車を出した。
窓から見えるのは、流れていく夜の街道。私たちの婚儀を祝うために、領民たちがたくさんのランプを街道に並べてくれた。
ぼんやりと明るいオレンジ色の光は、幸せな結婚生活へと導いてくれるように思える。
これからの暮らしに希望でいっぱいになった私は、足元にあるカバンを見つけてさらにごきげんになる。
このカバンは国外逃亡セットだ。
もちろん、フライパンも入っている。シドがこれも用意してくれていたことがおかしくて、自然に口角が上がる。
「ふふっ」
「どうしました?」
ひとり笑い声をあげる私の顔を、シドが覗き込んだ。
「国外逃亡のやり直しだなって思って。よく私が逃げたがってるってわかったわね」
「あれだけ逃げたいって叫んでたらわかりますよ」
そんなに叫んでたかな。
「気の利く夫でうれしいわ」
私ったら、夫だなんて言ってやった!シドがどんな反応をするか気になり、ちらりと隣に目を向ける。
しかしそこには、とろっとろに惚けた笑みの彼がいた。
「ヴィアラの願いを叶えるのは、いつだって俺でありたいんです。例えそれがどんな願いでも」
「っ!」
肩を抱かれ、頬ずりされるともうダメだ。スッと取られた左手の指に優しくキスをされ、身体が熱くなる。
「髪一本から指先まで、全部が好きですよ。ヴィアラの声も、言葉も、思考もすべて」
「あら、随分と重い愛ね。知ってたわ」
「重さ以上に質も高いですよ?」
耳にかかる吐息に、どきんと心臓が跳ねる。
クスリと笑ったシドは、甘すぎる雰囲気を放って私を見つめていた。
「私……"ヴィアラ"でよかった」
なぜヒロインじゃなかったのか。そう思ったことは数え切れない。
けれど今こうしてシドと結ばれたことを思えば、私は私を受け入れられる。
「私を選んでくれてありがとう」
じわりと滲んだ涙を、シドの指先がそっと拭った。瞳を閉じると、慈しむように優しく唇が合わさる。
肩を抱く手が背中に回り、大切なものを包み込むかのように抱き寄せられるのがうれしかった。
時間をかけてゆっくりとキスをしたシドは、頬を赤く染める私を見ていたずらな笑みを向ける。
「拾った犬は最後まで面倒見てくださいね?」
「もちろん、そのつもりよ」
ある日突然、我が家にやってきた少年は、とてつもない忠犬に育ってしまった。
狂犬でもあるので、決して野放しにはできない。
愛おしくてたまらない、そんな目で見つめてくるシドの黒髪を私はいつものように撫でる。
返事の代わりに私からキスをすれば、隙を突かれたからかめずらしく驚いた表情になった。
「ねぇ、シド。ニースのどこへ、きゃぁ!」
これからのことを尋ねようとしたら、急に膝の上に抱え上げられて悲鳴が漏れる。
「ちょっといきなり何!?」
「愛してます!もう絶対離れないでください!何なら首輪でも作りましょうか、ドワーフに頼んで」
「いらないわよ!何怖いこと言ってるのよ!!私にそんな趣味はないわ!」
私をしっかり抱えて頭をすり寄せてくるシドは、幸せそうに私の名を呼んでいる。
「ヴィアラ……ヴィアラ……」
あぁ、あるはずない尻尾が見える。
パタパタとごきげんに尻尾を振っているのが見える!
こんな状態でこれから大丈夫なのか。
幸せすぎて不安になってきた。
私はしばらく沈黙していたが、諦めて彼の頭を抱え込む。撫で撫ですると、シドは心地よさそうに目を細めた。
「しょうがない子ね」
「おかげさまで」
彼の頭に頬を寄せ、そっと目を閉じて幸福感に浸る。
寄り添うだけでこんなにも温かい。
さすがうちのわんこだ。
きっと、捕まったのは私の方。
こんなに愛されてしまったら、離れられるわけがない。
ヒロインに逃げられた悪役令嬢は、愛情過多のわんこにテイムされました。