毒されてしまいました
夜になり、私はティーセットを持ってシドの部屋へ向かった。向かうと言っても隣の部屋だから、すぐそこである。
――コンコンッ。
「…………」
――コンコンコンコンコンコン。
「…………」
これは魔導書に没頭しているな。
そう判断した私は勝手に扉を開け、彼の部屋に入っていった。
案の定、私が入って来たことにも気づかずに書机に座ってこちらに背中を向けている。
無防備なことこの上ない。
私はティーセットをテーブルに置き、彼の背後に忍び寄る。
「だーれだっ」
「ぐっ!?」
首の後ろにある激痛の走るツボをおもいっきり押してやった。お兄様の直伝、一撃必殺の秘技である。
ツボを押されたシドは反射的に立ち上がり、首の後ろに回復魔法をかけた。よほど痛かったらしい。
「ひどいわっ!私のことに気づかずに本ばかり読んでっ!傷ついた!」
泣きまねに興じる私を見て、シドは半笑いになる。
「こっちが傷つけられましたけれど!?まったくイーサン様ですね、こんな危険な技を教えたのは」
「正解。さぁ、お茶にしましょう。ずっと本ばかり読んでいたら身体がおかしくなるわ」
ティーセットの前に立ち、ポットに掛かった保温の布カバーを取ると甘い香りがふわりと立ち上る。今日は私がアップルティーを淹れたのだ。
メイドさん監修だから、味は安心。さっそくカップに注ごうとしていると、シドが音もなく立ち、後ろから伸し掛かるように抱き締めてきた。
「ちょっ……!?零れる!」
「大丈夫ですよ~ヴィー様ならできます」
クスッと笑った彼は、私を動揺させるためにわざとうなじに口づける。
そして髪に顔を埋めると、大きく深呼吸して頬ずりをした。
「はぁ~、ヴィー様の匂いに癒されます」
とんだセクハラ発言だ。
私は右手にポットを持ったまま、微動だにできずカチンコチンに固まってしまう。
「は、離して」
「ダメです。必要性を感じません」
「お茶を淹れるのよ!?必要性しかないわ!!」
「えー」
巻きつけられた腕がさらにぎゅっと締め付けてくる。
離す気はないらしい。
心臓がバッコンバッコン鳴っていて、絶対にシドにも伝わっているはず。
ポットを持つ手がいい加減ぷるぷる震えてきた。
静かな部屋。
彼の温かさと重みを感じる。
耳元で感じる吐息はとてもスヤスヤと規則的に――
ん?
「……シド?」
返事はない。
まさかとは思ったが、そおっと顔を横に向けると完全に彼の瞼は閉じられていた。
寝ている。
立ったまま眠ってる!
「ちょっと!」
急いでポットをテーブルに戻す。
腕に魔力を纏わせ彼を引き剥がすと、今度はだらんと全身をこちらに預けてきた。
「もぉぉぉぉぉ!!」
私は背中に彼を担ぎ、寝室までひきずっていく。
お姫様抱っこでもしてやろうか、と思ったけれどさすがにそれは身長差が許さない。
ベッドの上に投げるようにしてシドを寝かせると、仰向けで爆睡しているのが見てわかる。
こんなに眠くなるまでずっと魔導書を読んでいたのか。
呆れて物も言えない。
「どうなってるの、本当に」
すっかり寝入っている顔を見ていると、ちょっとかわいいなって思ってしまう自分にも呆れる。
頬を指でツンツンしても起きないなんて、かわいすぎ……!
口がちょっとだけ開いている。
「シド~?」
前髪を上げてみたり、頬を撫でたり、眉を指でなぞったり、どうしよう無限に遊べる!
ごろんと仰向けになり、左手でお腹あたりを掻くおっさんじみた仕草までがかわいい。こんな姿をかわいく思えるなんて相当に毒されているな、と思った。
そして、めくれた服の隙間から見える腹筋が美しい。
馬術って腹筋いるもんなぁ。
横座りしているだけの私でも、ローゼリアを出てから随分お腹まわりが引き締まってきている。
人差し指でシドのお腹をツンツン突いてみると、あまりの硬さにびっくりした。
「んー」
またもポリポリとお腹を掻いたシドは、ころんと転がり今度はうつ伏せになる。
「はぁ……」
何時間でも見ていられそう。かわいい。
私もベッドに横になり、シドを眺めて楽しむ。
だらんとしている手をそっと繋ぎ、彼に寄り添って幸せを満喫する。
無意識に手を握り返されるのが、たまらなくうれしかった。
「ニースに行くのかここにいるのか、話をしようと思って来たのにな」
また明日話せばいいか。
シドと自分の身体に毛布をかけ、ランプの灯りを一番小さくして私もそのまま眠りについた。