誰か私を国外追放してください
急に恥ずかしくなり、私は俯いてしまう。
「はぁ……それにしても、魔導士協会とか貴族ってホントめんどくさい」
心のこもった声だった。本当に三年で辞めるだろうな、と思った。
シドは私の身体から手を離し、運んできてくれたポットから温かな紅茶を注ぐ。
甘いアップルティーの香りが部屋に漂い、私たちは束の間の休息を楽しむことに。
「めんどくさいって、もう自分も貴族なのに」
温かい紅茶を口にして、私はくすりと笑う。
「まだ慣れませんよ。貴族社会も、長い名前も」
彼も私の隣に座り、一緒にお茶を飲む。
「シド・ロベルタ・ハルマン伯爵様?」
「舌噛みそう」
シドはグラート師匠のロベルタ子爵家に養子に入り、その後、私の叔母様のハルマン侯爵家と養子縁組みをした。
「いつから考えていたの?この作戦」
私が平民になれなかったから、結婚するには貴族が相手でなければいけない。しかもマーカス公爵家に婿入りできる身分となればかなりハードルが上がってしまう。
しかしシドは、さらりと問題をクリアしてしまった。
グラート師匠に、エルザを助けるから養子にしてくれと持ちかけたのはシドらしい。私を転移魔法で飛ばした後、すぐにすべての計画を立て直して交渉したんだとか。
「師匠がハルマン侯爵邸に来たとき、バロック殿下を廃嫡させる案でいこうと思ったので、そうなるとヴィー様の身分が公爵令嬢のままだなって。最短で結婚するには、俺が貴族になるのがてっとり早いなって思ったんですよ」
養子になってから嫁ぐというのは、身分違いの恋をしたご令嬢や商家の娘さんがよく使う手なのだが、シドの場合は出自を辿れないようにするために二回養子縁組をした。
ファンブルの王族の血縁であることは、この先も隠したいから。
あちらは今ディミトリ様が王位につき、すべてを取り仕切っているけれど、この後どうなるかはわからないので念には念を……とお兄様が手続きをしてくれた。
その際にグランバルム様が「ヴィアラ嬢と結婚するのに無爵では格好がつかないだろう」と、謎の配慮でシドに伯爵位をくれた。
魔導士協会で舐められないため、というのもあるだろうが、シド自身が一番困惑している。
「俺はただヴィー様と結婚したかっただけなのに、たった数か月で随分と変わってしまいましたね~。予定通りなのか、予定通りじゃないのか……」
ソファーの背もたれにぐったり身体を預け、天を仰ぐシド。
私はそんな彼の手を握り、指を絡ませる。
「もう正式に婚約したんだし、半年も経てば婚姻よ?また名前が変わって、シド・ハルマン・マーカス様になるわね」
「お嬢を連れ去るつもりが、マーカス家に連れ込まれました」
「ふふっ、上出来よ。褒めてあげる」
寄り添うと胸元にある紫のブローチが目に入る。
私は何気なくそれに触れ、ふとケガのことを思い出した。
「もう右腕は痛まない?」
かなり無理をしたことで、回復魔法をかけてもしばらく痺れが取れなかったと聞いている。ビビアン女医は個人情報をこっそり漏らしてきたけれど、シドはそのことを私にずっと言わなかった。
「もう治ってますよ、さすがに」
「本当に?」
「本当に」
「嘘」
痛くても絶対に教えてくれないだろうな。意地っ張りだから。
私がじぃっと見つめると、シドは柔らかな笑みを浮かべて言った。
「試してみます?」
ずいっと顔が近づいてきて、私は反射的に背を逸らす。結婚するつもりでいるのに、まだこの距離感には慣れていなかった。
「例えば……こういった複雑なドレスでも右手一本ですぐに解けますよ?」
「え」
ドレスのウエストを縛っているリボンを右の人差し指でひっかけ、意味深に笑う。
からかわれているんだとわかっているのに、一瞬にして私の顔は真っ赤に染まった。
「ご褒美、まだもらってません」
「ごっ!?ご褒美って、だってあれは何年もかかると思ってたから……!」
「えー」
だんだんと身体が倒れていき、ソファーの座面に完全に背中がついてしまった。伸しかかっているシドは楽しそうに笑っている。
「冗談ですよ~、ここではさすがに」
にっこりと笑った彼につられ、私もホッとして笑みが零れる。
……ん?
ここでは?
目をぱちぱちと瞬かせる私。
ニッと口角を上げたシドは、そっと私の額に唇を落とす。
「今日はもう、お仕事終わりにできますよね……?」
あぁ、なんだかこの質問には答えてはいけない気がする。答えたが最後、貞操の危機が待っているような。
沈黙を続けていると、扉を叩く音がした。
――コンコン。
「チッ!」
「そんなに露骨に舌うちしなくても」
お兄様もそうだけれど、シドもこの三か月の忙しさで闇堕ちしているような。
むくっと起き上がったシドは私から離れ、ソファーの前に立ち上がる。
私も上半身を起こして座りなおし、入室の許可をした。
「失礼いたします」
入ってきたのはお仕着せ姿のエルザだった。
茶色の髪はすっきりお団子に結われている。
「お嬢様、お取込み中申し訳ございません」
「わざとだろ?」
ぼそっと呟くシドに向かって、エルザはきょとんとした顔で見つめる。
「どうして私がわざと邪魔するのですか?」
「……」
シドはふいっと遠くを見て答えない。
「まったく、軟弱な精神力の男ですね。私だったらもう即日お嬢様を押し倒しておりますよ」
「えーっと、エルザさん?シドをけしかけるようなことは言わないでくれる?」
どっちの味方なんだ。
私が半眼で睨むと、エルザは満面の笑みで言った。
「父から、やるときと殺るときは躊躇うなと教わっておりますので」
「それどこかで聞いたわ!!」
父が娘に教えることじゃありませんよ!?
「ですが、シド。何事も雰囲気が大切です。イーサン様のむさくるしい書斎で口説くなど言語道断。しかるべき場所で、誠意をもってお嬢様にお願いしなさい」
「お願いされても困るんですが!?」
シドは「なるほど」といった顔で頷いた。
いやいやいや、なぜうちの侍女がこんなに積極的にお嬢様の貞操を差し出すの?
頭痛がしてきた。
私はこめかみを手で押さえ、眉根を寄せる。
「「大丈夫ですか?何か心配事でも?」」
「っ!?誰のせいだと……」
二人して同じことを言うものだから、私は呆れてしまった。
「もういいわ。それで、エルザ、用事は何?」
「あ、そうでした」
スッと前に歩み出たエルザは、手に持っていた箱を私に差し出す。
「こちらが届いております」
「うわぁ!間に合ったのね!」
青いリボンがかかった黒い箱。
エルザはそれだけ渡すと、気配を消して静かに下がっていった。
再び二人きりになった部屋で、私はそれをシドに差し出す。
「これは?」
「開けてみて」
リボンを解き箱を開けると、そこには銀色のカフスボタンが二つ並んでいる。
シドの誕生日プレゼントだ。
「ヴィー様、これ」
「間に合ってよかった!明日はシドの誕生日でしょう?」
これまでの誕生日は、毎年お菓子だった。消え物しかあげたことがなかったのだ。
もちろん、逆も然り。私だって、ただの護衛だったシドからは残る物はもらったことがない。
驚いて目を瞠るシドを見て、私はうれしくなる。
「今年からは、ずっと残る物を贈れるのね。趣味が合うかわからないけれど、使ってもらえたらうれしい」
箱からカフスボタンを取り出したシドは、じっくり眺めて顔を綻ばせた。
「ありがとうございます……!大事にします。丁重に保管します」
「つけないんだ」
まるで犬が大事なものを穴に埋めるみたいだな、と思ったけれどあえて口にしない。幸せそうにプレゼントを見つめるシドは、純真な少年みたいでかわいかった。
「こんなにうれしい贈り物は初めてです」
シドはプレゼントを箱に仕舞ってローブのポケットに入れると、ぎゅうっと私を抱き締めた。
「もう気持ちを抑えなくていいんですよね。ただの護衛から婚約者になれたんですよね……」
確認するかのようにそう呟くから、私は彼の背にしっかり腕を回して抱き締め返す。
温かい腕の中は、一番安心できる場所だった。
「これからもずっと一緒よ。逃げられないから覚悟してね?」
ようやく悪役令嬢の運命から解放された、そんな気がした。
「ヴィアラ」
彼の腕が緩み、見上げると泣き笑いみたいになったシドの顔がある。
ドキンと心臓が跳ね、「あぁ、好きだな」と想いがこみ上げてきた。
「俺の部屋かヴィアラの部屋、どっちに行きます?」
「二択なんだ」
目を細め、小首を傾げるシド。
「待て、は苦手なんです」
「それは仕方ないわね」
大きな手が頬にかかり、私はそっと目を閉じる。
けれど、世界は無情であった。
――コンコン。
「お嬢ぉぉぉ!!」
「ひゃいっ!?」
ビクッと肩を揺らすのと同時に、部屋にガリウスが乗り込んでくる。
「イーサン様から至急確認してもらいたいことがあるとこれが!!」
「ひっ!」
持っていたのは大量の本と報告書。
シドの肩越しにそれを見た私は、絶望のあまり大声で叫んだ。
「もう嫌ぁぁぁ!お願いだから、国外追放してぇぇぇ!!」