イノセントって何だっけ
「ヴィアラ様、お久しぶりです」
パーティー終盤。
私に声をかけてきたのは、銀髪・青目の美男子だ。
「ノア様、こんばんは。こんなところにいらっしゃるなんて、めずらしいですね」
教会で神官長を務めているノア様はお兄様と学園の同級生で、私とお兄様と友人関係である。
侯爵家の三男だけれど、庶子(愛人の子)ということで教会で育てられたらしい。
ちょっとメンタルが弱めなんだけれど、物腰の柔らかな人で話しやすい。
神官なので基本的にパーティーには参加しない彼が、今日はめずらしく紺色の正装を纏っていて驚いた。
「今日は父に呼ばれまして」
「お父様に?」
訝しむ私を見て、ノア様は困ったように笑う。
ノア様のお父様は、お世辞にもすばらしい人とは言えない。世間の評価では、見た目だけはいいが金に汚い侯爵という感じだったはず。
そんな人が、愛人の子であるノア様をパーティーに呼びつけるなんていいことではなさそう。
「おまえに縁談が来ていると言われ、ご紹介されたのは齢四十を過ぎた未亡人でした」
どうやらお金で息子を売るつもりらしい。
表向きは世話役や養子という扱いなんだろうけれど……貴族、怖い!!
私が眉を顰めると、ノア様は「大丈夫ですよ」と笑う。
「お断りしましたから。私は神に仕える身です、と」
「そうですか……」
教会は王家とも繋がりが深く、いざとなったらノア様のことを守ってくれるだろう。
聖属性魔法の使い手は希少だから、若くして神官長まで出世したノア様は間違いなく有望なわけで。
それに、ノア様目当ての貴婦人たちから集まる寄付金はすごい。神秘的なイノセントキャラで、貴婦人を魅了している教会のアイドルなのだ。
ただしその手に握り締めている胃薬の量はやばい。
リスが木の実を食べるみたいに、ポリポリと胃薬を食べる姿はとても見せられたもんじゃない。
――ポリポリポリポリポリポリ
「ノア様!まだダメです!控室か馬車の中にしてください!」
もう胃薬を食べ始めてしまったノア様を、私は必死で止める。
「ああっ!どうにもこれがないと落ち着かなくて」
胃薬中毒者か!
イノセントと中毒は相反するから、アイドル失格ですよ!
私は壁際にノア様を連れ込み、胃薬ジャンキーな姿を隠す。
するとそこに、足音も気配もなく給仕の男性が近づいてきた。
「お水をどうぞ」
「ありがとう……ってシド!?」
ぎょっと目を瞠る私に対し、シドは人差し指を口元に立てる。
くっ……!かっこよさに目が眩みそうだ。
ノア様は私が差し出した水を飲み、青白い顔をして壁にもたれた。
こんなにか弱いノア様は庇護欲をそそるけれど、あいにく私に胃を守る術はわからない。
「お兄様に何かいいお薬がないか聞いておきますね」
私がそう言うと、シドが冷静に突っ込んだ。
「お嬢。ただでさえ胃薬中毒なのに、さらに薬漬けにするなんて残虐性がすごいです」
失礼な。じとっとした目を向けると、苦笑いで目を逸らされる。
しばらく休んでちょっと回復したノア様は、教会の馬車に乗って帰ると言った。
私ももう帰ろうと思い、シドとノア様と三人で馬車の方へ向かう。
別れ際、ノア様は美しい笑みを浮かべて私の右手を取った。
「ヴィアラ様」
「はい?」
「タイミングを逃してしまいましたが、本日もとてもお美しい。紅いドレスがよくお似合いです」
突然に手を取られてたじろぐ私にお構いなく、ノア様は私の手の甲を優しく引き寄せた。
イケメンが!挨拶だとわかっていても、手の甲にキスをされるのは慣れない。
「っ!」
手の甲にそっと唇が寄せられる……まさにその直前、ノア様がガクンッと頭を垂れて膝から崩れた。
「ええっ!?」
地面に倒れたノア様を見て、私の心臓がバクバクと鳴る。
「ああ~、お疲れですか?これはいけませんね~」
シドの緊張感のない声が夜の空に響き、倒れたノア様がさっと担がれたと思ったら教会の馬車に放り込まれた。
「え!?あ、この指輪!?」
左手の小指。確かバロック殿下対策として作られたはずだったのに……?
戻ってきたシドは、当然のように私の手を取ってマーカス公爵家の馬車へと誘導する。
「ねぇ」
「はい、何でしょう」
「この指輪の対象って、バロック殿下だけじゃなかったの?なぜノア様まで?」
「男はケダモノですから」
キリッとした顔でそう言われても、まったく納得できない。
「胃薬中毒のイノセントなノア様がケダモノ?冗談でしょ」
「お嬢はお子様ですから。わかっていないだけです」
シドの言葉に、私はついムッとしてしまう。
「さっきグレミアル伯爵やゼーブス侯爵と踊ったときは、密着しても相手が眠ったりしなかった。あなた一体どんな基準を設定したの?」
「独断と偏見と何となくです」
「適当!」
私が馬車に乗りこむと、シドも続いて腰を下ろす。
正面に座った彼の顔をじっと見つめると、明るい笑みを返された。
「この指輪、誰に効果があるかわからないじゃない」
「そんなことはないですよ?下心があると眠ってしまうだけです」
じゃあノア様は誤作動じゃないか。あんなに清廉な人が下心なんてあるわけがない。
ゆっくりと動き出した馬車の中、私はふと思いついてしまった。
「シドはどうなの?」
「はぃ?」
「シドが私に触れたら……眠ってしまうの?」
下心があるっていうことは。
もしもシドが眠ったら、私のことをただの護衛対象のお嬢様ではなく、恋愛対象に入れてくれているってことなわけで。
真剣に尋ねると、彼もまた真剣な顔で答えた。
「お嬢」
「はい」
「自分で作ったものにひっかかる魔導士はいません」
「ですよねー!わかってた!わかってました!!」
聞いた私がバカでしたよ!
クツクツと笑うシドを睨み、私はぷいっと顔を背けた。