もっと気合の入った嘘をつけ
ヘンリー陛下といえば、この国・ファンブルの若き国王である。
先代国王と正妃の第一子であり、25歳。シドとは腹違いの兄弟だ。
「おや?我が国の菓子はお気に召しませんか?」
「いえ、そういうわけでは」
「私という一国の王を前に、緊張なさっているのでしょう。かわいい人だ」
脳内の悪ヴィアラが「こいつ気持ち悪いわ」と呟いた。
私たちは仲良くできそうにない。
「「…………」」
なぜ私は、隣国の王様と一緒にお茶しているのか?
空気に徹する侍従、ずらりと壁際に並んだメイドたち。まったく寛げない環境である……。
「慣れない旅をしてお疲れでしょう?ここは小さな砦に過ぎませんが、心より歓待します」
「まぁ、ありがとうございます」
笑顔が胡散臭いこと、この上ない。けれど、それは私も同じか。
目の前で優雅に微笑むヘンリー陛下は、シドと全然似ていない。
髪色や目の色の問題ではなく、犬っぽくて人懐っこい容姿のシドに対して、ヘンリー陛下は陰な感じが伝わってくる。
薄茶色の髪は右から左にアシンメトリーで流していて、襟足はやや長め。
目鼻立ちが整っている美形ではあるが、雰囲気がどことなく妖しい。
きれいな人なんだけれど、見るからに悪役で(私に言われたくないだろうか)、できれば近づきたくないと無意識に警鐘が鳴る。
私たちは、ヘンリー陛下の出現により、あえなく強制連行となった。
手荒なことはされなかったけれど、ウェルヒネスタの近くにある砦に連れてこられてしまい、門をくぐると私は客室へと案内された。
シドに視線を送ったら「大丈夫だ」と目が言っていたから、私はおとなしく従って現在に至る。
緋色の豪華なドレスは金糸の刺繍が上品で、ネックレスもイヤリングも王族にふさわしい煌めきを放っている。
ローゼリアで有数の資産家であるマーカス公爵家の娘でも、このドレスや装飾品には驚いた。
浴室で全身を磨かれ、ドレスアップをさせられた私はなぜかわからないけれどこうしてヘンリー陛下とお茶している。
シドは?
シドのお母さんたち一家は?
この砦の中にいるんだろうけれど、三十分は待っているのに一向に彼らが現れないのでそろそろ不安になってきた。
私が何を気にしているか、ヘンリー陛下はわかっているのにあえて口にしない。
しびれを切らした私は、紅茶のカップを戻してまっすぐに彼の目を見て尋ねた。
「シドや彼の家族はどちらに?」
「おや、気になりますか?あなたが気にするようなことではありませんが」
普通は気にするだろう。
不満が顔に出そうになるけれど、私は笑顔を貼り付けたまま崩さない。
「シドは私の護衛ですので。陛下の弟ではありますが」
弟だなんて思ってはいないんだろうけれど。これは私からの嫌味である。
直訳すると、「半分でも血が繋がってるのに、酷い扱いしてないだろうなコラ」だ。
ヘンリー陛下はクスリと笑う。
「シドには、ローゼリアから捕縛依頼が来ています」
捕縛依頼?
それってシドじゃなくて私なのでは。眉根を寄せると、ヘンリー陛下はにこやかに続けた。
「あなたを拐かしたという罪です」
「は?」
どういうこと?
私は自分の意志で逃げたのだ。それなのになぜ?
まったく理解できない。
「あぁ、これまで抵抗できずに怖い思いをなさったのでしょう?もう安心です」
「それ、本気で仰ってます?」
「いいえ?」
何このムダな会話。
私は小さくため息をついた。
「ローゼリアからの連絡によると、シドはあなたを人質に取り、バロック殿下に婚約解消を迫った。そして、術式が解除できた途端に殿下に暴行を働き、あなたを連れ去ったとのことです」
ストーリーの偽造と罪の擦りつけがすごい!
ウソ発見器にかけたら、機械が爆発するんじゃないか。
堪えきれずに、鼻で笑ってしまう。
きっと今の私は立派な悪役に見えるだろうな。
「それはどちらで観られる劇ですか?おもしろみのない駄作ですこと」
「おや?そうでしょうか。私は実に興味があり、できれば出演したいくらいだ」
「ご冗談を」
とんだ嘘をついてくれたものである。つくならもっと気合の入った嘘をつけ!
あぁ、でもそういえばバロック殿下らしい。
女に殴られて内臓損傷させられた上、あっさり国外逃亡されたんじゃプライドはズタズタ。
ところが一連の事件がすべて、国内最強と名高い紫の仕業であれば言い訳も立つということか。
まぁ、暴行されて、婚約者を連れ去られてることもなかなかの醜聞なんだけれど、よほど切羽詰まってたんだろうな。
自分の状況がやばいことはわかったんだ、と感心してしまった。
私は銀色の瞳を細め、形ばかりの笑みを浮かべる。
「何か行き違いがあったようで、ご心配をおかけいたしました。私が国を出たのは、叔母に会いに行くつもりでしたの。護衛を連れた、ただの気まぐれな旅ですわ」
おほほほほ、と笑えば、ヘンリー陛下もにこやかに笑った。
目はまったく笑っていないけれど。
「そうですか。ローゼリアも大きな勘違いをしたものですね」
おや?こんなにすぐに乗ってくれるものなのかしらね、と思ったらやはりすんなり事を収めてはくれなかった。
「でもそれでは困るんですよ」
淡々とした口調で陛下は告げる。
「あなたは、ローゼリアで虐げられた。とても国にいられないほどに。そして、ファンブルに逃げおおせたところで私と出会い、恋に落ちたのです」
「はぃ?」
何言ってるの?
誰と誰が恋に落ちたって?
「あなたは私と将来を誓い合い、この国の王妃になる」
「何を仰っているのですか?」
不快なストーリーに眉根を寄せる私に構わず、陛下は続けた。
「そして私はあなたのために、妃を虐げた悪の国を討つ。実にすばらしい恋物語だと思いませんか?」
ちょっと待て。
悪を討つって……
「ローゼリアに戦を仕掛ける気ですか!?」
どんな三流物語よ!?
国王が自分の恋路のために、戦を起こすなんてバカげてる。
「陛下は、私のことを戦の口実にするおつもりですか!?」
思わず立ち上がって抗議した。
だが相手は涼しい顔で口角を上げる。否定しないということが、質問に対する答えだった。
「三年前に王位を継いだときから、幾度となく機会を探ってきました。私はね、ローゼリアの肥えた土地が欲しいのです。ファンブルは乾きやすく水不足になりやすい土地ばかり、隣国にはあれほど富や穀物があるというのに」
「だからと言って、理不尽に奪うなんて間違っています」
他人を羨んでも、妬んでも虚しいだけ。
それは、悪役令嬢に転生した私にはよくわかる。
もしも私が普通の女の子だったら。
王子の婚約者じゃなかったら。
ただ生まれてきただけなのに、どうして悲恋に身を焦がして死ぬ運命なのか。
誰か私と代わって欲しい、何度もそう思った。私じゃなくてもいいはずだって。周りを羨んで、そのたびに黒くて醜い気持ちが渦巻くのを感じた。
「この国の土地が痩せているのは、ローゼリアのせいではないわ。奪わずともまだ余地があるはずよ。それに、土地を奪ってもそこは肥えているけれど、ファンブル全体が豊かになるわけじゃない。戦で疲弊した民が餓えるだけ」
新たな土地が誰に与えられるか、それも争いの火種になる。しかも根本的な問題として、ローゼリアが負けるとは思えない。
「ふふふっ、あなたがどう思うかはご自由に。ただし私はあなたとの出会いに感謝しますよ。ローゼリアに攻め込むきっかけをくれましたから。まさか一度放り出した弟が、その機を持ち帰ってくれるとは……」
「シドはどこ!?」
「ご安心を。あなたが私の正妃となる以上、私に逆らうことはできません。ヴィアラ嬢のためならば、喜んでローゼリアと戦うでしょう」
「私を人質にする気?」
どこまでも汚い男だ。弟の意志も、命も何とも思っていない。
私はじろりと睨むが、ヘンリーはまるで褒め言葉をもらったかのように悦に浸った笑みに変わる。
「紫は戦力になりますから。殺すには惜しい駒です。あなたや母親のためなら、存分にその力を奮ってくれるでしょう」
「勝てるわけがない。シドがこちらにいたって、ローゼリアには私の兄も含めて紫が五人はいるのよ?返り討ちにされるのがオチだわ」
五人というのは嘘だ。本当は八人いるけれど、戦力を明かすことは不利になるので過少申告しておく。
「五人ですか。私が育てた奥の手がありますから、何とかなりそうですね」
「奥の手?」
まだ聞き出そうとする私に対し、ヘンリーは笑みを崩さず、席を立つ。
「美しいあなたにこれ以上のことは聞かせられません。しばらくこちらの砦に滞在していただきますから、おとなしくしていてください」
「なっ……!?」
ある程度、予想はしていたけれどこれはマズイ状況だ。
おとなしく軟禁されている場合じゃない。何とか逃げなければ。
シドを見つけて、お母さんたちも助けて、ファンブルから逃げよう。
「お嬢様、お部屋までお送りいたします」
一人の騎士が私に声をかけてきた。
「部屋以外に行くことはできるの?」
「いいえ」
でしょうね!
わかってた。一応、聞いてみただけ。
黙って従った私は、逃走する隙を探すことにした。