悪役令嬢は破壊することに決めました
「これはこれはヴィアラ嬢。月の女神と見紛う美しさですね」
「ありがとうございます」
澄ました顔で挨拶を流す私に、ヘンリー陛下はまるでペットを手懐けたいという感じで接してくる。ツレない態度をとっても終始笑顔で、とてもこれから戦を起こそうと企んでいる人には見えない。
その瞳の奥にドス黒い欲望が透けて見えるので、私は絶対に手懐けられないけれどね!
誰が自分を口実に戦争しようなんて人に懐柔されるのか。
晩餐は滞りなく進み、私は遠慮なくお料理や飲み物をいただいた。
何度もワインを勧められたが、意識が朦朧としては困るので頑なに断った。警戒しまくりの私を見て、陛下はクスリと笑う。
第二王子のディミトリ様は私たちと共に食事をしてはいるけれど、問われたことに答えるだけで積極的に交流を持とうとはしてこなかった。
不愛想なわけではない。でも彼もまた私のことを探っているのだろう。そんな気がした。
国の乗っ取りとかを警戒しているのかな。
私が正妃になることで、陛下を陰で操るとか?そんな面倒な仕事は、私の人生に持ち込み厳禁だ。
「明後日の夜には、あなたを王都に連れていきます」
「王都へ?」
突然のお知らせに、デザートのゼリーが喉に詰まりそうになった。
ここから西に二日ほど移動した場所に、ファンブルの王都はある。
ニースからもローゼリアからも遠ざかってしまうではないか。私の逃亡計画に支障をきたすので、どうにか明日中に逃げなくては。
「私がここに残りたいと言ったら?」
一応聞いてみる。
「シドは連れていきますが、それでもいいなら構いませんよ?」
人質をとるなんて卑怯だ。
シドが連れていかれるなら、私も行くしかない。会えなくても、離れるわけにはいかない。
もし今離れてしまえば、二度と会えなくなるかもしれない……。それだけは絶対に嫌だ。
「わかりました。王都へ向かいます」
「素直でうれしいよ、ヴィアラ」
手を握られて、全身がぞわっとした。
私の腕や足には鳥肌が立っている。触れられるのも、名前を呼ばれるのも耐えられない。
嫌悪感を隠しきれず、眉を顰めてしまった。
が、ヘンリーは満足げな顔でそっと手を離して立ち上がる。
「準備がありますから、私はこれで。ディミトリ、彼女を部屋まで送ってくれ」
「わかりました」
テーブルの下で、ナプキンで猛烈に手を拭う私。目も合わせず、お別れも告げなかった。
こんなにも態度で嫌悪感を表しているのに、メンタルが強すぎるだろう。
王族って怖い。
晩餐のテーブルには、私とディミトリ様だけが残った。二人とももう食事は終えていて、気まずい沈黙が落ちる。
もしかして私の「部屋に戻ります」待ち?
ローゼリアなら男性がタイミングを見計らって声をかけてくれるけれど、ファンブルではどうなんだろうか。
斜め向かい側に座るディミトリ様をちらりと見ると、ばっちり視線が合った。
短い黒髪に凛々しい目元、陛下とはタイプが違うイケメンだ。この人の方がシドに似ている気がする。
似てたからっていい人とは限らないが、ちょっとだけ親近感が湧いてしまう。
何となく視線を逸らさず、形ばかりの笑みを浮かべてみる。
するとディミトリ様は同じくじっと私を見たまま、口を開いた。
「兄は」
「はい?」
「兄は私にヴィアラ嬢と話をさせることで、シドについて情報を流させる気なんだ。それで君がシドのために、自分を正妃にしてくれ、シドを助けてくれと乞うのを待っている」
「情報を流させる……?私がディミトリ様から話を聞くと、シドを助けてくれっていうような事態になるの?」
嫌な予感がした。
全身に寒気が走り、手が小刻みに震えだす。
「シドに何をしたんですか」
信じられないくらい低い声が出た。
ディミトリ様はスッと立ち上がり、私のそばへ歩み寄ると背もたれに手をかける。
「ここではダメだ。歩きながら話そう」
私はそれに従い、ゆっくりと立ち上がり部屋を出た。
ディミトリ様は付き添いはいらないと言い、私と二人きりで砦内を歩く。周囲に人がいなくなった頃、彼は小さな声で説明してくれた。
「シドは今、地下牢に入れられている。とはいっても、拷問などは受けていないから安心してほしい」
「地下牢に……」
腹違いとはいえ弟になんてことを!
冷たい床で、苦しい思いをさせられているのでは。考えただけでゾッとする。
しかしディミトリ様は、さらに衝撃的な言葉を発した。
「その地下牢は、明日の夜になると満潮で溢れた水で沈む」
「なんですって!?」
この砦の地下牢は、海のすぐそば。満潮時には地下に海水が流れ込み、完全に水没するらしい。それを囚人の処刑執行としているそうで、明日がちょうどその日に当たるのだ。
バクバクと心臓が鳴り始め、私は胸の前で手を強く握った。
「海水が流れ込んだら死んでしまうじゃないっ!陛下はシドを見殺しにする気!?」
どうして?シドのことは駒だって、殺さないってヘンリーは言ってなかった?
気が変わった?
でも紫を失うなんて損失が過ぎる。
一体ヘンリーは何を考えているのか……。
「まさか」
ヘンリーは、このことをシドに伝えている。
そしてあえて私にも教えた。
もしも私が自分でシドを助けに行けば、牢から出た時点で二人とも捕縛される。いくらシドが強いと言っても、私を守りながら砦から脱出するのは不可能に近い。そうなれば、自分が戦に出るから私を助けてくれと頼むしかなくなってしまう。
一方で、牢が沈むことを知りながら私が助けに行かなければ、シドは自分が見捨てられたと思うだろう。少なくとも、陛下はそう思わせるつもりだ。
「卑怯ね」
もっとも早くシドを助ける方法は、私が陛下に「正妃になるのでシドを助けてください」と願うこと。でもそんなこと絶対にしたくない。
ぎりっと歯を食いしばる私を見て、ディミトリ様は淡々と話す。
「私はただの伝言係にされているんだ。君と同じく人質を取られているから、絶対に逆らえない」
「人質……?」
「ヘンリー陛下の第三側妃・カリナーレ、彼女は私の婚約者だった」
ディミトリ様によると、陛下は本来なら弟の婚約者だったカリナーレ様を強引に側妃に召し上げたらしい。
「兄は狡猾な人間だからな。私たちが想い合っていることに気づき、カリナーレを自分の側妃にすることで私への人質とした。側妃の命は、王の一言でどうとでもなるからな」
「ひどい……」
許せない。そんな卑怯な人間に絶対に負けたくない!
「……か」
「え?」
「この恨み晴らさでおくべきかぁぁぁ!!」
私は殺気をまき散らしながら、扇を握って顔を上げた。
「今すぐ牢を破壊するわ!!大丈夫、死人は出さないようにするから!」
「ちょっと待て!?まだ話は終わっていない」
牢がどこにあるかもわからないのに、走りだそうとする私の腕をディミトリ様が掴む。
「放して!もういっそ砦ごと全部破壊すればシドは見つかるでしょう?支柱はどこ!?折ってしまえば頑丈な石の砦でも崩れるでしょう!?」
――ボキッ
あ、扇が折れた。
それを見てディミトリ様が顔を引きつらせる。
「落ち着け!」
「放してー!!」
止めるなら敵よ!!
「おわっ!」
腕に魔力を込め、ディミトリ様をぐるんっと宙に浮かしてぶん投げた。
――ドンッ!
背中で着地した彼は、痛みで顔を顰める。
「ごめんなさい!でも私、シドがいないと生きていけないの!」
言い終わるよりも早く、海側の建物へと猛ダッシュする。倒れたディミトリ様が「一人でも生きていけるだろ……」と呟いていたのは聞かなかったことにした。
絶対に許せない!ヘンリーめ!!
私がいる限り、シドを死なせたりしない!
すれ違う兵や使用人が驚いているけれど、私は構わず走り続けた。