漆黒のエクスプレス
オレンジ色の残光が街を彩る時間。
駅の改札前は帰宅を急ぐ人等で賑わう。
椿との待ち合わせ時間は、16時00分なのだが、時計を見ると、16時30分を指している。
「遅いですね」
「全くだ。あいつが時間指定してきたのに」
改札前や切符売場には、大型連休を迎える人もいて、スーツケースを転がして旅路を急ぐ人もいる。
二人の荷物も極力抑えたが、旅行客に負けないくらいのスーツケース4つだ。
「ごめん!待ったでしょ!?」
遅刻の主が、現れた。
「遅いぞ。椿ーって、何だその格好は?」
振り返ると椿の格好は、サングラスに帽子を被り、バカンスの服装だ。何より驚きは、スーツケースが一人で4つだ。
「あのね、軽井沢と言ったらリゾート地よ。服とか、女の子には色々あるのよ」
色々あるのは、分かるが多すぎだろって言いたくなったが、顔面パンチを食らいそうなので、やめといた。
「そろそろ行くぞ、列車が来るから」
荷物を持って、行こうとした時、悪魔のお願い事が振りかかる。
「結月君。悪いけど、荷物を持ってくれない?紳士の嗜みの一貫で」
満面の笑顔でお願いしてきた。笑顔の裏側は悪魔に違わない。
「なんで俺がー」
「ね、お願い」
なんと言うか断ったら、後がヤバそうだ。
例えるなら、ライオンに睨まれたシマウマの気分になった。
「わかったから、笑顔で睨むな」
残念ながら、シマウマは逃げられずライオンに捕まった。
立川駅の旧一番線ホームは、駅ビルを開発した時に廃番になったホームだ。
「案内状には一番線に降りろと書いてあるが」
階段を降り、ホームに立つ。
「何かおかしいわね」
「えぇ」
椿とジャンが、異変を感じ取る。
「おかしいって、何が?」
椿の荷物も担いでいる為に結月が遅れて来た。
「人が居ないわ」
「え?」
周りを見回すと、帰宅ラッシュだと言うのに、人が一人もいない。
ホームは薄い霧がかかり、夕陽の明りを乱反射させる。昔の駅舎みたく変り、吊り下げ式の蛍光灯の明りが、ガス灯の灯りになっている。
「多分、人払いの結界が張られてるわね。しかも知らない間に異界の扉をくぐったみたい」
遠くから足音が近付き、薄い霧の中から人影が三人の前に映る。
「おやおや、誰かと思ったら、君達も参加者かな?」
霧の中から現れたのは、女性と言うには早すぎると思わせる少女だ。
白い肌に、金色の髪が夕陽の光に照され輝く。翡翠色の瞳は、見た者に彼女の強い意志を感じ取らせる。
少女の後ろに佇んでいる大柄の人は、フードを被り、一言も発しない。
「失礼だけど、誰なの?」
椿の質問に少女はお辞儀し「これは失礼。私の名前はジュリエット。ジュリエット・ホークと申します。後ろの者は、セバスチャンと言います」
何処かこの少女には、気品みたいな物を感じる。
「私の名前は、椿。そっちの男の子が結月で、女の子が、ジャンよ」
椿に自己照会され、二人は軽く会釈する。
ジュリエットが、結月の頬を触り「あなた、可愛らしい顔してるわね」
「ちょっと!?」
思わず、驚き硬直する。「無礼者!気安く触るな」ジャンがジュリエットの手を握ろうとした瞬間、セバスチャンが何かしらの動きをしようとする。
「止まりなさい。セバスチャン」
ジュリエットの言葉で、直立不動に戻る。
「いやいや失礼した。そんなに恐い顔をしないで欲しいな、おば様」
不適な笑みで答える少女。
ジュリエットとジャンが同時に視界に入ると、家族と言うか、何処か通じるものがあると思ってしまう。
霧の中から、汽笛の音が鳴る。
車輪がレールを軋ませ近づいて来た。蒸気を吐き出しながら、走行する漆黒のエクスプレス。
キーとブレーキ音を響かせ停車する。
客車の扉が開き、男が降りてきた。
長身に紺色の制服を着た男。
「オークションにご出席の方達ですね。私は当列車の車掌を勤めさせて頂いております、名をイギーと言います」
イギーは帽子を取り挨拶する。
「どうぞ御乗車してください。椿様一行は三号車に三室、用意してあります。ホーク様一行は四号車に用意してあります」
イギーに促され、エクスプレスに乗車した。
客車の廊下は赤い絨毯が敷き詰められている。外から見ると、鉄製の客車だが、中は木製の壁や扉だ。
部屋の扉を開けると、右手の壁際に木製ベットがあり、白いシーツが敷かれている。左手の壁際には、ソファがあり、ベットとソファに挟まれる形でテーブルが設置してある。
「思ったよりは豪華ね」
椿の言うとおり、見た目とは裏腹に豪華列車だ。イギーの話しだと、列車は全部で八両編成で一号車は食堂車、二号車から七号車までが客車で最後尾は貨物専用との事。一車輌に部屋は4つで、談話室が各客車に一部屋ある。
「それじゃ、夕食の時間まで各自自由ってことで」
「わかった」
自分の部屋の扉を開けると、椿と同じ部屋のレイアウトだ。
荷物を置いた瞬間、ガタンと音が鳴り、列車が動き出す。窓の外は、薄暗い霧に包まれている。
「ところでジャン、何しているだ?」
何故かジャンも俺の部屋に荷物を置いていた。
「何って、あなたの身を守るのが、私の使命です。何か不都合が?」
「大有りだ。大体ベットサイズだってシングルだぞ、何処で寝る気だ。椿に要らぬ誤解を生むし」
「私はソファでも構いませんし、それとも添い寝を望みますか?そもそも、何故椿が誤解するのですか?やましい所はありません」
「もちろん希望しま・・・・せん!兎に角、隣の部屋で寝てくれ」
ジャンの使命一筋と言う、ある意味悪い癖が出た。
「わかりました。ですが、部屋から移動する時は、声を掛けて下さい」
「わかったわかった」
ジャンと添い寝か~等と言う邪念を片隅に置いて、荷解きする。
車窓の風景がいつの間にか、微かに雪が残る森に変わる。列車は、参加者の最寄り駅に立ち寄るから、誰か寒冷地の参加者がいるのかもしれない。
探検する訳ではないが、車輌の見学をしたいと思い、監視者にバレないように静かにドアを開ける。
「何処に行く気です?」
「え・・・・・・」
横を見ると、ジャンが腕組みをして立っていた。
「まさか、黙って行こうとしてましたか?」
ジャンの鋭い視線が光る。
「いや~ちょうど声を掛けようと思っていた所だ」
「本当に?」
さらに半歩詰め寄り、可愛い顔を近づける。
「本当に本当だって、ちょっと他の客車の見学に行こうかなって」
「ま、いいでしょう。確かに他の参加者は気になりますし」
胸を撫で下ろす。黙って行こうとしたなんて言ったら、どんな目に合った事か。
五号車に入った瞬間に列車が停車した。
外側の扉が開き、冷たい冷気が吹き込む。
「いや~寒い寒い。そこの君、悪いが荷物を引き上げてくれる?」
扉の外に居たのは、見馴れない軍服姿の少女と女性。カーキ色の軍服に、肩は赤地のワッペンに鎌と槌が重なった、金色の紋様が刺繍されている。
「お~い、君だよ君。そこの男の子」
「俺?」
自分の顔に指を挿す、すると少女はニコって笑い「うん、君だよ」
少女と女性の荷物を引き上げて、少女に手を差し伸べる。少女は躊躇することなく手を握り、引き上げて貰う。
「スパシーバ。僕の名前は、アレクサンドラ、アレクサンドラ・メドジェーベェア。サーシャって呼んでね」
深い銀の髪色に雪原の様な肌の色。バイカル湖の様にな淡い色の瞳、アレクサンドラことサーシャは、軍帽を少し上げて挨拶した。
「で、こっちの女性がアンナだよ」
少女にアンナと照会された女性も軍帽を取り挨拶した。「アンナです。どうぞよろしく」
アンナという女性は、凛とした顔つきで大人の女性が出す、艶めかしい雰囲気があった。
「えっと、俺は結月で、この子はジャン」
サーシャはいきなり結月の手を握り「ユヅキにジャンか、これからもよろしくね」
「よ、よろしく」
なんと言うか、サーシャって子の無邪気さに押されてしまう。
「じゃあ、僕達は部屋に行くから、ダスヴィダーニャ」
「ダスヴィダーニャ」
サーシャとアンナは挨拶し部屋に入っていった。
腕時計を見ると、夕食の時間が近づく。
「俺達も食堂車に行くか?」
「はい」
サーシャにアンナさんか、悪い人ではなさそうだが、リースの言葉を思いだす。
(まともな人間の振りをした怪物)
あの二人に限っては、無いなと思いたかった。
食堂車の中も豪華の作りだ。
屋根まで景色が見れる様にガラス張りで、真ん中に通路があり、両脇にテーブルが幾つもある。等間隔の窓枠の柱とテーブルに蝋燭が置いてあり、淡い灯りで車内を照らす。
イギーの案内で席に着く。
「あの、車掌さんがシェフをやってるの?」
椿の質問にイギーはニコって笑い「はい、人手不足なので、私がシェフを務めさせて頂いております」
笑顔にエリオットと共通する気持ち悪さがある。
「列車の運転は大丈夫なの?」
「ご安心ください。列車は自動運転で走行してますので」
「い、以外に近代的なのね・・・・・・」
やり取りしている間に続々と参加者が入室する。
先程のサーシャとアンナが入ってきて、結月と目が合うと、手を左右に振り「やっほ~ユヅキ~」すかさずアンナがサーシャを注意する。
「結月君、知り合いなの?」
「あぁ、さっき乗車してきたんだ。女の子がサーシャで、もう一人がアンナさんって言うんだ」
「ふ~ん」
結月の顔を見つめる。
「なんだよ?」
「いえ。ジュリエットといい、サーシャって子といい、年下にモテるじゃない」
「私の名前を呼んだかい?」
「!?」
声の方に視線を向けると、にやけ顔のジュリエットが立っている。
「車掌。食事は彼等と共にしたいんだが、構わないかい?」
「私としては構いません。そちらのお客様がよろしければ」
ジュリエットは三人に視線を向け「だそうだ。構わないかい?」
「俺は別に構わないけど?」
「私はユヅキが賛成なら賛成です」
「私も別に構わないわよ」
三人の了承を得ると、窓側に結月とジャン、通路側に椿とジュリエットが対面して座る。
「いやいや、おば様そんな目で睨まないでいただきたい」
「それは失礼、また無礼な事をしないかと思いまして。それに私は、貴女のおば様では無い」
「少なくても、私より歳が上なのだから、おば様だろうに、違わないか?」
二人の鋭い視線で、互いに威圧し合う。
外の雪景色に負けないくらい、寒気がする。
「な、なぁ、セバスチャンはどうしたんだ?食事の時間なのに」
話題を反らす。
「あれは、食事の必要が無いから部屋で待っているよ。それに、食事の席を一緒にしてもらったんだから、メニュー表の照会くらいしてあげるわ」
ジュリエットの視線が、サーシャ達を見る。
「あそこの軍人二人は、共産主義のアルカディア連邦共和国の軍人だな。鎌と槌の紋様は、彼等共産主義のシンボルマークだ」
続いて、漆黒の軍服に血の様に赤いネクタイ。首もとには、鉄十字の装飾を着けた金髪碧眼の男性に移る。
「あちらの軍人は、欧州で台頭している、悪名高きクシャトリア帝国の人間だ。共産主義連中と帝国主義連中の目的は一緒だろうな」
ワインのグラスを揺らしながら語る。
クシャトリア帝国は欧州では、強大な軍事国家で、海を隔てた西の合衆国、東のア連邦と睨み合いが続いている。
スーツ姿の白髪の老人に視線を移す。
「あちらのご老人は、武器商人のアイザックだ。奴に頼めば、大抵の武器や兵器が手に入るらしいぞ」
グラスの中の赤く半透明な液体越しに、眼鏡を掛けた女性と子供を見る。
「彼女は時東さなえ、日本人の科学者だ。彼女の研究は、色々な国が興味を持っているって噂だ。大方、今回のメインディッシュの出品者だろうに」
「そして彼女の後ろにいる小太りの男性は、古美術商のモルガーヌ。奴の扱う商品は、貴重な絵画や宝石らしい、もっとも盗品の噂が絶えないがな」
ジュリエットは、グラスのワインを飲み干し、さらに注ぐ。
「そして君達は、教会の回し者だろう?」
「!?」
さらにワインに軽く唇を付け、片目でグラスから覗き「なにも驚くことはないだろ?君達もメインディッシュが目当てだろに。何せ国家のパワーバランスを変える品らしいからな」
「あなたの目当ても同じってこと?」
椿がテーブルのナイフに少しずつ、手を動かす。
ジュリエットが苦笑いする。
「私は、あんな物に興味は無いから安心したまえ。むしろ君達の味方と思ってもらいたいな」
「味方ね・・・・・・」
ジュリエットは気にも止めずに、ワインを飲む。
「ちなみ椿。そのナイフで私の喉を切るよりも、銃で貴女の可愛らしい体を撃ち抜く方が速いと思うが?」
テーブルの下で、銃の劇鉄を引く音がした。
テーブル越しに立ち上がって、ナイフで殺るよりも銃の方が速い。
ナイフから手を退けた所で、前菜の蒸し魚料理が配られた。鮮やか飾りに、蒸すことによって芳醇な香りが広がる
「せっかく料理だ、さぁ楽しもうじゃないか?」
ジュリエットは、ナイフとホークを手に取り、食す。
彼女のナイフやホーク使いは、昔の貴族の様に品がある。動作の一つ一つが美しい。
「アンナ。僕達の国じゃあ、こういった趣向の列車はないね。強制収容所送りの列車ならあるけど」
「サーシャ、口元にソースが付いてますよ」
「本当に!?」
アンナは、胸ポケットから手巾を出し、サーシャの口元を優しく拭く。
母と愛娘のような風景だ。
通路の入口にイギーが立ち、連絡事項を伝える。
「本日はトワイライトエクスプレスに、ご乗車頂きありがとうございます。お食事の後、当列車は、眠りの森に暫く停車致します。光珠の散歩をお楽しみ下さいませ。くれぐれも発車時間に遅れないよう、ご留意を」
イギーは申し伝えると、厨房に戻って行った。
「椿、眠りの森ってなんだ?」
「あのね、結月君。私に聞かれても分からない事だってあるのよ」
「眠りの森は、今はなきアストニア王国に伝わる、物語の中の森だ。深い木々達は天にも届く高さで、太陽の光すらも届かず、旅人を夜と錯覚させ、永遠の眠りに誘う」
ジュリエットがグラスを眺めながら答えた。
「アストニア王国?」
「遥か昔に栄えた王国だ。愚かな王女達によって滅んだ哀れな国でもあるがな・・・・・・」
ジュリエットは哀れみと悲しみを複雑に入り交じった声で呟く。
「さて、私はこれ以上飲むと悪酔いしそうだから、部屋に戻らしてもらうよ。君達は食事を楽しみたまえ」
そう言うとジュリエットは、食堂車を後にした。
彼女の歩く後ろ姿は、堂々としていた。まるで遥か昔に栄えた王国に出てくる王女の様に。
食事が終わり、談話室に集まる。
ジャンは自室に戻ると言い、戻った。
「ジュリエットと食事すると、食べた気がしないわ」
椿は、しきりにお腹を擦る。
確かに彼女といると緊張感がある、まるで全てを見透かしている様に。
「参加者の情報に詳しいけど、何物なんだ?」
参加者同志は列車で、初めて会う人なのにジュリエットは、ほぼ全員の名前を知っていた。
「ただの女の子じゃなさそうね。裏世界も詳しいし」
ただの女の子が、このオークションに参加するはずが無い。
車窓の景色が黒い森に変わる。
光の存在を許さない、眠りの森。
列車が速度を落とし、金属のブレーキ音が森に響く。
停車したと同時に、外との扉が一斉に開いた。
扉の先は、深く暗い。動物の気配すらない、旅人を永遠の眠りに誘う森。
森の中にある小さな湖。月夜の光が唯一届く場所。
「来ると思っていたよ」
雲の合間から月夜の光が少女達を輝かせる。
「ジュリエット。貴女は・・・・・・」
「いやいやさすが、おば様。私の本当の名前は、ジュリエット・アストニア。アストニア王国の哀れな一族の末裔だ」
「あの国の民はー」
「おば様が殺したものね、ジャン。いえ、ジャンル・アストニア。アストニア王国の第一王女様、いや虐殺王女様と言った方がいいか?」
淀んだ風が湖を靡かせる。
「貴女が・・・・どうして知ってる・・・・」
口元から笑みがこぼれ「知っているさ。おば様の主は知らないみたいだがな。彼に言ったら、どんな顔をするか見物ー」
剣がジュリエットの白い頬をかすめて、赤い一筋の流星が落ちる。
「それ以上言ったら、貴女の首をはね飛ばします」
頬から流れる血を、指で触り、その指で唇を触る。
「やれやれ冗談だよ、可愛い顔してやることが過激だな。言っただろ、私は味方だ」
「貴女がアストニアの末裔と言うなら、私に復讐したいはずだ」
「あはははは」
少女の笑い声が、森に木霊する。
「何がおかしい!」
笑いによって、目から出た涙を拭う。
「いやいや失礼した。今更そんな事したところで、滅んだ国に興味は無い。もっとも王国の民は、おば様や私に復讐したいだろうがな、この救い難い一族に」
月が黒い雲に重なり光が陰り始める。
「救い難いだと!?」
「そうさ、実に哀れな一族だと思わないか?民を救えなかったのに、王だけが生きている。そして、民を救おうとして、救えなかった哀れな王の末路が、ほら私の目の前にいるではないか」
ジュリエットは薄ら笑いしながら、眼前のジャンを指差す。
「私が・・・・?」
ジャンを照らしていた月明りは雲に重なり、彼女の顔に影を落とす。
まるで哀れな動物でも見るかの様に、翡翠色の瞳が見つめる。
「いやいや、慰み者としては一級品だな。精々楽しませて下さい。では、おば様の可愛らしい主にも、よろしく」
ジュリエットは深く暗い森に、消えて行く。
湖に残された彼女は、ジュリエットの消えた方を見て「貴女に何が分かるんだ・・・・・・」
湖から列車への帰路。
深い森の中でジュリエットの言葉が、頭の中で繰り返される。
(民を救おうとして、救えなかった哀れな人間の末路)
森の中から足音が聞こえてきた。
ランタンを持っている手で、口元を隠す様に光を向ける。
「誰だ!」
いつもの彼女なら、冷静でいられるが、あの言葉に苛立ちを覚える。
「俺だよ」
ランタンの淡い光が闇を切り裂き、彼が現れた。彼の姿を見た瞬間に、どこか心の中で、ホッとした自分がいるのを感じた。
「ユヅキ?どうしてここに?」
誰にも告げずに来たのに。
「お前が言ったんだろ?出るなら声を掛けろって。探してたら、ジュリエットに此処にいるって聞いたから」
今は聞きたくない、名前が出る。
「彼女は・・・・ジュリエットは、他に何か言ってましたか?」
彼女が、あの事をこの人に言ったかもしれない、他人の口から聞かせたく無い、けど自分の口からも言いたくない事。
「あ~、君の大事な人は、あっちにいるよって。それが、どうかしたか?」
その言葉に安堵した自分が居た。
「いえ、何でもありません」
「ならいいんだ。何だか恐い顔してたぞ」
「私がですか?」
自分でも以外だった。知らない人が見れば、さぞおぞましい顔だったと思うとゾッとする。
「こんな感じにな!」
両手を使い、顔を真似る。
「ユヅキ。一言、言っていいですか?」
「なんだ?」
「私は、そこまで馬鹿な顔じゃありません」
「え・・・・」
二人で笑いがこみ上げて来る。考えてた事が馬鹿らしく感じ、何故か分からないが、この人といると、些細な事がどうでもよくなる。
列車の汽笛の音が響く。
「帰るか?」
「えぇ」
暗い森に、一つまた一つと光の珠が飛び交っている。黄金に似た、その珠は二人の間を飛び、暗い森を金色に照らす。
「凄いな・・・・」
ユヅキの感嘆の言葉に相打つ様にジャンが「アストニアの物語に出てくる、言霊です。光の一つ一つは、人の魂と言われていまして、旅人を眠りの森から出してくれる、案内人と言われています」
彼女の人差指に止まる言霊を見て語る姿は、美しい紋様が描かれた白い羽織りを両肩に掛け、遥か昔に出てくる王女の様に見えた。
「私の顔が、そんなに馬鹿な顔に見えますか?」
「いっいや。やけに詳しいなってな」
「それは・・・・ジュリエットに教えて貰ったんです」
咄嗟に口に出してしまう。
「やっぱりな」
「何がです?」
「二人って、何処か通じる物がありそうだからな。家族みたいな感じがしたんだ」
確かに彼女の言う事が本当なら、彼女の先祖とは血が繋がってるかも知れないが、血縁者は大勢居たので、誰の血を引いてるのか分からない。
突如、女性の悲鳴が森に響く。
「今の悲鳴は!?」
「列車の方からです!」
悲鳴の元に走り出す。
乗客達が五号車に集まっている。
人混みを掻き分けると、部屋の前で時条さなえが座り込んでいた。
彼女の座り込んだ床には、部屋の中から、赤い川が少しずつ彼女に迫って来る。
「嫌よ・・・・なんであの子が・・・・」
部屋の中には、窓や壁一面に血が飛び散り、頭が無い人間が椅子に座らせていた。首元から止まることの無い血が流れ出ている。辛うじて、服装から、時条さなえの連れていた子だと分かった。
「これはこれは、また派手な死に様だな」
ジュリエットが部屋の様子を見るなり、言葉にする。
「お前が殺ったのかッ!?」
さなえがジュリエットの首を掴もうとした瞬間、フードが間に入り、さなえの首を締め、持ち上げる。
「くッ・・・・」
さなえの顔が青ざめていく。
「いい、放してやりなさい」
「イエス・マム」
彼女の言葉に従い、首を放す。
咳き込み、息を吸うさなえ。
「一つ言っておくが、私は殺ってないぞ。証人なら、そこの二人組だ」
ジュリエットが結月とジャンを指差す。
みんなの視線が集まる。
「確かに、貴女は私や、ユヅキと話しをしていました」
「これで、信じて貰えたかな?」
薄ら笑いしながら、時条さなえを見る。
彼女としては、犯人と見当した人間ではなかった為に茫然と座り込む。
「何事です?」
イギーが駆けつけ、部屋の惨状を見る。
「皆様、お部屋にお戻り下さい。時条さなえ様には別室をご用意します。それとオークションは予定通り開きますから、ご安心下さい。宜しいですね、さなえ様」
茫然と座り込むさなえに、言い聞かせる様に、冷たい声が掛けられる。
「はい・・・・」
力の無い声で、返事する。
自室に戻る人も居れば、食堂車でお茶を貰おうと、行く人もいる。
「やれやれ、とんだ事件が起きたもんだ」
美術商のモルガーヌは、ウィスキーをグラスに注ぎ、一気に飲む。
「しかし、あれですな、流石は軍人さん。あの死体を見ても、眉一つ動かないとは、人殺しはお手の物ってやつですか」
別々のテーブルにいる、サーシャ達や帝国軍人に向かって言う。
「僕達は、あんな殺し方はしないよね、アンナ。どっかの帝国と違ってね」
サーシャは、金髪軍人を侮蔑するように見る。
「栄えある皇帝陛下の帝国軍人は、武器を持たない者は殺さない。人々に夢しか語らない、共産主義の連中とは違う」
帝国軍人は紅茶を飲み、サーシャを一瞥する。
サーシャがテーブルにコップを叩きつけた。「同志を馬鹿にするとは、いい度胸しているな、帝国の犬」
「スペツナズの魔術戦闘員に喧嘩を売る程、馬鹿ではない。連邦の死神」
食堂車に互いの殺意が充満する。
「まぁまぁ、お二人さん落ち着いてくださいよ」
モルガーヌが狼狽えながら、仲裁する。もっとも彼が心配するのは、食堂車にある貴重なお酒だ。戦争屋の戦闘で貴重なお酒が、破壊されたら勿体ない。
アンナが後ろから、サーシャの肩に触る。
「サーシャ、頭を冷やしてください。短気なのは、貴女の長所でもあり短所なのですから」
「わかってるよ、アンナ」
子供が叱られた様に、小さくなるサーシャ。
「貴方も、此処で事を起こしたら、皇帝陛下とやらに、怒られますよ」
優しい口調で促す。彼も彼女の言葉に促され、席に座る。
アンナのテーブルにモルガーヌが、ショットグラスと酒を持ってくる。
「ウォッカだ。あんたらの故郷の味」
グラスに琥珀色の液体が注がれる。
「頂きます」
グラスを持ち、一気に飲み干す。
「いい飲みっぷりだな、お嬢さん」
空いたグラスに、さらに注ぐ。
隣で物珍しそうに見るサーシャにアンナが「あなたも飲みますか?」
サーシャは、首を大きく左右に振り「僕は、ジュースでいいや」と言い、オレンジジュースに口をつける。
いつしか窓の外は、森を抜けて、霧の中だ。
三号車の談話室。
「まさか、殺人事件が起きるとはね」
車窓を覗きながら、椿が呟く。
「犯人は、列車の参加者か外の人間かな」
探偵でもないのに、結月は考える。
「外の人間の可能性は低いと思います。眠りの森は物語での登場なので、あの森は誰かが作り出した産物です。・・・・しかし眠りの森には、マンフレディと言う怪物が出てきます」
「マンフレディ?」
「はい、元はマンフレディ自体も眠りの森で迷える旅人でした。しかし餓えを避ける為に他の旅人を殺し、血肉を食べて怪物になってしまったと」
ジャンの話しで、部屋の中が静まり帰る。
「そ、そんな、話があるのね」
椿が手を震わせながら、お菓子を摘まむ。しかし、力の加減を忘れたのか、焼き菓子が握り潰される。
「じゃあ、犯人は、そのマンフレディ?」
「あの森を作り出した誰かが、マンフレディの話しも知っていたら、再現して襲った可能性がありますが・・・・」
うつ向いて考えてた。
マンフレディは、確かに人肉を食べるが、頭だけ食べるのは、腑に落ちない。
「たしか昔の魔術で、頭から情報を抜き出す術があるって、聞いた事があるわ」
椿が、自分の荷物から家捜しを始めた。洋服だったり、洋服だったりと、何人分の服があるんだ。
「あったわ」
かなり古い本で、紙が羊皮紙に掠れたインクで書いてある。擦りきれそうな紙を丁寧に開く。
「昔の魔術は、一子相伝が基本だったらしいの。だから弟子は、師が死んだ時に、術式やら情報を頭の中から抜き取って、自分の中に入れるみたい」
「科学者の時条さんなら分かるけど、何にも知らない子供から抜き取るか?」
「確かに・・・・」
科学者の頭なら、得る情報は多いが、何にも知らない子供は、抜き出す情報がない。
「答えを出すには、情報が少なすぎるわ。もう時間が遅いし、とりあえず寝ましょう」
時計を見ると、0時に針は進んでいた。
結月もベットに入るなり、睡魔に襲われる。出来る事なら、目覚めた時には、事件なんて物は無かった事を願いながら、瞳を閉じる。
列車の振動とブレーキ音で、目が覚める。
森林地帯特有の湿気の香りが漂い、カーテンを開けると、駅に停車していた。濃い霧に包まれていたが、窓の目の前にある駅の看板からして、目的地みたいだ。
部屋の扉越しに声がした。
「ユヅキ起きて下さい。目的地に着いたみたいです」
「分かった」
体を起こし、仕度をする。
荷物をまとめて、外に出ると、椿達が待っていた。椿もジャンも教会の制服に変り、椿はレイピアと、柄の無い刀身のみの剣の鞘が二本を腰に帯びている。
「以外と似合ってるじゃない結月君も」
「派手過ぎないか、もうちょっと地味なのが良かったんだが」
なんと言うか、コスプレをしているみたいで恥ずかしい。
「似合う似合う、ジャンもそう思うでしょ?」
椿の問いに、無反応で彼女の瞳は、彼を見ていた。
「聞いてるの?ジャン」
「え?あ、はい、良いと思います」
不意を突かれた様に答える。
「やれやれ、相変わらず、湿気臭い国だな、日本は」
隣の客車からジュリエットが降りて来た。
襟つきの夜空様に黒い上着に、夜空を彩る金色のボタン。深海の様に深い青色のズボンに、ズボンの横には、赤い三本線のスリットが入っている。そして腰の左右に拳銃をホルスターに収めて。
「どうしたんだ?仲良し三人組、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をして」
薄ら笑いしながら、三人を見るなり言う。
「その服、あなたはー」
椿の言葉で気づいたのか、ジュリエットは自分の服を見て「そうか。ご明察の通り、私は合衆国側の人間だ」
「通りで、他の参加者に詳しいはずね」
合衆国は帝国、連邦に匹敵する軍事力を持った国で、両国との違いは、彼等は国民意志、すなわち民主主義に基づき行動する。
「貴様は!?」
「君、合衆国の人だったの!?」
サーシャ達と帝国軍人が居合わせてしまう。
三カ国は冷たい戦争の真っ只中で啀み合っている。
二人を見るなり、ジュリエットは鼻で笑う。
「煩いぞ、コニーと狂犬。黙って、同志書記長や皇帝陛下とやらのご機嫌でもとっていろ」
火に油が注がれる。
「黙って聞いていれば、調子に乗るなよ敗北主義者が」
サーシャが耳飾りに触る。耳飾りが深紅の鎌に変化した。
ジュリエットは気にも止めずに「面白い。スペツナズの死神の力を見して貰おうか?」腰の拳銃に手をかける。
サーシャが鎌を構えて、ジリジリと間合いを詰める。
間合いに入り、サーシャが突進する。鎌を振りかぶり、「一撃で、終わらせる!」
「やってみるがいい、心世界開放ー」
鎌が深紅に光を放ち、ジュリエットが何か呟くと、周りの景色が変わろうとした瞬間、両者の間に突風が起きる。
土煙の間から表れた、蒼い剣先がジュリエットの喉元に止り、サーシャの鎌はアンナが腕で受け止めていた。
「そこまでだ、二人供」
「彼の言う通りですよ。それにジュリエットさんでしたか?こんな所で使う術ではないですよ」
サーシャはアンナの腕から流れ落ちる血を見るなり、鎌を耳飾りに戻し「アンナ・・・・ごめんなさい」
ジュリエットも銃から手を放す。
「これで、満足かなお二人さん?」
嵐が過ぎ去る。
結月も刀を鞘に戻す。動いた瞬間が感じ取れなくて、一種の恐れをジュリエットは感じた。
十年程昔、日本に恐ろしく速い剣士がいたと聞いた事がある。確か通称が(ライトニング・Zero)と言ったか。だがその剣士は、戦死したと言われているから、まさかと思い、考えをやめた。
「お戯れは、そこまでです。皆さん」
霧の中から、執事服の老人が現れた。
「奥様から、あなた方の身辺並びにオークション進行を任されております、名をシルクと申し上げます。馬車を待たせおりますので、お急ぎを」
霧の中から馬車が、停まっている。近くに寄りランタンの灯りに照されて、分かった事だが、馬の騎手がいない。
荷物を積み込み、客車に入るなり椿が、開口一番「なんで貴女が、こっちの馬車なの?」
結月の隣にジュリエットが座っていた。
「いいじゃないか?結月に先程の礼も言いたいしな」
噛みついてくる椿をあしらう。
「先程は助けて頂きありがとう。命のお礼は、キスか一夜の情事をご所望かな?」
薄ら笑いし、結月に迫る。
「どっちも要らんわ!」
顔を赤らめて否定する。
「照れるな照れるな。日本の男は、皆年下好きのロリコンと聞いたぞ」
「間違ってるぞ、その情報!」
結月の唇にジュリエットの唇が迫る瞬間、鞘で床を叩きつける音が響く。
ジャンからの鋭い視線がジュリエットを刺す。
「常談だよ、おば様。貴女の可愛い主に手は出さないよ、まだね」
「それは良かった。貴女の様な悪い虫が付いたら困ります」
「悪い虫とは失礼しちゃうな。私が、彼と結ばれれば、形式的には、私も主だがな?」
薄ら笑いし、ジャンを見つめる。
「そんな事は、天と地がひっくり返っても御免です」
ジャンとジュリエットの視線がぶつかり合う。
「それに、先程の貴女は、サーシャを殺そうとしてましたね」
ジャンの一言に場が静まり帰る。
彼女の言葉に、ジュリエットは迷うこと無く「あぁ、それがどうかしたか?煩いんで、頭を吹っ飛ばしてやろうかなと」
今までの彼女の振る舞いから、嘘とも真実とも取れる言葉。
「合衆国ジョークだ。仮にもスペツナズの魔術師だから、私とて無傷では済まないからな。だから結月には感謝している」
この言葉は、嘘偽りの無い彼女の本心だと思う。
馬車は霧の軽井沢を駆け抜ける。昔は大使や外国人の避暑地として栄え、今は日本を代表する観光地だ。
旧軽井沢銀座を通り過ぎ、緑の栄える森に入る。
窓から写真で見た小さな古城が見えた。
薄汚れた石の壁に、霞んだ赤い屋根。大扉の前に噴水が有り、噴水の真中には石像の獅子が鎮座している。
馬車から参加者達は降りて、集まる。
「やれやれ、悪趣味な作りだな」
ジュリエットが建物を見ながら呟く。
「確かに気味が悪いわね・・・・」
椿の言葉に、ジュリエットが訂正する。
「椿、私の言う悪趣味とは、例のアストニアの物語に出てくる古城と瓜二つという事だ。確か名前はー」
ジュリエットが言い掛けた瞬間、シルクが「皆様ようこそダークローズ・ガーデンに来てくださいました。」
そう物語に出てくる、悪い魔女が城主の闇薔薇の庭園だ。