悪い知らせしかないんだが、聞く?
「お兄様っ!ヴィアラは王都へ……って、どうなさったんですか、その顔」
邸へ戻るなり書斎に飛び込んだ私は、目の下にクマをたっぷり蓄えたお兄様を見て驚いた。
げっそりしていて、私が目覚めたときよりも疲れが溜まっているように感じる。
「ヴィアラ……」
「何か良くないことでも?」
その手には何通かの手紙を持っていた。王家の印がでかでかと押してある。
報告書も机に散らばっていて、それらを見てお兄様はこの疲労っぷりらしい。
「えーっと、悪い知らせと悪い知らせがあるんだけれどどっちから聞く?」
何その選択肢。
とんでもない二択である。
「もう一気に言っちゃってください」
やるなら一思いにやってくれ、私の心は諦めの境地に達している。しょせんは悪い知らせだ、そんなものがやってきたところですべてをぶち壊すために私は動くだろうから。
はぁ、とため息をついたお兄様は困り顔で嘆く。
「ノアがストランド侯爵家を乗っ取った。二人の兄は賭博や違法奴隷の売買に手を染めた罪で投獄され、父親は引退して蟄居。神官長を辞して、ストランド侯爵当主に就いたらしい」
「ノア様が!?」
胃薬の量が心配だ。そんなことになっていたなんて、私は驚きで目を瞠る。
「お兄様はご存知でなかったのですか?」
「多少は聞いていた。だがノアとは、魔法道具や胃薬のいい成分について話し合うのが常でな……あまり家の話などはしない仲なんだ」
「ですよね。純粋なお友達ですもんね」
お兄様もけっこう胃薬多用してるから……。
貴族らしからぬ友人関係なので、事後報告になってしまったらしい。
「問題は、ノアがヴィアラを妻にと望んでいる」
「はぃ!?」
私はノア様から寄越されたという手紙をお兄様からもぎ取ると、確かにそこにはヴィアラ・マーカス嬢と縁組を希望すると書かれていた。しかも陛下のサインもある。
「どういうこと……?だって私は落ちぶれ令嬢に」
「ヴィアラ、おまえは今、シドによって連れ去られただけの無力な令嬢ということになっているんだよ」
そうか。
シドへの捕縛命令が出たままだから、早くそっちを解決しないと嘘が本当になってしまう。いくら私が否定しても、人の口に戸は立てられない。
「それならシドを今すぐ助けに行きます!私が嘆願すれば、真実はわかるでしょう?」
「大事な妹を矢面に立たせるわけにはいかない!それに……こっちの方が問題だ」
もう一枚の手紙を見せられ、私は絶句した。
――魔導士・シドは三日後に処刑する
怒りで眩暈を覚えたのは初めてだ。
理由はこの日付。
送られた日とこの「三日後」を計算すると、明日の朝ということになる。
「あと十二時間後……!?どうして!?」
手紙を机に叩きつけ、すぐに部屋を飛び出そうとする私。が、お兄様がぐいっと腕を掴んだ。
「待て!私が行く!信じたくはないが裏で糸を引いているのはノアだろう。あいつは教会を思うがままに動かし、バロック殿下を傀儡にして王家を手中に収めた。シドを亡き者にすればヴィアラが手に入るから」
どうして私なんだ。
異性としてアプローチされた記憶なんてない。
「意味が、わかりません」
「表に出すだけが、恋情ではないということだ」
「また知ったかぶりを」
「薄々気づいていた、ノアがヴィアラを想っていることは……。ただおまえはずっとバロック殿下の婚約者だった。それにノアは庶子で神官で、訳アリすぎるから公爵令嬢を娶ることはできない」
神官でも、平民であれば妻帯することはできる。貴族との婚姻は、権力の集中や癒着という観点から認められていないのだ。
ただし、ノア様が神官を辞して侯爵家を継いだとなれば話は別だ。
「あいつがいつからこんなことを企てていたか知らないが、婚約解消直後に1日として置かずにシドがおまえを攫ったのは誤算だったんだろう。だからバロック殿下に入れ知恵をして、シドに捕縛命令を出した。シドさえ消えればヴィアラが手に入るから」
「じゃあ、エルザを攫わせたのも?陛下や王妃様を操っているのも、全部ノア様が?」
お兄様は苦い顔で頷いた。
「どうしてそこまでして……?」
私は半信半疑だが、お兄様は確信を持っているみたいだった。
そっと私の腕から手を離し、机に左手をついて憂いを帯びた表情になる。
窓から射す日差しに、美しい金髪がきらきらと輝いた。
「私たちのような陰鬱な人間の心の闇は…………深い」
「なんでちょっとキメ顔なんですか?」
ちょっとだけかっこよく言うところにイラっと来た。
お兄様はこちらに向き直り、控えていたロッソに指示を出す。
「私は友人として、ノアを止めたい。今すぐ王都へ向かう。ロッソ、第一部隊に出撃命令を出せ」
「かしこまりました」
もちろん、私も行く気満々だ。
すぐに支度をしようと扉へ向かうと、お兄様によって呼び止められる。
「ヴィアラはダメだ。ここで待て」
「そんな!?」
「こちらにはこちらの計画というものがある。ヴィアラは待ってるだけでいいんだ。シドもそれを望んでいる」
元はといえば私の婚約解消がきっかけなのに、なぜ置いてけぼりなの?
何も話してくれないお兄様に苛立ちが募る。
「もう勝手に行きます!」
――バタンッ!
私はドレスのスカートをおもいっきりたくし上げ、部屋を飛び出した。
するとそこには、完全武装したお兄様の部下がずらりと並んでいる。
「お嬢、すんません」
「俺たちお嬢を閉じ込めておけって、絶対に邸から出すなって言われています」
「殺さないでください」
さっそく命乞いしてるヤツがいるのはなんでだ。
か弱い公爵令嬢の私1人に対し、屈強な男たちが二十人は立ちはだかっている。
「そこを退きなさい!」
青筋立てて睨む私だったが、背後からスッと近づいてきたロッソにふいを突かれて拘束されてしまった。
「ちょっと放して!!」
「お嬢様、どうかおとなしく待っていてください。シドは我々が連れ帰りますから」
「いやぁぁぁ!!私も行くー!!」
邸中に響き渡る声で叫んだが、私はロッソに拘束具をつけられて部屋へと押し込められるのだった。