そして花嫁は逃亡する【1】
私とシドの結婚式は、マーカス公爵領にある小さな教会で行われる。
参列者はお兄様とうちの若い衆、シドの家族、私の叔母一家。
それに、グラート師匠とエルザも参列する。
公爵家の娘の結婚式だというのに庶民的な規模なのは、シドがあまり大げさなことは好きじゃないから。
それに夜のお披露目パーティーでは、グランバルム陛下をはじめとする国の重鎮が勢ぞろいするので、式くらいこじんまりとした温かい雰囲気のものにしたいと思ったのは私だ。
お兄様は昨夜から感極まって泣き通しで、私もまるで遠くに嫁ぐくらいの気持ちになり号泣してしまった。
『え?あなたたち別々に住むの?』
叔母様が怪訝な顔で尋ねたのは、記憶に新しい。
お兄様と私とシドは、これからも同じ邸に住むのになぜこんなに泣いてしまったんだろう。
一夜明けると疑問だけが残った。
「お嬢様、とてもお綺麗です」
「そうよね~!皆のおかげだわ」
花嫁衣装は、今日の日のためにあつらえた純白のドレス。
シンプルなAラインだが、宝石やビジューがふんだんに付けられていてキラキラと輝いている。
長い髪は丁寧に編み込まれ、花飾りをつけてヴェールで覆うとできあがり。
早朝からフィッティングとヘアメイクを施され、控え室にてシドを待つ……と思ったら大間違い。
私は準備が出来次第、シドの控え室へと向かった。びっくりしてくれるかな。
先導するエルザが、扉を叩く。
ーーコンコン
「はい」
少し低いシドの声。
多分、準備が整った後しばらく仮眠していたんだろう。
昨夜は慣例により会えなかった、ということもあるけれど、彼はここ数日特に忙しくしていてほとんど寝ていないはず。
さすがに昨夜はゆっくりできているといいな。
「失礼いたします」
エルザは声をかけて扉を開け、目配せをして下がる。
忍び足で私だけが中に入った。
真白いの壁に囲まれた広い部屋。
机の上には、たくさんのお祝いの手紙が届いていた。
魔導士協会の印が押された書簡が山積みなのは……まさかこんな日にも仕事をさせられている!?
扉に背を向けて、ソファーに座っているシドの後ろに忍び寄る。
光沢ある銀のローブ。彼の艶やかな黒髪が映える色だ。
「エルザ?ヴィアラの支度がもう終わったのか?」
その手にある書簡に目を向けたまま、シドが話しかける。でもここにエルザはいない。
「エルザ、これをイーサン様に届……」
くるりと振り返った彼は、私の姿を見てピタリと動きを止めた。
はっと息を呑み、その目はまん丸く見開かれる。
「ふふっ、驚いた?一番先にシドに見せたくて、神官様が挨拶に来る前にこっちに来ちゃった」
「…………」
返事はない。
息をしてる様子もない。
心配になり、私は猫のように首をこてっと傾げる。
「シド?まさかキレイすぎて声も出ない?」
スカートの裾を摘み、上目遣いにカーテシーをしてみせた。
「ヴィアラ……うわっ、やば」
シドは口元を手で押さえ、感動を露わにする。その顔はほんのり朱に染まっていて、初めて見た反応だった。
こんなに喜ばれるとは、予想外のことに私まで赤面してしまう。
5歳で出会った旧知の仲なのに、婚礼衣装を纏った互いの姿から目を離せず、ドキドキと胸が高鳴った。
「ヴィアラ、すごくきれいです」
「あ、ありがとう。シドも素敵よ」
彼はソファーの背もたれを乗り越えて、私の目の前に立つ。
頬にキスをされ、両肩に置かれた手に力がこもる。
「もう今すぐ帰る?」
「帰らないわよ」
これから式なのに、目が本気だった。
式が終わってもお披露目のパーティーがある。
私は苦笑いで彼の提案を一蹴した。
するとシドはがっくりと肩を落とし、そっと抱きしめてくる。
「はぁ……夜まで我慢か」
「っ!?」
ついにこの日が来てしまった。
待て、が苦手なこの人を随分と待たせてしまった。もう覚悟を決めるしかない。
目を閉じて精神統一していると、扉がノックされてエルザが入ってきた。
「お嬢様、神官様をお連れいたしました。まもなくお式が始まります」
「ありがとう」
私はにっこり微笑んで、式に向かおうとする。ところが、シドが手首をそっと掴んだ。
「ヴィアラ」
「ん?」
彼が取り出したのは、シンプルな銀細工の指輪。よく見ると、彼の左手には中指に同じものが嵌められている。
「ようやく渡せます」
「これ……」
安らぎの象徴といわれる小さな鳥と蔦の紋様が彫られた指輪。
するっと左手の薬指に嵌ったそれは、いつの間にサイズを測ったのか。
「きれい」
「いつか渡そうと思ってたんです。婚約指輪は、イーサン様がメンツにこだわったからやたらとギラギラした派手なデザインになっちゃったんで」
確かにあれはすごかった。
家が買えるくらいのお値段で、巨大な宝石を削ってダリアの花を象ったのよね……。
しかも、薬指につけると両隣の指が隠れるサイズ。あんなものつけて出かけられない。
「うれしい。ありがとう」
目線の高さまで左手を上げ、まじまじと見つめる。
いつか揃いの指輪が欲しいって思ってたけれど、ここまで私の願い通りのものを贈られるとは思わなかった。
シドは、喜ぶ私を見て満足げに口角を上げた。
「愛してます、ヴィアラ」
恥ずかしげもなくそんなことを言う彼は、私と同じくらい幸せそうだ。
額にキスをされ、私は微笑みながら目を閉じる。
しかし式はこれからだった。
「あのー、よろしいですか?」
「「あ」」
エルザに連れられてやってきた神官様が、苦笑まじりに声をかける。
でも、イチャついているのを見られて気まずいと思ったのは私だけで。
「よろしくないです。もうちょっと二人の世界に浸りたいんで、待ってもらえます?」
「あなたこのタイミングでよくそんなことが言えるわね!?」
この後、私たちは無事に婚儀を行い、ようやく夫婦と認められたのだった。