作者や版元が絡んでいる疑惑
午後四時。空が美しい夕暮れに染まり始めた頃、私たちは宿から三十分くらい歩いた、飲食店が集まっている地区にいた。
これから夜にかけて酒場に客が集まる時間だけあり、私たち以外にもたくさんの人が行き交っている。
パン屋にミートパイ屋、ケバブみたいな焼いた肉を売っている店、イイ匂いのするゾーンにシドのお母さんがやっているというお店はあった。
「あのお店?」
「そのようですね」
物陰からこっそりと店をのぞく。
っていうか何でまた弁当屋!?
ヒロインに続き、シドのお母さんも何で弁当屋をやってるの!?
「これはもう、この小説の作者の実家が弁当屋か、もしくは出版元の株主が弁当屋チェーンである可能性大」
ぽつりと呟くと、シドが不思議そうに首を傾げる。あえて突っ込んで聞かないところに、付き合いの長さを感じる。
「シド、わかる?」
お店には、見える範囲で三人の女性がいた。薄茶色の髪の若い女の子は多分10代だから年齢的に違う。
あと二人は40歳くらいで、黒髪という点はシドのお母さんである可能性が残る。
「ここからじゃわかりませんね。もっと『はっ!』みたいな衝撃があるかと思ったんですが」
「まぁ、距離の問題はあるわね。遠すぎるわ、ここからじゃ」
「ヴィー様の目がいいことにちょっとびっくりしました」
私たちはお客さんを装って、ゆっくりとお店に近づいた。
何だか私の方が緊張してしまい、シドの手をぎゅっと握る。
「大丈夫ですよ」
なぜか私の方が励まされた。にこっと笑った顔がいつも通りでちょっと安心する。
シドはローブのフードを被ったまま、私の手を引いてお店の前にやってきた。
すると、あと数メートルというところで足が止まる。
それはどちらからともなく、でもきっかけは確実にカウンターの中の女性の顔がはっきり見えたからだった。
「っ……!」
隣にいるシドが、ゴクリと息を呑んだのがわかった。
肩より少し長い黒髪は緩やかなウェーブ。優しそうな紅い目。
話す姿はどこにでもいる普通のお母さんっていう感じだけれど、笑った顔がシドによく似ていると思った。
じっと立ち止まる私たちに気づき、彼女はにこっと愛想のいい笑みを浮かべた。
「いらっしゃい!もうパイ包みとサンドウィッチのどちらかしか残っていないのよ。それでもいいかしら?」
明るく快活な声。
私たちという新しい客が来たことで、さっきまでおしゃべりしていた客の女性は手を振って帰っていった。
私たちは手を解き、カウンターへと近づく。
シドのお母さんは、笑顔で注文を受けた。その態度に、息子が会いに来たと気づいたようなそぶりは感じられない。
「では……サンドウィッチを」
シドがそう言うと、元気のいい声で「ありがとね!」と返ってくる。私が籠を渡すと、慣れた手つきでそこにサンドウィッチを入れてくれた。
「お嬢さんは?何にします?」
「え?あ、私は……同じものを」
「ソースはどっちにします?甘いのと辛いのがあるの」
「えーっと、じゃあ辛いので」
ビチャッと激しめに肉をソースに漬け、すぐにサンドウィッチが出来上がる。
二人分を籠に入れると、シドがいつもの笑みを張りつけて受け取った。
お金を支払い、たったそれだけで親子の再会は終わってしまう。
「ありがとう!!」
明るい笑顔で手を振るお母さん。
シドはにっこり笑って、呟くように「ありがとう」と告げた。
さっと背中を向け、立ち去っていくシドを私は追いかける。
これでいいのか、と迷いはあったけれど、他にも客が来ていたからあの場でこれ以上の会話は無理だ。
しばらく歩くと、シドが私の手を握って笑う。
「宿に戻りましょう」
「うん……」
その笑顔が痛々しくて、私は胸が痛んだ。
涙も流れていないし、泣き声なんて発していない。それでも私には、シドが泣いていると思った。
ここに来ようなんて私が言い出したから……。
私が二人を会わせようとしたのは、シドにいらぬ傷をつけただけだったのかと胸が詰まる。
ごめんなさい、は言えなかった。
シドはもしも本当に納得できなかったら、いくら私が説得しても来なかっただろう。
シドは私よりもずっと賢いから、いろんなことを考えたうえでウェルヒネスタへ寄ることを了承してくれたのだ。だから私がごめんなさいというのは、多分違う。
じゃあ何を言えばいいのか。
思い浮かばないまま、宿の部屋に着いた。