そして、わんこに拐われる
昼前になり「そろそろかな」と思っていたら、遠くの方で爆発音が聞こえ、ちょっと砦が揺れた。
シドが魔導士の研究所を爆破したんだろう。そんな気がした。
バルコニーに出ると、海沿いにある建物からもくもくと煙が上がっているのが見える。
「魔物の隷属化は、これで何もかもなかったことになるんですよね」
「あぁ」
ディミトリ様は、静かに頷いた。兄がやろうとした事を重く受け止めているようで、その表情は硬い。
そしてわずか十分足らずで、私たちのいるバルコニーにシドがやってきた。スッと柵を乗り越え、私の目の前に立つ。
「ヴィー様、お迎えに上がりました~」
「シド!」
私は勢いよく、彼の腕の中に飛び込む。
「おかえりなさい!あなたが遅かったから、ヘンリーの脇腹を砕いて牢の中よ」
ちょっと省略しすぎたかな、と思ったけれど、シドは察してくれて苦笑した。
「えーっと、何となくわかってしまった自分が怖いです。ご無事で何より……俺のヴィー様」
抱き締められると心地いい。
しかし、長くこうしてはいられないことはわかっていた。
シドはそっと腕を離し、私を見つめる。
「行きましょうか」
「ええ」
当然のように、シドが私を横抱きにするから焦る。
「ちょっと、この状態で行くの!?」
ドレスの裾がふわりと風に舞った。もっと動きやすい服に着替えておけばよかった、と思っても今さらだ。
「荷物みたいに担がれるよりはラクでしょう?」
そうだけれども。
恥ずかしくて呼吸が苦しくなるから、これもなかなか危険だ。
「あ、ディミトリ様。これ」
シドがポケットから二通の手紙を取り出した。
やや色あせたそれは、王家の蝋印が入っている。
受け取ってすぐに中身を見たディミトリ様は、驚きで目を瞠った。
「先王殺害の証拠となるでしょう。後はお任せします」
「これをどこで?」
「カリナーレ様を攫いに城へ行ったとき、ヘンリーの私室にある隠し部屋の中を漁ったら出てきました」
おもいっきり不法侵入してますね!?
まぁ、いいか。犯罪の証拠が見つかったんだから。
ディミトリ様にとっては複雑だろうけれど、ファンブルの王族としてこれからがんばってもらいたい。
彼は手紙を上着の内側に仕舞い、苦笑しつつ言った。
「本当に優秀だな。このままファンブルで仕官する気はないか?」
シドはにっこり笑って即断する。
「ありません」
ぎゅっと私の身体を支える手に力がこもった。
「俺にはこの人だけなんで。他には要りません」
「そうか。惜しい弟を放逐したよ。それが本当に心残りだ」
何気なく漏れた一言だった。でもディミトリ様は、確かにシドのことを弟だと言った。
ヘンリーなんて自分以外の誰のことも駒としか見ていなかったのに、ディミトリ様は一度も一緒に過ごしたことのないシドのことを弟だと思っているんだと思ったら、なぜか私の心がほわっとした。
よかった、ファンブルにもまともな人がいたのね……!
シドもちょっと驚いたようで、一瞬だけ動きを止めたのがわかった。
でもすぐにふっと笑い、バルコニーの柵に飛び乗った。
「それではさようなら。もう二度と会うことはないでしょう」
「あぁ」
ディミトリ様を振り返ると、シドはいたずらな笑みを向ける。
「どうかお元気で、兄上」
虚を突かれたディミトリ様は、力ない声で「あぁ」とだけ返事をした。
私を抱えたシドは躊躇なくバルコニーから飛び降り、テンポよく壁を蹴って地面に下り立つ。
「これでよかったの?」
シドに野心があるとは思えないけれど、王族として生きる道もあったのでは。ほんの少しだけそんなことを思った。
「はい。ヘンリーの企みはすべて潰せましたし、母はマーカス公爵領へ逃がせたし、ヴィー様は俺のものです。これ以上の成果はないでしょう?」
「ホントね」
目を合わせて笑い合い、互いに腕の力を強める。
シドの首元に手を回した私は、やっぱりここが私の居場所なんだと思った。
「……なんか素直ですね、ヴィー様」
「たまにはね」
会えなくなって、どうなるかと思った。
今になって、改めて大切さが身にしみる。口にはしなかったけれど、私がどれほど心配したかは伝わっていると思う。
シドは私を抱えたまましばらく走り続け、林の中へ入っていった。
そこには、ローゼリアから一緒に旅してきた馬のレトが待っていて、私はレトの顔を撫でて再会を喜ぶ。
「あぁ……!レト、元気だった?」
かわいいこの子は私の手に額を擦り付け、喜びを表現してくれた。
「シドったら、これも取り返してくれたのね」
私の荷物もちゃっかり取り返してくれていて、カバンの中には大事なたまご焼き専用フライパンもあった。
そして、何だか書物が増えている。
「これは?」
分厚い、ちょっと崩れかけているほどボロボロの本。これは今まで持っていなかったものだ。
「ファンブル城の禁書庫から盗んできました!古の転移魔術が使えるかもしれないんで」
「ええっ!本当?すごい!」
夢物語みたいだが、シドならもしかするとできるかもしれない。
彼は本を袋の中に詰め、落ちないように馬に取り付けた。
馬のそばに立ち、私はシドが出発を告げるのを待つ。
「本当に終わったのね……」
ようやくファンブルから解放されたと思ったら、頬が緩むのを止められない。
ご機嫌な私をじっと見つめたシドは、急にかしこまって右手を差し出した。
「ヴィアラ」
突然に空気が変わり、どきりとする。
シドがこんなに真剣な声色で話しかけることなんて、これまであまりなかったから。
「これで俺は完全にただのシドになりました」
「ええ、そうね」
紅い目が、強い意志を伝えてくる。
「俺には、この身一つしかありません。爵位も地位も、財も……あなたが今まで持っていたものも、これから得られるはずだったものも、俺には何もない。それでも俺は、あなたが欲しい」
鼓動が速くなり、息が詰まった。
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
「これから先も、一緒に生きてくれますか?」
私は左手で口元を覆い、何度も頷いた。
そして、右手を彼の手に重ねる。
「シドと……ずっと一緒にいる」
ポロポロと涙が零れ、視界が滲んでシドの顔がよく見えない。
抱き寄せられて、呼吸が落ち着くまでしばらくそうしていた。
「そういえばヴィー様、覚えてますか?」
「何を?」
シドは、ふと以前に交わした約束を持ち出した。
「母と無事に再会できたら、俺に褒美をくれるって」
私は少しだけ離れて、彼の顔を見上げる。
「え?うん、覚えてる。金貨十枚」
「違いますよ!」
何だっけ。
結局、相談しましょうみたいな感じで話は終わっていたような。
「何が欲しいの?今のところ、私の資産は金貨かたまご焼き用フライパンくらいよ」
この伝説のフライパン(?)が欲しいというならあげましょう。でもたまに貸して欲しい。
そんなことを考えながら小首を傾げると、シドは柔らかな笑みで言った。
「俺が欲しいのはコレです」
瞬きをする暇もなく、二人の唇が触れ合う。
「っ!?」
私はびっくりしてすぐに飛び退き、初めてのキスは一瞬で終わってしまった。
「あ、逃げた」
不服そうなシドは再び一歩詰める。
「何でもいただけるって聞きましたよ?」
「それは……」
言ったかもしれない。目を伏せて激しい心音と闘っていると、シドが私の頬にそっと手を添え、今度はしっかり唇を重ねた。
全身が暴動を起こしているんじゃないかっていうくらい、ドキドキしてつらい。
味わうみたいに唇を優しく吸い上げた彼は、目を瞑ってなされるがままだった私の頭を撫でた。
唇が離れると、もう少し……と思ってしまったのは言えない。
「これが、褒美?」
「はい」
え、こんなことでいいの?
キスが褒美なんてどこのお姫様だ。悪役令嬢の辞書にそんな事象はない。
しばらくきょとんとしていた私は、だんだん恥ずかしくなってきて狼狽え始める。
シドの視線が甘すぎて耐えられない。
何この人、こんな顔する人だったっけ。
「俺にとっては、この世で最も欲しかったものの一つです」
謙虚かぁぁぁ!
「こ、こんなものならいくらでも……」
「へぇ……いくらでも?」
「はっ!?」
私としたことが、迂闊な発言だったと今さら気づく。
「いくらでもしていいって言われたらいただきますって思うのが男のサガなんですが……残念ながら今は時間がありません」
「そうですね」
「早いところファンブルを出ましょう」
シドはそう言うと名残惜しそうに私の目元に唇を寄せ、ニッと笑った。
私をひょいっと持ち上げて馬の背に乗せると、自分も飛び乗って横座りの私を支えつつ手綱を握る。
「しゅっぱーつ!」
軽快に走り出す馬は、この四日間は砦でのんびりしていたから元気いっぱいだ。
海風が頬を撫でて気持ちいい。
身体を預けると、シドは前かがみになって私の頭に頬を寄せた。
あまりに近い距離に顔が熱くなるけれど、この状態なら顔を見られずに済む。
「シド……あのね……」
「はい」
どうしよう。事態は好転していないのに、幸せすぎて溶けそう。
この気持ちをどうにも言い表せないと思っていたら、シドの方が先に口を開いた。
「軟禁生活でちょっと太りました?触り心地がよくなっていて、とても気持ちいいです」
「せっかくの余韻を台無しにしないで!?」
私たちは二人旅を再開しました。
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