兄にも色々いる
「ヴィー様、様子がおかしいです」
お母さんのお店が近づいてきた頃、ピタリと足を止めたシドが小声でそう告げた。
多くの人が行き交っているはずの時間帯、それなのに私たちの向かう方向からは誰一人として歩いてこない。
家々の窓は閉じられていて、この商業エリアの人がどこかに行ってしまったのではないかと思うほど静かだった。小鳥やカラスがときおり羽ばたくくらいで、人の姿が見えない。
嫌な予感がした。
「早く行こう!」
私の言葉にシドは黙って頷き、小走りですぐ近くにある目的地に急ぐ。
角を曲がり、昨日も見た有名な学者の銅像の脇を通り過ぎ、お母さんの店の前に着いたときに嫌な予感は当たってしまった。
「っ!」
心配そうに、遠巻きに見る野次馬たち。私たちは彼らをかき分け、お母さんの店の前に飛び出す。
するとそこには、五人の騎兵を前に毅然とした態度で睨みをきかせる黒髪の女性がいた。
右手には身長より高い、木でできた大きなしゃもじみたいな調理器具を持っている。騎士相手にそれで戦うつもりなのか、と信じられないけれど、シドのお母さんは鼻息荒く立ち向かっていた。
「だから帰っていないって言ってるじゃないの!もう何年も会っていないから、知らないわよ!!だいたい、私の息子を連れてったのはあんたたちでしょう!?」
「ここに来ていることはわかってるんだ。隠し立てすると容赦しない」
二人の会話から、彼らはシドを探しているんだとすぐにわかった。
はっと息を呑む私。このままじゃ、お母さんが大変な目に遭ってしまう……と思ったらシドのお母さんは強かった。
「隠すってどこに隠すのよ、こんな狭い家で。それとも何かしら?全員私の治療が受けたいわけ?回復魔法のかけすぎは骨を砕いて臓腑を腐らせるってご存知かしらねぇ?」
怖っ!元聖女の反撃って怖っ!
騎兵が顔を歪めて、明らかに怯んだのがわかった。
さすがはシドのお母さん、やり口がえぐい。
が、さすがに五対一は分が悪い。
私が何かする前に、シドが兵の前に飛び出してしまった。
「母さん!」
全員の視線がシドに集まる。
黒髪に赤い瞳。渦中の息子の登場に、その場の緊迫した空気が一瞬にして変わった。
「どうして……!」
毅然とした態度を貫いていたお母さんが、目を見開いて唖然とする。
シドは隊長らしき人を睨みつけ、右手に魔力を集めた。
「何の用だ。俺ならここだ」
「シド!」
私はすぐに彼に続き、ローブの裾を持つ。
「大丈夫です。いきなり焼き殺したりしませんから」
いや、安心できない。目がイッてるよ?
お兄様と地獄の三日間耐久訓練に挑んだときと同じで、悪魔みたいな顔になってるから。
「あははは、ヴィー様ったら淋しがり屋ですか?ちょっと待っててくださいね~、再会ついでに害虫駆除をしていきますから」
もう害虫って言っちゃってる。
ダメだって、あまり派手に暴れたらお母さんがここにいられなくなっちゃう!他の人にも被害が……!
サーッと顔から血の気が引く私とは真逆に、シドは目をランランと輝かせて右手から赤い炎を出す。
「はい~、十秒以内に逃げてくれなきゃ自然現象の火災に巻き込まれますよ~!」
「「「ぎゃぁぁぁぁ!!」」」
野次馬たちが一斉に逃げ出した。
あなたたちのことは焼きませんけれど!?って思っても、もう遅い。
その上、お母さんは止めてくれるのかと思いきや、右手を頬に当てて困った顔で助言する。
「ダメよ、シド。自然現象ならもっと高温の青い炎にしなきゃ。仕上がりのきれいさが大事よ?」
どういう理屈!?自然現象ってどう考えても無理だからね!?
家の中からこっそりこちらを覗いている旦那さんらしき男性と、その腕に抱っこされている五歳くらいの男の子があんぐりと口を開けているのが見えた。
うん、びっくりだよね!
毎日シドと一緒にいる私でもこの状況はびっくりだから!
恐れおののく騎兵たち。馬が暴れ、投げ出される者もいた。
しかし背後から、また新たな兵が現れる。
「もうそのあたりで。おまえもここで戦闘にしたくないだろう?」
五人の騎兵を引き連れた、いかにも身分の高そうな男性が澄ました顔で近づいてくる。
薄茶色の髪に緑色の目、屈強な体格の美形だった。
護衛の騎士に囲まれ、立派な衣服を纏い、傲慢さの滲む表情は自信に満ち溢れている。
「久しぶり、と言っていいものかな?まだ生きていてくれてうれしいよ」
馬上からシドを見下ろすその目は、とても冷たい。口調も明らかにバカにしているように感じる。
シドは私を背に庇い、その人の視線から隠した。ピリッとした緊張が走る。
「おや、挨拶もしてくれないのか?」
薄笑いを浮かべた顔。
やれやれ、と大げさに右手を額へやる。
「せっかくここまで出向いてやったのに、冷たい弟だな」
「チッ」
え、今シド舌打ちした?
皆も「え?」みたいな顔になってる。
「…………こんなところまで何用ですか、ヘンリー陛下」