元悪役令嬢は人探しを始める
南西へ馬を走らせることニ時間。
速度はすぐに普通になったけれども、シドが私を片腕でしっかり捕まえてくるせいでムダにぐったりしてしまった。
つい三日ほど前まで護衛として適度な距離を保っていたのに、私の気持ちが追い付かないほどぐいぐい来る。
心はウェルカムなのに、実際に触れられるとそのたび呼吸困難に陥るから情けない……!
さっきも腰に手を回された瞬間、「うぎょへー!」と心の中で叫んでしまった。意味不明な叫び声なので、実際に声に出なくて本当によかったと思う。
昼過ぎになり、ようやくウェルヒネスタの街へと到着した。
この街はそれほど広くないので、宿屋も三軒のみ。予想はしていたけれどここも旅装束の人が見られ、宿では一人部屋しか空いていなかった。
狭くはないけれど、ベッドがひとつしかないのが問題だ。
これは私から歩み寄るべきか。
ドキドキしながらちらりとシドを見ると、何か言う前から「俺は床で寝ますから」と言われてしまった。
「床なんてダメに決まってるでしょう!?」
窓を開けて避難経路を確認するシドに、私はそう言った。が、彼は振り向きもせずに「お構いなく」と苦笑する。
「どうせ野営するつもりだったんですから、屋根があって風がしのげるだけマシです。俺は床で、ヴィー様はそっち。これは決定事項です」
「それなら」
「私も床でっていうのはナシですよ。明日からもまた移動が続くんです。俺と違ってヴィー様は普通の人なんで、風邪を引いたり不調が出たりする前に休息はきちんと取ってください」
あまりにごもっともなことを言われ、反論する隙がなかった。
でもここで「一緒にベッドで寝ましょう」なんて、恋愛小説みたいなことを言えるほど私のメンタルは強くなかった。
一緒に寝たら、緊張して朝まで寝られない。
そして馬で寝る。落馬する、というコースが視える。
何も言えなくなってため息をつくと、シドは何がおかしいのかクツクツと笑った。
あまりにうれしそうなので、私はちょっと眉根を寄せる。
「なんでそんなに笑うの?何かおかしいことした?」
拗ねたみたいな言い方になってしまったが、シドはまだ笑っていた。
「いえ、計画通りだなって思って。俺のことちょっとは意識してくれてるから、一緒にベッドで寝ようって言わないんでしょう?それがうれしくて」
「なっ!?」
ちょっとどころか、意識の八割はあなたのことで占めてますけれど!?
残りの2割はお兄様とだし巻きたまごのことですけれど!?
否定するのも肯定するのもどちらにしても墓穴を掘る気がして、私は苦い顔で唇を噛みしめる。
言い返す瞬発力があれば……!
そんな私を見て、シドはようやくニヤつくのをやめた。
「もう笑いませんから、許してください」
「十分に笑ったでしょ!」
どう考えても私の敗戦が濃厚なので、荷物の一部を部屋に置き、私たちは街へ情報収集に向かった。
シドのお母さんは、元聖女の平民でシェリアさん。今年四十歳だという。
黒髪、赤い瞳の華奢な人だという以外に情報はない。
今も聖女として教会にいるならすぐに見つかるけれど、あいにくシドの遺伝子上の父親(単純に父とは認めたくない!)である元国王に囲われた段階でその資格は失っているから、教会にはいない。
再婚相手の名前も、その人との間に生まれた子供の名前も知らないので、地道に聞き込みをするしかなさそうだ。
「見つからない可能性すら出てきましたね」
ぽつりとシドが言う。私は諦めるつもりはないので、意気揚々と街を歩く。
「そんなに大きな街でもないんだし、シェリアさんていうお母さんのいる家族って聞けばすぐに見つかるわよ!」
「だといいですね~」
「他人事!」
「あまり実感がなくて。四歳の記憶なんて曖昧で、実際にこの街に来てもここが故郷だという気持ちは湧いてきませんし……」
もしかすると、シド自身がもっと何かを覚えているのではと思っていたんだろうか。
初めて見る街にしか見えないと、ちょっとだけ淋し気に笑った。
「やはり俺の故郷はもう、ヴィー様のいたマーカス公爵家なんですよ。まぁ、それが再確認できただけでもよしとします」
「何を勝手に終了しようとしてるのよ」
「バレました?実はちょっとビビってます。母が見つかって、完全に忘れ去られていたらって思うと何だかね~」
頭を掻いて笑うシドは、戸惑いが顔に見て取れた。
私は彼の左手を取り、ぎゅうっと強く握った。
「大丈夫。私と一緒に逃げてくれたシドのお母さんが、愛する息子を忘れるわけがないと思う。そりゃ、大きくなったから一瞬ではわからないかもしれないし、予想よりも大きくなりすぎて栄養状態どうなってんだって思うかもしれないし、うちの子こんなに犬っぽかったっけ?って思うかもしれないけれど」
「なんか後半はヴィー様の主観が入ってません?」
「とにかく、今どんな暮らしをしていても、シドが帰ってきて姿を見せたことは喜んでくれるよ。私はそう信じてる」
シドは私の訴えを聞き、根負けしたかのように呆れて笑う。その笑みが優しくて、思わず「好き」って言いそうになった。今は違う。今だけはタイミングが違う。お母さんのことが片付いたら、今度こそ絶対に好きって言うんだから。
私は彼の手を引っ張って、ぐいぐいと歩いた。