この幸せは何のフラグですか?
ファンブルの砦を出た翌日。
私たちはニースに向かって馬を走らせていた。
これから小さな町に宿泊し、あることを確かめようとしているのだ。
「ねぇ、本当にこれが原因なの?」
私が手にしているのは、白い宝石。教会で婚約解消したときにノア様から渡された、異世界版詫び石である。
カバンの中にずっと入れていたんだけれど、シドがいうにはどうやらこれが私たちの居場所を教会関係者に伝えているらしい。
「迂闊でした。まさかノアがヴィー様の位置を把握しているなんて」
手綱を握るシドは、詫び石を一瞥して悔しがる。彼の中では確信しているようだ。
「でもノア様がなぜ?胃薬ジャンキーなイノセントキャラなのに、そんなことするかな」
「なんですか、その清らかなのか穢れているのかわからない中途半端なキャラは」
バロック殿下を殴ってしまった婚約解消の現場で、ノア様は私のことを気遣ってくれた。
昔から優しいお兄さんという印象で、悪意も敵意も、下心もまったく感じたことはない。
それに、あのときノア様は言っていた。
『このノア、この先は何があってもヴィアラ嬢の味方であるとお約束します!』
そんな人が私のことを追跡して、ファンブルに売り渡すようなことをするだろうか。
「私の味方だって言ってくれたのに……」
信じたい、信じられない。
私は戸惑いを隠せない。
「ヴィー様の味方は俺だけで十分ですよ~。あんな表情の読めない男は危ないです」
シドは以前からノア様に苦手意識があったらしい。
そんなことは感じさせない対応だったけれど。
「その宝石からは、微量ですが聖属性の魔力を感じます。水晶で連絡を取り合うと居場所がわかりますが、もしかするとその宝石は水晶の原石なのかも……」
ただのきれいな宝石じゃなかったんだ。
「ヘンリーに俺たちの居場所を教え、捕らえさせたのはノアでしょう」
「そんなことをして、ノア様に何の得があるの?」
「今はまだ何とも。その宝石は、国を出るときに捨ててくるべきでした」
気づかなかった自分が悪い、と言葉の裏には込められているみたいで……。
シドのせいじゃないのに。
「何となく持ってきたけれど、すぐに捨ててもいいのよ?そんな危険なものだったなら」
「いえ、利用させてもらいます。ノアの目的が知りたいですから。それに、なぜ俺がヴィー様を攫ったことになっているのかも知りたい」
「まぁ、実際に攫われたけれどね」
「ですよね~!あ、でも同意の上の拉致なので、外部の人間にギャーギャー言われる筋合いはないです」
シドは手綱を握ったまま、わざと腕の幅を狭めて私をぎゅっと抱きしめるように包み込んだ。
ぬくもりが幸せすぎて、私は目を細める。
「これがフラグにならなければいいんだけれど」
あまりに幸せだと怖くなるって本当ね。
もう離れたくない、そんな気持ちが湧き上がる。
それにしても、どういうつもりでノア様は私にこの宝石を渡したのだろうか。
昔から私に優しかったから、ただ居場所を知って手助けしたいという厚意であってほしいと切に願う。
でもあれだけタイミングよくヘンリーがシドのお母さんの元へやってきたことを考えると、シドの予想は当たっていそうだ。
一体何が目的で、ノア様はこんなことを?
監視するため?監視したところで何の意味もないだろうに。
私のことをどうしたいんだろう。
まさか戦を起こしたいとか、そんなことはないよね?
「……ノア様は敵なのかな」
風に揺れる水色の髪が頬に纏わりつく。私はそれを払い、シドの胸に顔を寄せる。
「俺にとっては、ヴィー様を狙う男はもれなく敵ですけれどね。それがどんな感情であっても」
馬は小高い丘の上を疾走し、麦畑の間を抜けて町の入口へと到着した。
「このソレアルの町の教会に、その宝石を寄付します。予想通りなら、ここに奴らはやってくる」
ソレアルは、ニースに向かう途中の町ではない。少し西にズレていて、偶然立ち寄るような町ではないのだ。
私たちにとっても寄る必要のない場所で、もしもシドの予想が当たっているならここに誰かが私たちを捕縛するためにやってくる。
「シド、いいの?自分を囮にするみたいなことして」
ヘンリーから聞いた話では、なぜか私ではなくシドに捕縛命令が出ている。
私はシドに誘拐されたことになっているから、捕まったら困るのは私ではなくシドなのだ。
馬から降りたシドは、私のことを支えて地面に下ろして言った。
「大丈夫ですよ。直接戦うわけでなし、戦っても負けません」
「それは、そうだと思うけれど」
今日のうちに教会に宝石を寄付して、明日以降で誰かがやってくるのを待っていればいい。隠れて見ていればいいんだから、戦闘にはならないだろう。
でもだからといって、まったく危険がないわけでは……。
馬から降りて町の中心部まで歩き、今夜の宿を探す。
小さい宿がいくつもあり、その中から女性が多く出入りしていた宿を選んで部屋を取った。
繋いだ馬に水をやり、途中で買った草や野菜も食べさせる。
シドは魔法で馬の身体を洗ってやって、私がブラッシングをした。手慣れた作業が夫婦っぽい……!
ごきげんで馬の世話をしていると、シドが優しい目でこちらを見ていることに気がついた。
「……何か?」
一人でニヤニヤしているところを見られ、つい責めるような口調になる。
ところが彼はとびきり甘い笑みを浮かべてさらりと言った。
「幸せです」
その一言にどきんと心臓が跳ねる。
「天然たらし」
「何か言いました?」
馬の胴体にもたれかかり、私はうなだれた。
私もものすごく幸せだと思っていたから、同じ気持ちでいてくれたことがうれしい。でも言えない。
なんでシドはさらっと言えるの!?
素直じゃない自分が歯がゆい。減るもんじゃないし、思ったことは口にすればいいのに。
ちらりと彼に目をやると、さっさと周囲の草を魔法で集めて片付けに入っていた。
いつかおもいっきり動揺させてやりたい。
私は秘かにそう決意した。