わんこ心は複雑らしい
宿へと戻った私たちは、食事を摂ってから部屋にこもることにした。
シドはほんの少しうたた寝した後、ファンブルの王城で勝手に拝借してきた魔導書を読んでいる。
私はのんびり湯に浸かって身体を休ませ、シドに髪を乾かしてもらう。
長い髪を手に取り、彼は目を細めた。
「ずっとこうして触れてみたかったんです。エルザが羨ましかった」
「侍女が羨ましいなんておかしなシド」
護衛として一定の距離を保ち続けていたから、まさかそんなことを思っていたなんて……
髪を整えると、私たちはお兄様と通信で話すことにした。
ワンコールで受信したお兄様は、私からの連絡にとてもうれしそうだった。
パァッと花が飛んでいるような弾んだ声で、こんなに喜ぶなら毎日かけてあげようかな。
私たちがファンブルの砦にいたことは、シドからの通信で聞いていたらしい。
「あぁっ、ヴィアラが元気そうでよかった!あやうく海から総攻撃を仕掛けてしまうところだった」
「お兄様ったら~。魔力砲はさすがに届かないでしょう?」
「ふっ、万が一のことを考えて、この三日間徹夜して飛距離を伸ばした。大丈夫、ここからすぐにでもファンブルに撃ち込めるぞ!」
全然大丈夫じゃない。
そんな危険なことはやめてください。
「私がいるのに撃ち込むなんて」
妹の身の安全は!?
ぶーっとむくれると、通信機からお兄様の高らかとした笑い声が響く。
「あははははは、シドがいるじゃないか」
「え?」
隣にいたシドを見ると、両手で頬を挟んで「きゃっ」と照れていた。
なにそれ、かわいいと思ってるの?
かわいいんですけどー!?
「シドがいたら大丈夫って、本当に本当ですか?」
お兄様に問えば、「もちろん」と返ってきた。
え、もしかして魔力砲を跳ね返せるってこと?
「……」
「どうかしましたか?ヴィー様」
一点の曇りもない笑顔。もはや何も聞くまい。
そして、お兄様はマイペースに宣言した。
「ファンブルの城や砦の殲滅は任せろ!」
「任せられるわけないでしょう?お兄様ったら」
人と目を合わせて話すのは苦手なくせに、戦や武器の改良は得意ってどういうスキルの振り方なんだ。
神様、設計ミスがひどい。
「冗談はともかく。そちらは変わりないですか?」
マーカス公爵領の本邸にいるお兄様は、私の婚約解消とシドの手配について王家からの連絡を待っている。連絡が来たらすぐに対抗措置をとるつもりなのだが、あっちからはうんともすんとも連絡がないそうで……。
「奇妙なほど変わりないな。すぐに兵が来るかと思ったんだが、未だに何の通達もないんだ。マーカス公爵領にヴィアラがいないことがわかっているようだな」
「そうですか」
あの短気なバロック殿下なら、マーカス公爵領に軍隊を派遣するくらいやりそうなんだけれど。
シドと顔を見合わせ、やはりこの状況はおかしいと思った。
「邸の皆は元気ですか?」
「皆、元気にしている。ヴィアラがいないと若い衆が落ち込むから、雪山に訓練へ行かせたよ」
「何やってるんですか、お兄様」
マーカス公爵領の雪山は、一年中厳しい寒さで有名だ。生きてるかな、皆。
何も今そんなところに行かせなくても、と私たちは呆れてしまう。
「まぁ、明日には陛下と王妃様が外遊から戻る。書簡を送っておいたから、シドの手配は取り消されるだろう」
「そうですよね。すべては殿下と私の問題ですから、シドには何の関係もないことです。追われるのは私だけで十分……まぁ、捕まる気はないですが」
「あははは!ヴィアラは旅行だとでも思っていればいい。そのうちマーカス公爵領に戻ってきて、こっちで暮らせばいいんだから」
さすがにそれはできないだろう。でもお兄様は本気でそのつもりだから、今は笑って流した。
「私の大事なヴィー、身体に気をつけて。無理せず、面倒なことはシドにやらせるんだぞ!」
お兄様は、引き続き向こうの出方を見ると言って通信を切った。
切ったというか、シドが笑いながら「また連絡しまーす」と言って問答無用で切った。お兄様の背後から、部下の声が聞こえていて「こっちもまだ書類が!」と叫んでいたからだ。
いざとなればローゼリア軍に対抗しないといけないので、今はその準備で忙しいみたい。私のせいでごめんね、と心の中で謝った。
シドは通信セットをさっさと片付けて、部屋にある書き机の前に座る。
魔導書の続きを読むらしい。
「?どうかしたの?」
「いえ、別に~」
なんだろう。シドの背中からちょっと拗ねたオーラが出ている。
私はベッドに腰かけて、彼の背中に向かって言った。
「もしかして、私がシドには関係ないって言ったから?」
「………………何の関係もない、と言いました」
子どもか!?
だって婚約解消の場で起こったことは、私の責任だ。シドは教会の外で待っていただけで何も悪くない。
「あれは事実を言っただけで、あなたが拗ねるようなことじゃないのに」
「わかってます。でも」
机に向かうシドがちょっとだけこちらを振り返る。
「俺はあなたの一部なのに」
「っ!」
もはやペットのわんこを通り越して奴隷発言……?
お持ち物がイケメン魔導士だなんて、贅沢なスペックだわ。
「「……」」
またすぐに机に向かってしまったシドは、もうこの話は終わりにしたいという雰囲気だった。自分でもおとなげないと自覚はあるらしい。
ただしおそろしいのは、そんなことを受け入れてうれしいとすら思ってしまう私だ。もうシドが与えてくれる愛情にどっぷりつかってしまい、一人で生きていけそうにない。