囚われの姫様は囚われない。
翌朝、砦の中はバタバタとしていた。
脱獄があったからだ。
シドは冤罪っぽい人を何人かを逃がしていたらしく、砦の兵は脱走者の捜索と牢周辺の修復作業に追われている。
私は部屋から出ることは許されず、完全に監禁されてしまった。けれど、侍女たちが代わる代わるやってきては情報を教えてくれるから問題ない。
もうすぐシドがすべてを終えて迎えに来てくれるはず。
私は動きやすそうな紺色のドレスを選び、窓から海を眺めてそのときを待つ。
どこから来るんだろう。やっぱり窓かな?
ディミトリ様に手引きをお願いして、砦の外まで連れ出してくれるっていう可能性もある。
早く会いたい。
地下牢で会ったとき、勢いで抱きついてしまったけれど意外に逞しかった。思い出すと照れて頬が赤くなる。
はっ、私ったらこんな浮ついた考えではいけない。
気を引き締めて、いつでも動けるようにしておかなくては。
パンパンと両手で頬を叩き、気合を入れる。
午前十時を過ぎ、愛しい人の帰りを待ちきれずにウロウロし始めた私の耳に、扉の外から数人の声が入ってきた。
「お待ちくださいっ!いくら陛下でも……!」
誰かがこの部屋に突撃しようとしているらしい。まぁ、だいたい予想はつくけれど。
「うるさい!全員下がれ!」
「兄上!」
扉の外から、ディミトリ様や侍女が止める声がする。
――バタンッ!
乱暴に扉が開き、全身に怒りのオーラを纏ったヘンリーが現れた。
「あら?どうなさったのです、陛下」
何も知らないような表情でそう言えば、ヘンリーの顔が少しだけ緩む。
「おまえは逃げていなかったのか。賢い選択だ」
「逃げる?」
きっとシドのお母さんたちが逃げたと報告を受けたんだろう。
だから私がまだいるかどうか確かめに来たんだな。心配性なこと。
「兄上、ヴィアラ嬢の無事が確認できたならよかったでしょう。女性の部屋にこのように押し入るなど」
「ディミトリ、おまえも下がれ」
ヘンリーはここに居座るつもりらしい。
ディミトリ様がぐっと拳を握る。
ここで兄弟喧嘩でもされて、ディミトリ様が疑われたらシドの味方が減ってしまう。
私は彼に目で「平気よ」と伝え、おとなしく部屋から出ていってもらった。
多分、廊下で待っていてくれるだろう。今も息をきらして駆けつけてくれたみたいだし、やはり律儀なんだな。
「どうぞ?私がお茶を淹れましょう」
部屋に二人きり。立ち話もなんだから、私は陛下に椅子を勧める。
お茶を淹れるといっても、さっきメイドが準備してくれていたのをカップに注ぐだけなんだけれどね。
ポットを手に微笑みかけると、ヘンリーはなぜか椅子に座らずに私の前までやってきた。
「陛下?」
少し怖くなり、私は一歩下がる。
真正面に立ったヘンリーは、じっと私を見下ろして何も言わない。
「あの……?」
「逃げられると思っているのか?」
投げかけられた質問。でもそれは問いのようで問いではない。逃がさない、と言われている気分だった。
「何をおっしゃっているのでしょう?おかしな陛下」
曖昧な笑みを浮かべると、彼が私の右手首を強く握った。
「放してください!」
「私はこの機を逃すわけにいかないのだ……!実の父まで手にかけたんだぞ、ファンブルもローゼリアも私のものだ!」
「っ!?」
実の父まで手にかけたってどういうこと!?
三年前、先王は病で倒れて亡くなったんじゃなかったの?
驚く私に、ヘンリーは言った。
「王にふさわしいのは俺だ。ディミトリのように甘い男ではない!屍の上に立つ覚悟こそ、王には必要なのだ!」
「なぜディミトリ様……?まさか、先王はディミトリ様に王位を、とお考えだったのですか!?」
ありえる。ディミトリ様なら賢王になるはずだ。少なくとも、この男よりはずっといい。
「私は王だ。機は味方している!おまえがこの手に落ちてきたのは、神が私にローゼリアを手に入れろと言っているのだ」
そんなバカな。
私は落ちてきたつもりはなく、連れ去られたと言った方が正しい。
「神は、戦を起こそうなんていう方の味方はしないと思います」
ヘンリーを睨むが、彼はもう狂っているように見えた。
「絶対に逃さない。おまえは私のものになり、祖国に復讐するんだ」
「私は復讐なんて望んでいません」
もう殴って逃げるか、そんなことが頭をよぎる。
が、普通の状態では力負けしてしまい、私はソファーに押し倒された。
「母親が消えたんだ。シドも今頃逃げているだろう。おまえは哀れだな。王子の婚約者でもなくなり、護衛にも逃げられ、私に利用される。せめてもの慈悲を与え、王妃と国母にしてやろう」
「っ!」
無骨な手がドレスの合わせにかけられ、力任せに裂く気なんだとわかった。
「ここで私を襲う気!?」
怒りでカッと全身が熱くなる。
ヘンリーは醜悪な笑みを浮かべ、私を見下ろした。
「怒った顔も美しい。おまえはシドからの献上品だ、せいぜい私に尽くすといい。他国に取り込まれた犬にしては、いい仕事をしたものだ」
「ありえない……!」
血も涙もないこの男に、我慢の限界が来てしまった。
シドのことをバカにするのは許さない!
「ふざけないでっ!!」
――ゴスッ!!
「ぐあっ……!」
私は右腕に魔力を纏わせ、のしかかっているヘンリーの脇腹めがけてそれを放った。
拳が肋にメリッと食い込む音がして、男の身体はぐらりと傾く。
「あなたにシドのことを犬呼ばわりされる筋合いはないわ!!いっぺん死んで来い!!」
「がはっ……!」
ソファーから転がり落ちたヘンリーは、仰向けに倒れた。
まだ怒りが収まらない私は、渾身の一撃を彼の腹に容赦なく叩き込んだ。
「はぐぁっ!!」