親子揃って甘党
部屋に入ると、鍵をかけてカバンをチェストの上に置いた。
シドはサンドウィッチの入った籠をテーブルに置き、ベッドに腰かけて視線を落とす。
窓の外は薄暗くなっていて、そろそろ夜の闇が落ちる。私はランプをつけ、それをテーブルの上に置いた。
ほわっと明るい光で満たされた部屋。シドの影が濃く壁に映る。
「シド」
「……」
ベッドに座ってぼんやりとする彼は、喜びや悲しみなど何もない空っぽの状態に見える。
どうしていいかわからない私は、シドの真横に立って彼の頭を抱き締めた。
「お母さん、きっとシドがあんまりカッコよくなっていたからわからなかったのよ」
「……」
「第一、仕事中だったし!勤勉な人なんだわ。客をじろじろ見るなんて三流の店だもの」
「……」
「あぁ、もしかして気づいていたけれど嫉妬したんじゃない?私みたいに高貴な美女を連れてるから、息子を取られたみたいで素直に言葉が出なかったんじゃないかしら!?」
くっ……!気の利いた言葉が思いつかない!将来は王太子妃っていうことで朝から晩まであんなに勉強したのに、何の役にも立たない!
身につけた異国の言葉や各国の文化・歴史、音楽やファッションなどの教養なんて頭から消え去ってもいいから、慰めというスキルをください!
無力さに打ちひしがれて、私の方がシドの頭にもたれかかっていると、ちょっと顔を上げた彼がぼそっと呟く。
「ヴィー様、もしかして慰めてくれてるんですか?」
「いえ、感想を述べただけ。慰めじゃないの」
慰めになってないもの。慰めましたとは言えない。
しばし沈黙を守っていると、シドがくすりと笑った。そして、少しだけ明るい声で話し出す。
「いいのですよ。俺だと気づかない方がきっと幸せです。本音を言うと気づいて欲しかったようなところもありますが、でも、失くしたものを忘れて幸せになっていてくれることが一番だと思いますから」
「シド……」
自分から子どもを捨てたわけじゃないのに、忘れるなんてことがあるんだろうか。
やっぱり成長してしまって、すぐには気づけなかっただけだと思うんだけれど。絶対、会いたいって思ってるはず……。
でも悲しいかな、それを立証する手段はない。
もう名乗らないつもりなのかな。
ここまで来て、それでいいのだろうか。
「もう一度、会いに行かないの?」
おそるおそる尋ねると、シドは私の背に左腕を回した。
「はい。もういいのです。俺にはヴィー様がいますから。それに」
「それに?」
「胸が気持ちいいので、もう出かけたくないです」
「はぁぁぁ!?」
慌てて飛び退くと、シドはいつものように笑っていた。そして甘えるように、縋るように願う。
「一緒にいましょう?今日だけは、ずっと」
そんな目で訴えかけられたら、嫌とは言えない。もちろん答えは、オッケーなんだけれど。
窓から入ってくる風に黒髪がさらりと揺れ、力なく笑った顔に切なくなった。
「……今日だけなんて、言わないでよ」
振り絞るように出した私の答えに、シドは驚きで目を瞠る。
「私がずっと一緒にいるから」
座っているシドの正面に立ち、その手を強く握った。冷たい指先を握りこむようにすれば、一拍置いてからさらに強く掴まれる。
「ヴィー様」
「何?」
「キスしてもいいですか?」
「んぬぁっ……!?」
衝撃発言に私は顎が外れそうになる。
そんなこと言われて「どうぞ」って言える人いるの!?言わずに勝手にしてくれればいいのにー!!
狼狽えた私は、慌ててテーブルの上のサンドウィッチに助けを求めた。
「さ、早く食べましょう!食堂でスープとか酒とかもらってくる?もういいよね?今すぐこれを胃の中に収めたいよね!?」
捲し立てる私を見て、シドは小さく息をついた。
「まだ無理ですか~。なんか流れでいけるかな、って思ったんですけど」
「バカなこと言ってないで食べるわよ!サンドウィッチの神に感謝を!」
籠の中から二つのサンドウィッチを取り出すと、見た目ですぐに違いがわかった。
私の選んだ辛いソースの方は、肉の色がオレンジ色で香辛料が効いていそうだから。
「シドはやっぱり甘口にしたのね。そうだと思った」
昔からシドは甘いものが好きで、お子ちゃま舌なのだ。
サンドウィッチを手渡そうと彼の前に突き出すと、シドはなぜか眉根を寄せる。
「なんのことです?それ以外に種類があったんですか?」
「え?だって買うとき聞かれたじゃない」
甘いのにするか、辛いのにするか。
確かに私はそう聞かれた。
「私にだけ聞いて、シドには聞かなかった?」
もしかすると……。
二人で目を見合わせて黙ってしまう。
そして籠の中を確かめると、布の下に木の札が入っていた。私はこんなもの入れていないから、サンドウィッチを入れるときに一緒に入れられたんだと思った。
「これ」
営業中と彫られた木の札。お店のカウンターに置いておくべきものだ。手のひらに乗るくらいの長方形のその札は、裏側に黒炭のカケラで滲む文字があった。
『おかえりなさい』
走り書きだとわかるほど、急いで書いた文字。
シドにソースの種類を聞かなかったのは、きっとこの味を子どものときのシドが好きだったから。
木の札を見て茫然とするシド。私は隣で涙を浮かべて笑った。
「なんだ。気づいてたのね、お母さん」
あの数十秒の間に、自分の息子だと気づいてこっそりこのメッセージを託したんだ。こちらに、名乗れない事情でもあったらと遠慮したのかも。
「ははっ……、こんなものに書くなんて。一言、言ってくれればよかったのに」
シドは目を閉じて、呆れた口調でそう言った。気づいてくれなかったと、内心は拗ねていた自分を嘲笑う。
「それ、明日の朝にでも返しに行かなきゃね」
もうお店は閉まっているだろう。明日の朝一番で、またお母さんのところへ行って今度こそ……。
「とりあえず、これを食べた感想は伝えないとね」
「そうですね。十六年ぶりの手料理ですから」
シドは木の札をローブの内ポケットに仕舞い、サンドウィッチを食べ始めた。もぐもぐと頬張るその姿は、頼もしい護衛でも、不謹慎発言の多い陽気な魔導士でもなく、どこにでもいる普通の男の子だった。
「おいしいね、これ」
「はい、おいしいです。とても」
二人きりの部屋に、ほのぼのとした空気が流れる。
口の中に残るソースの味は、ほんのりと甘く……ん?甘い?
「…………シド」
「はい」
水の入った瓶に口をつける彼は、すでに食べ終わっていた。
「これ、思っていたよりずっと甘いわ。辛いソースのはずなのに」
間違えた?でもシドの食べたのとは色が違った。間違ってはいないはず。
不思議がる私に彼は笑って言った。
「母も甘党なんです。母の中では辛い方なんじゃないでしょうか」
何それ。どっちも甘いソースなんじゃないの。
私たちは残さずサンドウィッチを平らげた後、安心したらお腹が空いたということで、食堂に下りてシチューや煮込み料理も追加で食べた。