ラスボスと忠犬
私たちはノア様がいるであろう教会へと向かった。
魔導スクーターに乗ったシドの後ろにしがみつき、低速で街を走る。
並走するお兄様には「親友の暴走を自分の手で止めたい」という目的があり、シドには「ノアを捕らえるのは俺の仕事なんで」という大義名分がある。
二人は私を連れていくことにいい顔はしなかったけれど、もう置いていかれるのは嫌だと言って無理についてきた。私のためにノア様がこんなことを起こしたんだとしたら、それは悲しすぎる。
「逃げ足が速くて困りますね~。さっきまで広場にいたはずなのに」
魔道スクーターを運転するシドがあははと軽く笑う。
「もしかしてだけれど、私のせいで計画が狂ったの……?」
広場にあれだけ仕込んでいたんだ、嫌な予感がした。
案の定、私のせいでノア様に逃げられたらしく、お兄様が苦笑した。
「ノアはシドに並々ならぬ敵意を抱いていたから、首を斬られるその瞬間は絶対に見届けるはずだと思ってね。見張りで取り囲んでいたが、ヴィアラの乱入で混乱が生じてその隙に逃げられてしまったよ」
「ごめんなさいぃぃぃ!!」
私はシドの背中にしがみつき、猛烈に反省した。
どうしてもシドを殺されたくなかったから、ただ見ているだけなんてできなかったのだ。
「いや、私がきちんと説明してヴィアラを連れて来ればよかったんだ。もしくは説明して、待っていてもらうべきだった。対話することを省いたツケだと、私の方こそ反省しているよ」
「お兄様、優しい!!好き!!」
きゃあっと黄色い声を上げると、シドがちょっとだけ身体を揺らして笑った。
「俺はヴィー様が来てくれてうれしかったですよ~。かっこよくて見惚れました。それに、飛んできたときに太腿がちらっと見えて妙になまめかしくていい感じで」
――ゴリゴリッ。
「んがはっ……!!」
「それ以上言ったら肋骨を折るわよ!?」
運転する彼の脇腹に拳を入れると、民家にぶつかりそうになった。
さすがにちょっとタイミングがまずかったか。
「えー、褒めてるんですけれど」
「どこが!?」
助けに来たのは間違いだったか、半眼で睨む私。でもシドはすぐに復活して速度を上げた。
「教会はその先です。俺としてはヴィー様をノアに会わせたくないんですが、どうしても行きますか?」
「ここまで来て、待機はできないでしょう」
「同意があれば転移魔法で飛ばします」
あ、そうか。その手があったのか。
私は小さく首を振った。
「嫌。私はシドのそばにいる」
もう置き去りにされてはたまらない。
腰に回した腕に力を込めると、彼の左手がその上に重なった。
ちょっとカサついた大きな手は、緩やかに私の手を撫で上げる。
「では絶対に離れないでくださいね。それから……俺はノアに対して手加減しませんから、覚悟を決めてください」
急に真剣な声に変わったのでドキリとする。
私は彼の背中に頬をぴったりと付け、「わかった」と一言呟いた。
◆◆◆
教会に到着すると、白い宮殿もどきの建物に禍々しい黒い靄がかかっていた。
「これは凄まじいな」
お兄様はそれをすぐに魔法で祓う。
神官や使用人は誰もいないようで、夜中のように静まり返っていた。
「何このラスボス感」
思わずそう呟くと、シドが私の手をきゅっと握る。
「ラスボスってあれですよね、最後の強い敵」
「ええ、そう」
「えー、何かかっこよさそうじゃないですか?俺よりノアに惚れないでくださいね?」
「あ、それはない」
私があっさり否定すると、シドは満足げに口角を上げた。
「こういうドス黒い雰囲気や空気感を目の当たりにすると、もう二度と教会には来たくないわ」
魔の巣窟みたいな場所になってしまっている。
心情を吐露すると、シドは困った顔で笑った。
「それは困りますよ~、婚姻式は教会でやりますからね?ヴィー様の花嫁姿を拝むために俺は生きてますから」
「こっ……!?」
気が早い、と思いつつも頬が緩む。
「かわいい」
見上げると、私よりもニヤニヤした顔の人がいた。
こんなに緊張感がなくていいのだろうか。
お兄様は、単身で乗り込む勢いでズンズン進んでいっている。
シドは私を背に庇うようにしてその後をついていった。
「あの黒い靄は何?」
「濃い瘴気です。もう契約の代償が……」
「契約?」
大きなドアを開けて中に入ると、礼拝堂の奥に地下へと通じる隠し扉があった。普段なら絶対に気づかないけれど、少し扉が開いていて、そこから黒い靄が噴出していたからすぐにわかった。
お兄様が外と同じように靄を祓い、私たちは階段を下りていく。
「ノアは神官の身でありながら、精神に作用する闇魔法の力を手に入れています。それによって陛下や王妃様、他にも教会関係者を操っているんです」
神官が闇魔法を使うなんて聞いたことがない。
それに、教会は「魔導士は闇魔法を使うから穢れている」って主張しているのに、神官がそうなるのは矛盾する。
本来は厭うべきものを取り込んだノア様は、王族を操って国の乗っ取りでもするつもりだったんだろうか……。
「教会は、呪われた神具や魔法道具なんかを聖なる力で封印している場所でもあります。ただ神に祈る場所だって思われていますが、建てられた当初は封印の目的の方が強かった。もちろん、これは秘匿されていることですから普通の人は知りません。ヴィー様が王太子妃になられていたら、婚姻後に知らされていたはずです」
それほどの機密事項をなぜシドが知っているのか。
前を歩く彼に疑問を視線でぶつければ、グラート師匠から数年前に教わったのだと言う。
「ノアは心の隙に付け入られ、神具の呪いに中てられたのでしょう。彼の意志がどこまで残っているかわかりませんが、あいつはもう……後戻りはできません。神具との契約が何だったのかはわかりませんが、神具を破壊すればノアは死にます」
ノア様が、死ぬ。
シドの声に躊躇いは一切なく、お兄様もそれを了承しているのだと背中から伝わってくる。
「助ける方法はないのよね」
「ここに溢れている黒い靄は、すでにノアの精神と肉体が限界を迎えている証拠なんですよ。呪われた神具を再び封印できたとしても、ノアの身体は長く保ちません」
お兄様は一言も発さず、ただまっすぐに地下を目指す。
灯りに照らされたその顔は無表情で、それが余計に痛々しかった。
「なぜそこまでしてノア様は……」
「ヴィー様への叶わぬ恋情に付け込まれたんだと、俺たちは思っています」
繋いだ手に力が篭る。
「私のせい……?ううん、違うな」
「早っ。間違っていないですけれど、否定するの早っ」
だって本当のことだから仕方ない。
ノア様とは、たまに彼がお兄様に会うために我が家を訪問するときに会うとか、教会や孤児院に赴くときに会うくらいで、特別に親密な間柄というわけではなかった。
月に一、二度は顔を合わせるけれど、二人きりになったことなんてほとんどないし、そんな拗らせるほどの恋心を抱かれる理由が見当たらずに、正直言って私はとても困惑している。
「私はノア様のものにはなれないもの」
手が届きそうで届かない恋がどれほど苦しいか、シドへの気持ちを拗らせてきたからもどかしさはわかる。でも、だからといって大勢の人を巻き込んで、王族を操るなんてことは間違っている。
ヒロインだったら、自分への恋心に感銘を受けて「私が助けてあげたい」って思うんだろうか。
もちろん、優しかったノア様に戻って欲しいし、死ぬなんて嫌だ。
でも……あまり深く考えると胸が張り裂けそうだから考えないことにした。
「私がこの手で守れるものはたかが知れてるの。家族とシド、目に見える範囲にいる人のことしか助けられないわ。ノア様のことを『かわいそう!』とか『私のためにごめんなさい!』って言えない、私のことを酷い女だと思う?」
シドに軽蔑されたら生きていけない。
不安になって見つめると、彼は最後の階段を下りきってからこちらを振り向いた。
そして、ふっと笑うと二段上にいた私に向かって顔を寄せる。
「そんなに信用ないなんて、心外ですね」
柔らかな唇が重なり、私は驚いて目を瞠る。
「世間の評価なんて知ったこっちゃないです。でもヴィー様が酷い女になるなら、俺はその上を行く酷い男になります」
「それは、悪魔に魂を売るときが来ても?」
何気なくそんなことを口にすると、シドは笑みを深めた。
「ええ。悪魔に魂を売るときは誘ってください。どこまでもご一緒します」
「ふふっ……従順ね」
「はい。あなただけの犬ですから」