悪役令嬢のための包囲網ですか?
馬車の揺れが止まり、何やら外が騒がしいことに気がついて私の意識は浮上した。
パチッと目を開けると、そこにはシドのきれいな顔があってぎょっとする。
「ひっ!」
私はまるで子供のように、胡坐をかいたシドの腕の中で横抱きにされて眠っていた。
目覚めた瞬間、心臓が止まりそうになった。ヤバイ、目覚めて一発目の視界が美形って寿命が縮む。
「お嬢。おはようございます」
「お、おはよう……」
幌馬車に積まれた木箱や樽の奥。私たちは外から見えないように、姿を隠しているらしい。
薄暗い中、この密着状態は緊張とドキドキで息が詰まる。
じっと顔を覗き込まれて居たたまれなくなった私は、彼の胸に手を突っ張って一人で座ろうとするが「動かないで」と言われてしまった。
ようやく王子がらみの死亡フラグを折ったと思ったら、今度は護衛に殺されそうになっている。
でもこんな風に、ときめきすぎて死ねるならちょっとウェルカムである。
護衛だと思ってきたこの人は、天国に連れて行ってくれる死神なのかもしれない。
ーーピトッ……。
「っ!?」
「うん、熱はないみたいですね」
抱き寄せた私の額に、自分の頬を当てて体温を確認するシド。
ボンッと音がしそうなくらい、私の顔も頭も沸騰しましたけれど!?
あああ、そういえば昔、私が初めて魔力を込めて人を殴ったときもこんな風に眠ってしまったことがあった。
あのときは……誰を殴ったんだっけ?
あんまり覚えていないけれど、起きたらベッドにいて、シドが泣きそうに歪んだ顔で私を見下ろしていた。
あどけなさが堪らない美少年が、こんなにも頼もしい美形に成長して……!
作画崩壊なるものとは無縁だったらしい。本当によかった。
真っ赤な顔でぼんやりしていると、耳元で囁くように「ちょっと予想外の事態です」と言われてどきりとした。
「お嬢、役人や兵がうろついています。もしかして国外逃亡がバレているのかもしれません」
「えっ」
いくらなんでも、早くない?教会から邸に戻って三十分、馬車で出発してまだ三十分くらいのはず。
ノア様に時間稼ぎをお願いしたけれど、バロック殿下の足止めがうまくいかなかったのかな。
もしかして私を決して逃がさないっていう、原作小説からの圧力?悪役令嬢の包囲網が敷かれている!?
「どうしよう……!」
このままじゃシドが捕まってしまう。御者をやってくれている、スキンヘッドのガリウスも捕まったらただでは済まない。
私が目元を引き攣らせると、シドは安心させるようにふっと笑った。
「船は諦めて、陸路で移動しましょう」
「えっと、ファンブルじゃなくてニースに行くんだっけ」
「そうです。船だとニースまで六時間ですが、このままだと船に乗る前に検問にかかる可能性がありますので」
シドは簡単に陸路にしようというけれど、陸路は船の何倍もの時間がかかる。
私たちが今いるのは、いうならば大陸の「U」の字の右上で、ニースは海を渡って正面にある国だ。
船なら直進するだけでいいので六時間ほどで行けるが、陸路であればUの字をぐるっと回っていくので四日とちょっとかかる。
この四日というのは野営した場合で、街によって宿に泊まるとなれば五~六日かかるだろう。
ちなみに、陸路の場合はファンブルを通ってニースに向かうことになる。
「ねぇ、やっぱり最初の予定通りファンブルにしない?あそこなら陸路でも二日で着けるでしょう?」
「えー」
なんだ、「えー」って。
私はもともとファンブルに行くつもりだったのだ。
あそこには、叔母様(お母様の妹)が嫁いでいるから、誰も知り合いのいない国ではない。小さい頃に一度だけ行ったこともあり、縁もゆかりもないニースより気が楽なのだ。
でもシドはどうしてもニースに行くという。
「ファンブルはダメです。最近、きな臭いので」
「きな臭いって?」
「三年前に新しい王が即位して、それからちょっと好戦的と言いますか」
国王が代替わりしたというのは知っている。けれど、新しい王の評判まではまだ私の耳には入ってきていなかった。
「戦争があるってこと?それはちょっと困る……」
できれば平和に暮らしたい!
「ですよね?ですよね?だからニースにしましょう」
うーん、何だかシドの反応がいつもの感じじゃない。まるでファンブルに行きたくない、個人的な理由があるように感じる。
じっと見つめていると、ふいっと目を逸らされた。
あやしい!
でもここで追及するのは時間がもったいない。旅は長いので、そのうち聞いてみようと思って私は話を終わらせる。
「とにかく船は無理そうね。どうせニースに行くにもファンブルは通らなきゃいけないんだし、着いてから判断してもいいかな。陸路で、検問を迂回して行きましょう」
「はい!」
あぁ、そんなうれしそうな顔……!
これからますます危険になるっていうのに、なんでそんなにうれしそうに笑うの?
「絶対に俺が無事に連れて行きますからね」
「ありがとう。頼りにしてる!」
よかった。
シドがいてくれて本当によかった。
一人で国外逃亡する気だったけれど、私一人なら今頃途方にくれていたかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。
神様、ありがとう!
悪役令嬢に転生したのが運の尽きだと思ったこともあったけれど、シドがいるなら私はヴィアラに生まれてきてよかったと思える。
感極まって泣きそうになり、彼のローブをぎゅうっと握り締めて顔を埋めた。
「おおっ?どうしました?」
「何でもない」
どうにかこの局面を乗り切って、シドに気持ちを伝えよう。
ずっと、ずっと、ずっと好きでしたって伝えよう。
もう離れて座る必要もなければ、堂々と手を繋いでもいいんだ。
だって私はもう、ただのヴィアラなんだから。
「お嬢、このまま押し倒したいのは山々なんですが急ぎましょう」
一言多い!よくそんな恥ずかしいことが言えるね!?
「ガリウスに幌馬車を頼んで、馬で移動します。荷物はカバンひとつでいいですね?」
「もちろん」
どうやらこの馬車には、お兄様が私のために様々な物資を積み込んでいたらしい。
それはもう持って行けないので、幌馬車に積んだまま邸に戻ってもらうことになった。
港から少し離れた街道を通り抜け、人通りの少ない山道の脇に馬車を停める。
そこで三頭いた馬のうち一頭を選び、ガリウスに別れを告げて出発した。
彼の前に横座りで乗った私は、背中を預ける。手綱を持つ両腕にしっかりと包み込まれ、とてつもない安心感が湧き上がった。
「お嬢、どうしましょう」
「何?」
「めちゃくちゃイイ匂いがします」
「……」
セクハラ発言が聞こえたけれど、私はそれをまるっと無視した。おかしい。シドがこんなセクハラ発言をするなんて。今日、私が婚約破棄してからどんどんおかしくなっている気がする。
「我慢できそうにないんで、早く惚れてくれません?」
「バカなこと言ってないでさっさと行くわよ!」
こんな風に冗談めいた口説き方をされると、素直になれない!
起きたら好きだって言おうと思っていたのに、言うタイミングを逃してしまった。だいたい軽口ばっかりで本当に本気で私のこと好きなの!?
徐々にスピードがのってきて、上着のフードの隙間から零れた水色の髪が風にさらさらと流れる。
ここで熊でも出てきてくれたら、この言いようのない苛立ちや恥ずかしさを全力で拳に込めて叩きつけるのに……!
悶々としていると、頭上からシドの声がした。
「一時間も走れば魔物や狼が出ない場所に着けると思うんで、それまでがんばってくださいね」
「わかった」
言動がおかしいと思ったら急に真面目になり、私はシドに翻弄されてばかりだ。
それでも今一緒にいられることは純粋にうれしい。
どうか無事にニースへ着きますように。
これでようやく悪役令嬢の運命からおさらばなんだ。しかも好きな人に連れ去ってもらえるなんて、とんだご褒美エンドだ。
「ふふっ……何だか攫われるお姫様みたい」
あぁ、顔がにやける。
しかしシドは冷静だった。
「お嬢、敵を殴って自力で逃走する姫はいません」
「独り言だから!!いちいち現実を突きつけないで!」
現実って残酷ですね。
でもいいの。これは私がヒロインの物語なんだから。
好きな人との逃避行でニヤニヤが止まらない悪役令嬢は、国境へと向かいます!
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