支援金もらいました。
邸に戻ると、使用人や若い衆が一斉に武装し始めた。
私がお兄様に事情を説明して、マーカス公爵家の者は全員、王都の邸を捨てて今すぐ領地へ逃げることが決まったから。
もちろん、その中に私は入っていない。これから一人で旅に出るのだ。
「私はもうマーカス公爵家とは関係ない者だと思ってください」
「そんな……!ヴィアラ!」
お兄様が縋るのも構わず、私は断腸の思いで邸を出る。
衣服は簡素なワンピースと革のブーツ、荷物はポシェットとボストンバッグに詰めた分だけ。着替えなんて下着があれば十分だ。
そして、調理場に行って食材を取ってきた。
別れ際、お兄様には私の血判付きの書状を渡しておく。
これでもう、私はただのヴィアラになった。
「お元気で、お兄様!兄不幸な妹をお許しください」
マーカス家は王子への慰謝料は取られるかもしれないけれど、もともとは向こうに非があるんだ。
外遊から国王陛下が戻ったら、そこまでひどいことにはならないはず。
「ヴィアラ、これを」
裏口まで歩いていると、お兄様がスッと大きな袋を渡してきた。
受け取ると、ずしっと重たい。
「これは?」
「う、うちからの手切れ金だ!黙って持っていけ!」
お兄様ったら、涙ぐんでそんなことを言っても説得力がない。これは手切れ金というより支援金だろう。
しかも公爵家の印付きで、手紙まで。これは異国でも使える小切手みたいなもので、いつでもお金を引き出せる証明書だった。
「こんなもの持ってたら、強盗に狙われるでしょう」
突っ返そうとしたら、ぐいっと押し返された。
「せめてお金だけは持って行くんだぁぁぁ!本当はお兄様も持って行って欲しいけれどぉぉぉ!」
先に泣かれると、こっちは泣くに泣けない。
執事にお兄様のことを頼み、ほとぼりが冷めたころに連絡するとだけ伝えて邸を出た。
裏口につけた幌馬車には、御者がすでに待機していた。
スキンヘッドのムキムキおじさんが、葉巻を吸いながら御者をしている。というか、御者のふりをしている。うちの若い衆の中でも腕利きの護衛が、その溢れ出る不穏なオーラを隠しもしない。
「お嬢!お待ちしておりやしたぁぁぁ!!」
「……あ、ありがと」
これって、何も悪いことをしていなくても検問にひっかかるのでは?何となく不安が募る。
そして、幌馬車の前には、いつもと何ら変わりない顔つきのシドが立っていた。
「お嬢、準備はできていますよ」
「シド」
私が荷台に乗りやすいように、スッと手を差し出してくれる。
私の大好きな大きな手。これももう見納めか……。
左手を差し出すと、血判状をつくったときに傷をつけた人差し指を優しく握られた。
ほわっと淡い光が私の指を包み、瞬く間に傷がなくなる。
「ありがとう」
しばらく手は洗わないでおこう。
シドともここでお別れだ。幌馬車で港まで運んでもらい、私はそこから船に乗って隣国ファンブルへと逃げる。
「じゃ、行くわ」
悪役令嬢らしく、自信に満ちた笑みをつくった。
我ながら上手にできたと思う。
本当はずっと一緒にいたかった。出会って十年ちょっと、シドがいてくれるから本物の悪役にならずに済んだと思ってる。
穏便に婚約解消したかったのは、シドと生きていきたかったから。
でもさすがに、王子を殴っちゃったら国を追われるのでもう関わらない方がいい。
淋しいけれど、大丈夫。
シドはこれからもマーカス家で働くだろうから、きっとまたいつか会える。
何年後になるかはわからないけれど、そのときは立派にひとりで生きられる女性になってシドに褒めてもらいたい。
「お兄様をよろしくね」
好きでした、とは言えなかった。
ただしシドは、私の手を握ったままきょとんとした顔で言う。
「なんでイーサン様?」
「は?」
なぜだろう、意図が伝わっていない。