婚約解消、ですが?
「よく来たな。ヴィアラ」
「ご機嫌麗しゅうございます」
教会に到着すると、そこにはバロック殿下が赤い髪をなびかせて、いつも通りの尊大な態度で仁王立ちだった。
シドには異変を感じたら突入するよう言いつけて、教会の前で待たせてある。
私に会うなり、殿下はふんぞり返って婚約解消を宣言した。
人を指差すな、まったく。
「おまえとは婚約を解消する!」
「わかりました」
「……?理由を聞かないのか」
しまった。
うれしすぎて、やや食い気味にわかりましたって言っちゃった。
そして今日は、記念すべき日だから真紅のドレスで来ちゃったよ。喜びを表現しまくった装いで来ちゃったさ。
コホンと咳払いをした私は、一応理由を聞いてみる。
「理由をお教え願えますか?」
言いたいんだろうな。
ここはおとなしく聞いてあげよう。
殿下はふふんと鼻を鳴らし、勝ち誇った顔で宣言した。
「私は!真実の愛に目覚めたからだ!!私にはおまえのような可愛げのない女より、心から私を慕ってくれるアネットがふさわしい!」
「まぁ!おめでとうございます。真実の愛に出会ったのですね。それはわたくしが身を引かなければ」
あぁ、感動で涙が出そうだ。
目が潤んできた。
この記念すべき日は笑顔で過ごしたいので、ぐっと涙をこらえる。
「異論はないのか?」
「ありません。どうぞ、真実の愛を貫いてください。それでこそ、バロック殿下です!」
心の底から応援します!
私は感極まって今にも泣きそうになりながら、殿下にエールを送った。
するとなぜか殿下が急におとなしくなり、目を伏せて指で頬を掻く。
「おまえの気持ちに応えてやれず、さぞ悔しかろうな」
ん?なんで私が殿下のことを好きだったみたいになってるの?いい男ヅラがすごい。いや、いい男なんだけれども、顔だけは。
「殿下、早急に婚約を解消いたしましょう!」
「あぁ、そうだな」
にっこり笑った私は、殿下の近くに控えていたなじみの神官長に目を向けた。
「儀式はこちらで?ノア様」
銀髪・青目の神官長は、私の知り合いのノア様だ。イノセントな雰囲気ながら胃薬中毒、なあの人である。
今日、婚約を解消すると殿下に告げられたノア様は、本部からわざわざ来てくれたのだ。
「あちらの儀式の間で、お二人だけで行っていただきます」
ノア様は涼やかな声で、金縁の扉のある方へと視線を向けた。
「それでは、こちらの聖杯をお持ちください」
バロック殿下は言われた通りに、銀色の聖杯を右手に携える。
そして扉を開けて中に入ると、中央にある石のテーブルに聖杯を置く。
――パタンッ……
扉が閉まり、私と殿下は聖杯を挟んで向かい合う。
ノア様から教えてもらった呪文を唱えると、すぐに聖杯が光り出して部屋の中が美しい光の渦に包まれた。
「バロック・フォン・ラウディング、および、ヴィアラ・エメリ・マーカス。我らの間で交わした契約を、神の名のもとに速やかに解除せよ」
殿下の低い声が密室に響き、その瞬間、私たちの身体からするっと煙のようなものが出て行った。
婚約の術式が解けた瞬間だった。
「これでようやく……」
ホッと胸をなでおろした私は、長年の不安だったことが解消されて心から安堵した。
今すぐ教会を飛び出して、シドの胸に飛び込みたい。
殿下と婚約を解消したからといって、彼と結ばれるわけではないけれど、今日だけはそれが許される気がする。
「殿下、これまでありがとうございました」
形ばかりのあいさつを口にして、スカートの裾をつまむと優雅に礼をする。
本当に清々した。今日は記念日だ!
ところが殿下は、何を思ったのかゆっくりと私に近づいてきた。
「殿下……?」
正面に立ったバロック殿下は、私のことをじっと見下ろしている。
あろうことか、私に向かって手を伸ばし、淡い水色の髪を一束するりと指ですくい取った。
そして、次の瞬間とんでもないことを言い放つ。
「このまま終わってはおまえが哀れだからな。せめて一度くらい抱いてやろう」
「…………は?」
今なんて言った?
私の耳がおかしくなったかと思った。とにかくゾッとするので、髪の毛は返してもらう。
手を払われた殿下は一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐに傲慢な笑みを浮かべた。
「私に捨てられてなお、その態度はさすがだな。だが、プライドが高いヴィアラは泣いて縋ることもできないのだろう?」
「は?」
「安心しろ、私はおまえの容姿だけは気に入っていたんだ。婚約を解消すればまともな縁談はないだろうから、このまま捨て置くのはもったいない。私は慈悲深い男だ、その気丈さに免じておまえを一度だけ抱いてやる」
にやりと笑ったその顔があまりに気持ち悪くて、背筋が凍る。
こいつは何を言っているんだ、と目の前が真っ暗になった。この場で吐かなかったことを褒めて欲しい。
「ヴィアラ」
そっと私の右肩に置かれた殿下の手。
嫌悪と憎悪と、不快感が一気に私の全身を駆け抜けた。
「マーカス公爵家は使えるからな。妾にならしてやってもいいぞ?おまえの飼っている"あの犬"も、私の部下にしてやろう」
プチンッ、と私の頭の中で音がした。
身を差し出せというだけでなく、家の力も、シドのことも私から奪うというのか。
この屑、絶対に許せない。
いくら運命だろうが、ここまで言われて黙って従うのは耐えられない。
怒りとともに、私の中で魔力の塊が渦巻き出す。
「殿下……」
――ゴスッ!!
私はほぼすべての魔力を右手に纏わせ、渾身の一撃をバロック殿下の腹にめり込ませた。
「はぐぁっ!!」
殿下の口からポタポタと汚いよだれが垂れる。
「あぐぁぁぁ!!あ゛ぁぁぁ……!!」
続いて、大量の鮮血が口から流れ出た。
獣のような唸り声をあげ、腹を両手で押さえて床に沈むバロック殿下。
それを蔑んだ目で見下ろす私からは、彼の赤い髪と背中しか見えない。
「いい加減にしろ、この変態!!」
魔力で強化された拳を叩きつけたから、きっと内臓損傷で大変なことになっているだろう。内臓を通り越して、背骨を骨折しているかも。
でも大丈夫。神官のノア様が、魔法で回復してくれるから死ぬことはない。
多分。うん、多分ね?
「まったく……付き合ってられるか!」
肩にかかった淡い水色の髪をさっと手で払った私は、蹲る殿下を一瞥して扉を開けた。