森に向かって叫ぶ女
逃亡二日目のお昼は、さらさらと流れる小川の近くで休憩した。
この小川に沿って下っていくと、あと一時間ほどで街に着くらしい。
シドが魔法を使って魚を獲ってくれたので、それを木に刺して焼き、いかにも旅っぽい食事を摂る。
「おいしい!」
ちゃっかり持ってきた醤油を少しかけると、香ばしくてとてもおいしかった。何の魚かは知らないけれど、ちょっとさんまっぽい味がするような。
「ヴィー様、こっちは骨取れたんで」
「うわぁ、ありがとう!」
風魔法と水魔法のコラボレーションで、シドはせっせと私のために焼き魚を食べやすくしてくれる。シドにこんな特技があったなんて思わなかった。
紫の魔法を魚の小骨取りに使っていいのかと思ったけれど、圧倒的便利さに私の遠慮は跡形もなく崩れ去る。
「何でもできるのねシドは」
「一応は生活でも戦闘でも困ることはありません。マーカス公爵家で一通りの殺り方は習ったんで、標的を一瞬で仮死状態にするのは得意です」
「それはお魚の鮮度に関わるね。でも、一通りのやり方か~。私も家事をがんばらないとなぁ」
「魚は応用ですけれどね」
「これまでは何を……?」
にっこり笑ったシドは、それ以上教えてくれなかった。
あぁ、本当に小骨がまったくない。おいしい。幸せ。
つい頬が緩み、逃亡中だという緊張感がなくなってしまう。
「魔法って便利よね~」
なんで私は殴ることにしか魔法を使えないんだろう。家事スキルの一つでも神様が持たせてくれればよかったのに。
「ヴィー様、違いますよ。魔法が便利なんじゃなくて、俺が便利なんです」
「それってうれしいの?」
物みたいに便利って言われるのは嫌なんじゃ、と思ったのにシドはあははと笑った。
「いいんですよ。この力はヴィー様のために使うって決めていますから、俺は世界一便利な護衛を目指しています」
「私のため?もっと世のため人のためにって思わないの?まぁ、思っていたらマーカス公爵家なんて闇が深い家にいないだろうけれど」
「そうですね」
「そうなんだ」
認めたよ。闇が深い家って認めたよ。
私たちの目の前に作った焚火から、パチパチという音がする。シドは木の枝を火の中に投げ、ニッと笑って言った。
「世のため人のためとか、わかりにくくないですか?そんな抽象的で不確かなものは知ったこっちゃないです。俺にとってはヴィー様がすべてで、昔からそれは変わりません」
「それは……」
愛なのか、忠誠心なのか。
以前は「ここより給金が良くていっぱい休める仕事はないんで、どこにもいきません」って茶化していたのに、突然そんな風に言われると己惚れてしまいそう。
何か言わなければ、そう思いつつ俯いていると、シドがおもむろに昔の話を始めた。
「ヴィー様はお忘れでしょうが……昔、二人で街へ出たことを覚えていますか?イーサン様の誕生日に筆記具を買いに行ったときのことです」
「あぁ、そういえばそんなことがあったかも」
私が初めて、魔力を腕に集中させて人を殴った日のことだ。
「街へ出て、その帰りにお嬢を狙った暴漢に襲われました」
何となくは思い出してきた。
背の高い体格のいい男たちが、私たちを攻撃してきたんだ。こっそり出てきたから他の護衛がいなくて……。
「シドが私を助けてくれたのよね?」
まだ十二歳だったシドは、あの頃から立派な護衛だった。意識が朦朧とする私を、背負って邸まで帰ってくれたんだよね。うろ覚えだけれど、きっとかっこよかったに違いない。
ほうっと懐かしさに酔っていると、シドが遠い目で言った。
「俺は二発でのされました」
「……え?」
あれ、私の記憶と違うな!
「そしたらお嬢が『私のシドに何すんだー!』って、殴りかかって二人の男を一瞬で倒し、お嬢も魔力切れで倒れました」
いやぁぁぁ!私ったら記憶を修正してた!
「まぁ、その後俺は一人でお嬢を背負って邸まで帰ったんですが、イーサン様やお嬢のご両親にめちゃくちゃ心配されて叱られて……恐怖で凍りつきました」
「そのあたりは覚えていないわ。目が覚めたらシドがそばにいて、半泣きだったってことくらいよ」
まさかあれって、私が心配で半泣きだったんじゃないの?
叱られてべそかいてたってこと?
記憶の修正力って怖い。自分が一番信用ならない。
「あのときから俺は、魔法の才も手も足も、全部お嬢の物になるって決めたんです。俺に魔法を教えてくれた師匠のグラート様は魔法学園から魔導士協会にって推薦してくれましたが、まったく興味も湧かずで。俺の興味を引くのは、お嬢のことだけなんです」
「え!私、シドが魔導士協会に行かなかったのはうちに義理立てしてのことだと思ってた」
育ててくれたマーカス家に恩を感じて、うちから離れないのだと……
シドはゆるやかに首を振る。
「あんなところに行ったらお嬢に会えないじゃないですか。それに給金だって半分になるし、給金だって半分になるし、労働時間長いし」
「なんで給金のこと二回言ったの」
「大事なことなんで二回言いました」
「あ、そう」
二人の間に謎の沈黙がおちる。
太陽の光を浴びて、キラキラと光る水面がきれいだな……と現実逃避をしてしまった。
「俺は自分で決めて、ヴィー様のそばにいます」
「シド……」
嘘偽りのない気持ち。
こんなに優しい顔でそんな言葉をかけられたら、すでに惚れている私でなくても惚れ込んでしまうと思う。
「俺が昨日突然に求婚したから、戸惑ったでしょう?本気かどうか疑ってる」
「お見通しね」
「あなたのことならわかりますよ~」
天然タラシ、そういえばお兄様がシドのことをそんな風に言っていた。
「ちゃんとお伝えしなかったと、後悔しました。俺はヴィー様をお慕いしております。ずっと前から、あなただけ」
「っ!?」
見る見るうちに顔が真っ赤に染まるのを感じた。
つ、ついに私も自分の気持ちを伝えるときがきた……!!
バクバク鳴る心臓が今にも口から出そうだけれど、今言わなければ一生言えないかもしれない。
シドの紅い目を見つめ返し、私は震える唇や喉に意識を集中してどうにか声を振り絞ろうとした。
それなのに……
「誰よりも好きです。なので、お付き合いできたら速攻で色々したいです」
「はぁぁぁ!?」
色々ってなんだ!?アレか!アレよね!?
爽やかに笑えば何言っても許されると思うなよ!
許すけど!許すけどぉぉぉ!!
「師匠が言ってました。ヤルときと殺るときは躊躇うなって」
「あなた師匠から何を学んだの……?」
「いやー、ふたり旅って予想以上にキツイですね~!昨夜も何度襲ってしまおうかと思ったことか!」
「護衛が対象を襲ってどうするのよ!」
「ですよね~」
せっかく私も好きっていうチャンスだったのにー!!
暴れてそのあたりの木でも倒して、小川に飛び込みたくなった。
「もう行くわよ!」
「はーい」
私の反応をおもしろがるシドが、小憎たらしい。余裕の笑みで、しかもなぜだかとても幸せそうに笑うから調子が狂う。
あー、もう。練習しよ、練習!
私はこの後、歯磨きをしながら「うきー!」(好きー!)と叫んでストレスを発散した。