最終的に食らうのは誰だろう
「それはおもしろいの?」
分厚い本に視線を落としたシドは、右手にペンを持って何かを書き写していた。
「まだおもしろいって言えるほど、解読できていませんね~。文字が現代とはちょっと違うんです」
「解読?そんなに昔の本なんだ」
「はい。途中で文字じゃなくて絵を挟んだり、呪文なのか長い言葉が暗号化されて記されていたり……」
何だかむずかしそう。
立ち上がってそばで本を覗き込むと、私にはまったくわからない文字が並んでいた。
「転移魔法を再現できれば、ヴィー様と一緒にいろんな場所に旅ができるかと思ったんですが」
「無理っぽい?」
それは残念だ。私は旅がしたいって思っていたわけじゃないけれど、シドといろんなものを見て世界を回るなんて楽しそう。
「術を発動した本人が転移するのは無理そうですね。魔力源となる魔導士がいて、物や人を一方的に送りつける方法については書かれています。それにこれを書いた人は、けっこう雑な性格みたいです。ところどころ言葉を省略していて、字も汚い」
字が汚いとお兄様にいつも叱られていたシドにそう言われるなんて、よほどのレベルらしい。
私は彼の言い分にクスッと笑ってしまった。
「今どれくらい解読できたの?」
「まだ五分の一くらいでしょうか」
それはまた随分と先の長い作業みたいだ。
私は彼の邪魔をしないよう、ベッドに戻ろうとする。
「ヴィー様」
「ん?」
呼び止められて中途半端に振り向くと、椅子から立ち上がった彼の手が肩に載る。
ふいに触れた唇が思いのほか柔らかく、私の思考は停止した。
「俺が本ばかり読んでいるから淋しいですか?」
いじわるな笑みでそんなことを言われたら、素直に淋しいとは言えない。そもそも淋しいとは思っていなくて、背中を見ているだけで二時間は楽しめる。
「淋しいわけないでしょう!私にはっ……私にはっ……やるべきことがあるんだから!」
そう、私にはやるべきことがある。
昆布について調べ、今後養殖できるかを検討しなくてはいけないのだ。
「これから弁当屋をするかもしれないから、昆布の養殖を勉強しないと」
「弁当屋!?昆布!?」
ヒロインといいシドのお母さんといい、これほど弁当屋に縁があるのだから、私だってだし巻きたまごの弁当屋をやるべきなのではと思い始めていた。
「だって、もう貴族じゃなくなったんだから働かなきゃ」
現状、お兄様に渡された巨額の資金はある。
でもシドに苦労をかけるわけにはいかないのだ。
「私が働いて、シドを雇うんだから」
「いやいやいや、結婚したらそれはおかしいですって」
まぁ、この世界の価値観ではそうだろうね。でも私は、雇い主根性が抜けないのだから仕方ない。
「何言ってるの?守ってもらって養ってもらうなんて、そんな海底で朽ちていく赤昆布みたいな生き方は私にはできないわ!」
「子持ち昆布になるのもきっと幸せですよ?」
あははと明るく笑うシドの言葉に、私の昆布愛スイッチが入ってしまう。
「あなた、子持ち昆布の何を知ってるのよ!?あれは魚卵よ!自分の身体を依り代として差し出してるのよ!」
「子持ち昆布をそんな生贄みたいな言い方しないでくれますか?共生ですよ、共生」
「共生って、最終的には人間においしくいただかれるんでしょう!?大丈夫、私はシドを見殺しにしないわ!」
「え、誰か食う人間がいるんですか?ってか、俺も昆布なんですか?まぁ髪は黒いですが」
そういう問題じゃない。
って、一体何の話をしているんだ。
はっと我に返った私は、いったん冷静にならなくてはと自分を落ち着かせる。
「とりあえずお茶を淹れてくるわ。スープの方がいい?」
そう尋ねると、シドは自分が行くと言い出したけれど私は首を横に振った。
早く転移魔法の本を解読してもらわないと、私と過ごせる時間がないじゃないか……とそんなことが頭をよぎったから。
どうやら私は、心の奥底では淋しいらしい。
「では、お願いしますよヴィアラ」
「うっ……!」
すべてお見通しの余裕の表情を見せるシド。猛烈な敗北感に襲われる。
顔を寄せられ、チュッと頬で鳴るリップ音がまた私を狼狽えさせる。
両手で彼の胸を押して遠ざけたら、さらに目を細めて笑みが深まった。
この男は遠慮っていうものを知らないのか。私の羞恥心を突くのがうますぎる。
涙目で睨んでも効果がないことはわかっているので、私はすぐに背を向けて部屋から出た。
「はぁ……、どうにかして優位性を」
このところシドに押されっぱなしで、いいようにからかわれているように思う。
お茶を淹れながら、対抗策でも考えるとしよう。