計画は続行中
ディミトリ様は私に投げられたショックを忘れることにして、頭を早々に切り替えたみたい。
「いったんご報告を。カリナーレ様は無事に保護して、ハルマン侯爵家でお過ごしです」
「あぁ、助かった」
え?
カリナーレ様ってヘンリーの側妃よね?ディミトリ様の想い人だっていう。
そしてハルマン侯爵家といえば、私の叔母様が嫁いだ家だ。
驚きで目を瞠る私を見て、シドが苦笑する。
「俺が交渉を持ちかけたんですよ。ディミトリ様なら、ヘンリーに不満を持ってると思って。戦争にも反対だって話を聞いて、『カリナーレ様はマーカス家で保護しますので、ヴィアラ様を守ってくれませんか』って」
「ふっ……守るどころか投げられたがな」
あ、ディミトリ様が遠い目をした。
思い出しちゃダメ。嫌なことは忘れてくださいね?
私はおほほほとお上品に笑ってごまかす。
「牢には幻術をかけていますから、俺がいないことはまだ気づかれていません。俺は昨日の朝に王都に向かい、ディミトリ様の新しい侍従のフリをして城に忍び込みました」
「よくバレなかったわね」
「そこはご本人に紹介状を書いてもらったんで。それで、カリナーレ様に事情を説明してこっそり城を抜け出し、二人でハルマン侯爵家に馬を走らせてそこで保護してもらったんです」
「叔母様に会ったの?」
「はい、お元気でした。ヴィー様がいないことにちょっと不満げでしたが、笑って見送ってくださって。あ、ほら爆弾もこんなに」
上着の内側をぺらっとめくったシド。そこにはグレーの丸っこい手りゅう弾っぽいものがずらりと並んでいた。
叔母様、シドに何をさせるつもり!?
「それでこの砦を壊せってこと?」
呆れてため息が漏れる。が、この使いみちはそうじゃないらしい。
「いえ、もしもヴィー様をヘンリーに奪われることがあれば、これで爆死して詫びろって意味だそうです」
「……早く捨てなさいそんな危険物」
あぁ、ディミトリ様がドン引きしてるじゃないの。
「えーっと、とにかくディミトリ様はカリナーレ様という人質が無事なら、私たちが逃げることに協力してくださるのね?」
「あ、あぁ、そうだ。それにこの国はローゼリアとの戦には不向きだ。南北に長い領土は、戦が長引けば兵糧を運べなくなる可能性が高い。第三国に山脈側の道を押さえられでもしたら、うちはすぐに敗戦するだろう。ローゼリアはニースと親睦が深いから、ローゼリアを攻めるとあの国が出てくる可能性がある」
ヘンリーは短期で戦を終わらせるつもりなんだろうか。
それに、気になることを言っていた。
「奥の手があると、陛下は言っていました」
私がそう告げると、シドはすべて知っているようで苦い顔になる。
「水系の魔物を操って、ローゼリアの海岸沿いの領地にぶつけるらしいですよ。ヘンリーは以前から、魔物の核をいじって隷属化する研究を進めていたそうです」
「隷属化?強制的にそんなことできるの?」
この質問にはディミトリ様が答えてくれた。
「理論上は可能だ。私にも詳細はわからないが、水系の魔物にはある程度効果があったらしい。他はまだ実現していないのだが、兄は魔物を操ってローゼリアを襲わせれば勝てると思ったんだろう」
とんでもない蛮行!
魔物に攻撃させるなんて、どれほど被害が出るか。
一般人が巻き添えになり、死者がたくさん出る。
想像しただけでゾッとして、私は自分を抱き締めるようにして身を竦ませた。
シドがそっと私の背に腕を回す。
隣を見上げると、顔色を伺うように覗き込まれた。
「お兄様に早く伝えないと……」
「はい。すでに連絡済みです」
よかった。お兄様がきっと対策を取ってくれる。
「昆布も守ってみせます」
「え、ラウッスー産の?」
「はい」
さすがはシド。抜かりない。
領民たちと昆布が同じ枠に入ってるのが気になるけれど、どっちも守ってくれるならまぁいいか。
「あ、シドのお母さんは?まだ砦に囚われているの?」
何とかして逃がさないと。
私はそう訴えるが、すでに手は打たれていた。
「母たちはすでに逃がしました。ヴィー様によろしく、と」
「無事だったのね!よかった……!」
シドの瞳がふっと和らぐ。
「今日の昼過ぎ、船でこの国を出ました。そろそろマーカス公爵領に到着する頃だと思います」
ホッとした。これでシドの憂いはなくなる。
感動の再会がこんな形になってしまったけれど、マーカス公爵領で匿われていれば安全だし、またシドに会えるだろう。
「私はこれから何をすればいい?シドの役に立ちたい」
彼の袖を掴んで縋る私。
けれどシドは、私の手をそっと包み込んで首を横に振った。
「ヴィー様はおとなしく部屋にいてくださいね~。俺はこれから、ヘンリーの息がかかった魔導士たちの研究所に向かいます。魔物に罪はありませんが、すべて処理してきます」
「それなら私も」
「ダメです」
一緒に行きたい、そう言葉にする前に強く拒否された。
シドは真剣な顔で告げる。
「殴り殺すのはかわいそうです」
「誰が戦うって言った?」
付き添いに決まってるでしょう!?
もうシドと離れたくないのに。
「冗談はともかく、タイムリミットは母のダミーに気づかれるまでです。明日の昼までには戻ってきますから、俺が迎えに行くまで絶対にここにいてください」
そう言うとすぐに立ち上がり、シドはバルコニーへと向かった。私も立ち上がり、彼の後を追う。
「ディミトリ様、諸侯への根回しはお願いします。それに、なぜ俺たちがヘンリーに見つかったのか気になります。やけに正確に俺たちの居場所を特定できたのがおかしい。そっちのことも探ってください」
「あぁ、任せてくれ。騎士の名に恥じぬよう、約束は守る」
まったく兄弟らしくないが、信頼し合ってはいるみたいだった。
ディミトリ様はやはり評判通り、まっすぐな人らしい。
「あと、ヴィアラ様をお願いしますね。俺の唯一無二の生命線なんで」
シドが私の腰に手を回し、ぐいっと引き寄せた。
突然の接近に、胸がどきりとする。
ディミトリ様は「わかった」と言って頷く。
「シド、気を付けてね?」
もう行ってしまうのか、口にはしないけれど縋るように見つめてしまう。
「ヴィー様、すぐに戻ります。では」
自然な所作で額に口づけられて、驚いて目を瞑る。動揺を露わにする私を見て、シドはニッと笑った。
彼は私から手を離すとバルコニーの手すりに飛び乗り、颯爽と階下に飛び降りる。
「いってらっしゃい……」
振り返らずに駆けていくシドに、私はそっと手を振った。
暗がりの中、遠ざかる姿をいつまでも見送ってしまう。
そんな私に向かい、ディミトリ様がぽつりと尋ねた。
「あの子は幸せだったか?ローゼリアに行って」
その声は少し淋しげで。
もしかすると、自分たちの代わりに人質に出されたシドに後ろめたい気持ちがあるのかもしれないと思った。
振り返った私は、風に舞う水色の髪を左手で押さえて優雅に微笑む。
「当然でしょう?私と一緒だったんだから。世界一、幸せよ」
ディミトリ様は一瞬だけ目を丸くして、ふっと笑った。
「そうか。それはよかった」
きっと運命だったのだ。
シドがうちに来たことも、私と出会って恋に落ちたことも。
悪役令嬢としての運命に逆らってきた、私はずっとそう思っていたけれど違った。
シドと幸せになる運命を歩いてきたんだ。ただそれだけ。
だからきっと、この先もずっと一緒にいられる。
「早く帰ってきてね」
すでにシドの姿はどこにもない。
冷えるから、と私を室内に戻したディミトリ様は、当初の約束通り部屋まで送ってくれた。