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ヒロイン不在の悪役令嬢は婚約破棄してワンコ系従者と逃亡する  作者: 柊 一葉
殴り系の悪役令嬢はお好きですか?
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謀る男《シドside》

だいたいこの手枷も、作ったヤツに文句を言いたい。

こんなもので(スピネル)を抑えられると本気で思ったのか?


魔導士の階級は(スピネル)から始まり、青、赤、緑、黄、白という6階級があるけれど、(サファイア)(スピネル)の間には天と地ほどの差がある。


俺たちを従わせたければ、暗黒竜を制御できるくらいの枷を持ってこい。


今はあえておとなしくしているだけで、魔力封じの手枷をつけていても魔法は使いたい放題に使える。


魔力を吸い取ることで無力化する仕組みだろうが、あいにくちょっとやそっとの量を吸い取られたくらいでこの身体は何ともない。


普通の人間が、髪の毛を二、三本抜かれたってどうってことないのと同じだ。


ヘンリーがこの手枷が無意味であることに気づいていないのは、この国にいる(スピネル)がヤツに従っていないからだろうな。


この手枷が(スピネル)に有効であると、偽りの報告をしているんだろう。使える枷なんて作ったら、もし今後ヘンリーに逆らったとき自分たちに脅威が及ぶかもしれないから。


誰だって、自分の身がかわいいもんだ。


俺は通気口から入るかすかな光が完全に消えたのを見計らい、そろそろ動き出す頃合いかと立ち上がる。


――パキンッ……。


ちょっと魔力を込めると、すぐに手枷が崩れ落ちた。


脆いなぁ、ドワーフにでも原型を作ってもらえばいいのに。


「さてと、行きますか」


この牢には幻術をかけ、俺が倒れて眠っているように見せかけた。

牢番らは酒を飲み、ただ食っちゃべっているだけだしバレることはなさそう。


風魔法で天井を丸く切り取り、真上の土を(えぐ)る。ここが砦の裏庭の真下だったので、脱出も簡単だった。

なんていうラクラク逃走設計の砦だろう。敵ながら心配になってきた。


マーカス公爵家なら、牢の壁を壊したり天井に穴を空けた時点で爆発するくらいは仕掛けそうなのに。




砦の中に潜入し、兵士を昏倒させて鶯色の軍服を奪う。

調理場で酒を盗み、この兵士に飲ませて全裸で食堂の裏に捨てておく。服がないのは酔って脱いだと思うだろう。


メイドに絡んでいたようなヤツだし、罪悪感はない。


軍服を着てみると、意外に似合った。

これ見たらヴィー様は何て言うかな。最近、俺の一挙一動に動揺してくれるからおもしろくてかわいくてたまらない。


円満で平穏で幸せな逃亡生活のためにも、ヘンリーの企みはぶっ潰しておこう。


まずはヴィー様と母さんたちの居場所を使用人から聞き出し、脱出計画を立てる。


それからは、砦の中を探索。書庫も漁っておこう。魔導士たちの研究室にも侵入したいな。


ヘンリーが戦を起こす前に、内側から引っ掻き回してやる。


やっと手に入れた俺の姫さんを、ファンブルなんかに取られてたまるか。


『私、シドが大好きなの!絶対に一緒にいてね!』


俺が最初にお嬢を好きだと自覚したのは、十二歳のとき。

それまでは俺の後をついてまわる妹みたいな存在だった。


幼かったお嬢は、何も持っていなかった俺を求めてくれた。強くもなく賢くもなかった俺に、一緒にいてと願ってくれた。


毎日毎日訓練で死にかける俺にとって、屈託のない笑顔で迎えてくれるお嬢だけが癒しであり、生きがいだった。

いつか誰かに奪われる、そんな当然のことをわかっていない俺は、子どもの頃はずっとお嬢との暮らしが続くもんだと思っていて。


バロック殿下と婚約が調ったばかりの頃、お嬢はまだ例の悪役令嬢なるものの夢を見ていなかった。

王子様との婚約、ただその言葉だけを受け取ってのほほんと笑うその顔はたまらなく愛らしかった。


『私もきれいな花嫁さんになるのかしら~?』


きゃっきゃとはしゃぐお嬢を見て、俺は思った。


――俺は、花嫁衣裳を着たこの子を見送るんだろうか


自分には何もない。

この子しかいないのに、全部持ってる王子にそれすら奪われるんだろうか。


それだけは嫌だ。

お嬢は俺のだ。

十二歳のときからは、彼女を得るためだけに力をつけてきた。


あれから何年もかけて、着々とお嬢を攫うために力を蓄えてきた。

(スピネル)にまで昇りつめたのは、俺の気持ちを察したイーサン様が「ヴィアラの婿になるならせめて最高位まで獲ってもらわねば」と冗談交じりに言ったから。


この力はすべて、彼女との未来のために文字通り血を吐くような努力で手に入れたものだ。


若い衆からは「いつもへらへらしてんな」って呆れられたが、師匠の修業がつらすぎてもう笑うしかない状況だったから、これは仕方ない。


俺は十七歳のとき、魔導士の最高位である(スピネル)の称号を手に入れた。

イーサン様の魔法道具づくりも手伝い、新たな魔法も生み出せるようになったことで魔導士ギルドから報奨金も定期的に入ってくる。


そこらの伯爵家をしのぐ財産は確保できた。

身分以外はお嬢にふさわしい男になれた、そう思っていたのに……。


学園を卒業してマーカス公爵家に戻ってくると、お嬢は俺の予想の斜め上を突っ走っていた。


なんと、自領の農業生産を大幅にアップさせ、領民からは豊作の女神なんて呼ばれていたのだ。


『うちの領内では、小作人が引越しできるようにしたの。その方が、よりいい地主のところで働いて、いい仕事をしようって競争心や向上心が湧くでしょう?』


この国に限らず、どこの土地でも地主の権力は領主の次に強い。

小作人が働く土地を選ぶなんてありえない。


マーカス公爵領だけが例外で、小作人が自分で地主を選ぶことができる。


『誰だって農地を改革して、生産量を上げるために尽力してくれる上司の方がいいに決まってるじゃない。この人のためにがんばろうって思える人のもとで働きたいでしょう?』


生粋のお嬢様が、まるでどこかで労働階級を経験したかのようなことを言う。

イーサン様は基本的に人づきあいが苦手だから、自領のことはお嬢に半分以上任せていたので、この施策についても簡単に許可を出したらしい。


それに、お嬢は領民や地主問わず接触を持ち、彼らに頻繁に声をかけた。


当主であり領主はイーサン様だが、お嬢が自ら領地を歩いて親身になって声をかけることで領民たちの意識がかなり変わった。お嬢は第一印象こそ気位の高いご令嬢だが、ひとたび話せば意外に人懐っこくて選民意識がほとんどない。


ちょっと隙があって抜けているところが、見た目とのギャップになってコロッと印象が変わる。


『ヴィアラ様がこの国の王妃様になれば、どれほどいいか』


護衛として付き従っている間、何度も領民たちが口にするこの言葉。発狂しそうになるのを必死で抑えた。


当の本人はそれを聞くたびに、かすかに悲しげに表情を曇らせるのが俺にとっては救いなわけで。


黒くてずるい俺は、そんなときあえて優しい声音で囁き続けた。

「俺が何とかしますから大丈夫です」と。


師匠のグラート様は俺の秘めた想いを肯定も否定もせず、「本当に大切なものを得るためには、機を見計らえ」とだけ教えてくれた。


そして俺は、絶好のタイミングでお嬢を手に入れることになる……。


今回の国外逃亡、きっとお嬢は自分の都合に俺を巻き込んだと思っているだろう。でも、それは違う。


だって、あんな王子に奪われるくらいなら俺が絶対に奪って逃げると決めていたんだから。

時間やタイミングが前倒しになっただけで、結果は何も変わらない。


教会で婚約解消の儀を行った後、ヴィー様が満面の笑みで俺の腕に飛び込んできたときのことは、はっきりと覚えている。まるで俺のものになったかのように、違和感なくスッとこの手に細い身体が収まった。


抱き留めたとき、もう絶対に離してなるものかと思ったのだ。


その後はもう、瞬時にすべてを計算した。どうすれば安全にこの人を俺のものにできるのか。

邸に戻ると、俺はすぐに若い衆を動かした。今後、俺がマーカス公爵領にいなくてもいいように。


かわいいヴィー様はまったく気づいていないが、俺がイーサン様から任された仕事は港まで送り届けることだった。


幌馬車で見せた『妹をよろしくね!』のメモには、頭に『港まで』と書いてあったんだ。


本当ならスキンヘッドのガリウスが、旅に同行するはずだった。

イーサン様のことだから、国外逃亡する妹の傷心に男がつけ込むのを避けたかったんだろうな。


ガリウスは愛妻家で、その心配がない。腕も立つ。


だが俺は、自分以外の誰にもヴィー様を任せたくなかったからあいつの任を勝手に解いて役目を奪った。

『港まで』の文字を水魔法で消し去って。


通信で話したとき、イーサン様は呆れていた。「おまえは本当にずる賢いな……!」と言われたあれは、褒め言葉として受け取っておく。




潮風が吹きすさぶ塔の上に登ると、青白い月が浮いていた。


ヴィー様や母さんを監禁するなら、海に面した逃げ場のないこの塔が最適だろう。


見張りの兵を眠らせた俺は、愛しい人の姿を探して塔の中を秘かに調べる。


最上階の客室で、何か難しい顔をしたヴィー様を見つけたのはそれからすぐのことだった。


「いた……!」


きっとここから逃げようと、あれこれ悩んでいるに違いない。


窓越しに見えるその横顔に、「俺が全部片づけますからね」とだけ呟いてこの場を去る。


あ~あ、もっと楽にニースまで逃亡できるはずだったんだけれど。


こうなったものはもう嘆いても仕方ない。

俺は俺のやるべきことをして、ヴィー様を無事にここから連れて逃げる。


大丈夫、全部うまくいく。


真っ暗闇の中、かすかな灯りを頼りに俺は砦の城壁を走っていった。





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