うちのわんこが天然たらし問題
朝よりはゆっくりとしたペースで川沿いを南下し、ただ身を任せているだけの私がうとうとしている間に国境を抜けることができた。
ここからはもう、隣国ファンブル。
今いるのは、アズオールという港町だ。大きな船が港に停泊し、異国の品がたくさん集まる商人の聖地らしい。
「わぁ!活気のある街ね!」
「はい、ここは商人がたくさん出入りしていて賑やかな街ですよ」
レンガづくりの街は絵本の世界みたいでかわいらしく、色とりどりの花が咲き華やか。
治安は比較的よく、昼間であれば女性や子供もひとり歩きできる。
ただしその治安の良さは、貧しい人を隣の村や町に追い出すことで成り立っているので、通行税や滞在税が払えなければ追い出されてしまうらしい。
美しい街の裏側はわりと汚かった……!
「ようこそ、アズオールへ!」
私たちは街に入れる城門で通行税を払い、一時滞在の権利を得た。賑やかな街は、門番も明るい。
今日はこの街の宿に泊まり、明日の朝から一気に街を二つ通り過ぎる予定にしている。
私たちは馬から降りて手綱を引き、大勢の人と一緒に街へ入った。
「目立たない服を買って、着替えてから移動しましょう」
ファンブル人は青や緑、黒系統の服を着ている。シドは最初に衣裳店に入り、私のために青いワンピースを買ってくれた。
異国から来た商人や旅人は自国の衣装を纏っているけれど、目立ちたくない私たちはファンブル人にできるだけ溶け込みたい。
「よくお似合いです。ファンブルの貴族令嬢みたいです」
「ダメじゃないの。庶民に見えないと」
「ヴィー様にあまり粗末な服は着せられませんよ。イーサン様に殺されます」
苦笑いするシドが、私の髪にさりげなく触れる。ワンピースに似合う簪も買ってくれたのだ。
鏡を見ると、青い半透明の丸い石が結び目にそっと添えられて何だか儚げな雰囲気である。
「ありがとう」
その場でくるりと回って自分の姿を確認し、シドにお礼を言った。腕組みをして満足げにする彼は、自分の服は買わないみたい。
下着やインナーは荷物に入っているけれど、洋服は予備も含めて二枚しかないはず。
でも彼は特に気にしていないらしい。浄化魔法が使えるから、洗濯する必要もないので二枚で十分なんだろうな。
「シドは、何も買わなくていいの?」
「はい。このローブを裏返すと黒になりますので」
まさかのリバーシブル!
表がダークグレー、裏が黒のローブは便利アイテムだった。
そしてローブの下は、もともと黒い服なので問題ない。
茶色の革ブーツをのぞくと黒ずくめなシドは、顔が爽やか系だからいいものの、うちの若い衆がこの姿になると通行させてもらえないかもしれない。
お店を出ると、まだ日暮れまでには時間があり、大通りにはたくさんの人がいた。荷馬車も多く、荷車を押した下働きの男性が快活な笑顔で通り過ぎる。
私はカバンを手に、シドの隣に並ぶ。
「ヴィー様、どうしましょう」
「何?」
急に真剣な顔で言うから、私はちょっと警戒して眉根を寄せた。
道にでも迷ったんだろうか。見上げると、彼はぽつりと呟く。
「かわいすぎて心配です。すれ違うヤツが全員敵に見えてきました」
「何バカなこと言ってるの」
この人たらしめ!
おもいっきり誑し込まれている私としては、キュンとなるからやめてほしい!心臓発作にでもなったらどうしてくれるの!?
平静を装っているけれど、目が泳いでいるのはどうしようもない。
夜会での社交辞令なら「まぁ、ありがとうございます」って笑い返せるのに、どうしてシドが相手だといつも可愛げのない言い方で反抗してしまうんだろう。
愛想をつかされる前に、好きだって言わないと。
私の中で再びこの問題が再燃する。
「今日は身を隠すための服ですが、今度はちゃんとドレスを贈らせてください」
「ドレスって、もうどこにも着ていく予定はないわよ?今や落ちぶれ令嬢なんだから」
どっちかというと普段着やエプロンを買わなきゃ。暮らしぶりによっては、農作業用の服がいるかもしれない。軍手もあった方がいいかな。
きょとんとして見つめると、シドはにっこり明るい笑顔を見せた。
「婚礼用のドレスに決まってるじゃないですか」
「婚礼!?」
「もちろん、ヴィー様のお心をいただけるまで待ちますが、惚れてくれたら秒で結婚したいんで今からドレスを作りましょう」
「早っ!」
何その行動力!告白してすぐに結婚を考えてるの!?
その決断力はすばらしいと思うけれど、結婚なんて一生のことなんだからもっと考えた方がいいと思うよ!?
「何事も早い方がいいと思って」
「紫おそるべし……!」
なんかもう、青いワンピースなんてなくても見つかったら見つかったで何とかなるんじゃないかって思えてきてしまう。実はこれは新婚旅行であって、国外逃亡じゃないのでは?
あれ、私ってば実は「好き!」って言った?
もしかして無意識のうちに言った?
じゃないと婚礼なんて言葉が出るのはおかしいよね!?
頭を抱えていると、シドはマイペースすぎる話題転換を行った。
「今日の予定ですが、まずは宿へ行きましょう。それから露店を回って情報を集めます」
突然のまとも。ものすごくまともなことを言った。
翻弄された私は、力なく項垂れて「はい」とだけ返事をする。
「それでは」
シドの大きな手が、私の右手を握りこむ。手を繋いで歩けるのかと思うとうれしくなってぎゅうっと握り返すと、シドが一瞬固まった。
「……ヴィー様。荷物を預かろうと思ったんですが」
「はっ」
脱いだ着替えを詰めた革のカバン。もしかしなくても、シドはこれを私の手から取ろうとして……。
今すぐ海に飛び込んでもいいですか!?
慌ててパッと手を離すと、シドが私から顔を背けてクツクツと笑いを漏らす。
恥ずかしくて死にそう。
顔を顰めて両手で覆うと、手が馬臭くてまたショックが二倍になる。
「さ、いきましょうか」
シドは私のカバンを馬の鞍に引っ掛け、手綱を引いて歩き始めた。
私は彼のローブの裾をちょっとだけ掴むと、背中に隠れるようにしてついていく。はぐれたらいけないから、と心の中で繰り返しているのは言い訳だ。
「宿に着いたら、一度イーサン様に連絡しましょうか」
「あ、忘れてた!」
電話もどきの通信セットは、カバンの中に入っている。四角いコンパクトを開くと、わずかな魔力でお兄様と会話することができるのだ。
つながる先はお兄様だけで、姿は見えないけれど声だけは聞こえてばっちり会話ができる。
魔力を放出することができない特殊体質の私でも、この通信セットは問題なく使用できてけっこう使っているんだよね。お兄様がマーカス公爵領にいるときは、毎晩のように通信セットで連絡をとっていたくらい。
世間一般的な通信道具の水晶だと相手の居場所が特定できてしまうから、逃亡中の私にはこっちの方がいい。
「今朝、連絡しなかったから怒ってるかな~、シドに」
「なんで俺!?あぁ、でもその予想は当たってますね多分」
お兄様が私を悪く言うはずないので、残念ながらシドが怒られると思う。一緒に謝ってあげよう。ほぼ私のせいだからね……。