Ver.0.0.4 "機種変更"
昨日の日常のレシピを思い浮かべながら、支度し玄関を出る。そこには男子高校生憧れの朝の出待ち。そして一緒に登校。しかし智己の前に待っていたのは吉田だった。これが彼女なら嬉しいところだが二次元やリア充のシチュエーションはなく、またこれといった感情もない。
「よっ!」
「おはよう」
挨拶を交わし、吉田は智己に、智己は吉田に合わせるようにして合わせて歩き始める。昨日通りであれば会話も少なく始まるのだが、今日は違った。吉田は智己の顔を見ながら詮索するように微笑を浮かべる。彼は高校に入ってから智己の生き生きとした表情を見たのは初めてで密かに安心していた。
「何か俺の顔についてるのか?」
「いえいえ~、なんでもありませんよ。ところで香枝先輩の話にしますか?」
「は、話すことも無いしそうするかあぁ」
智己は理由も分からない動揺をしたため語尾の発音が震えている。しかし智己の驚きや焦りの秤をさらに揺るがす者がいた。
「わはひがほうかひはほ?」
二人の耳に届いたのは女性の声で、背後の気配に気づいた二人の心拍数は跳ね上がる。石臼のようにゆっくりと同調しながら振り向く。聴覚に次いで、視覚に入ったメロンパンを咥える人物は話題の元、香枝だった。
「かっ、香枝先輩!?」
「っ……」
コミュ力の高い吉田は名前を呼び、コミュ障予備軍の智己は声なく息を漏らしている。二人に手の平を立てて斜め下を向き、咥えたパンを飲み込むまで静止させる。
「えーと、私のこと知ってるの? ありがとう! 君たちは一つ下の学年の子?」
「はい! 一年三組の吉田翔也です。こっちは同クラで友達の白河智己です。この学校の男子に香枝先輩を知らない人なんていないですよ!」
「白河です。よろしくお願いします」
智己が彼女を知らなかったことを知っている吉田だがお構いなしに調子をとる。その様子に感心しながらも、紹介を利用して慌てて挨拶をする。
「何かの縁だし、覚えておくね。私は一応二年一組の五藤香枝です。それで話ってなに?」
ぎくり、と場面の急所に迫られ沈黙に追いやられる。彼女は自分のペースで場の空気を流し、話し続けた。
「まぁ、よく分からないけどいいや! ところで君たち、人工知能に興味はない?」
二人の前に回り込んで対面し、逃がさんばかりのセールスマンごとく狙いを定める。沈黙から尋問へと香枝味の空気は忙しい。
「人工知能ですか? おれはよく分からないですね……」
吉田は調子を取るわけでもなく素直に答える。バカ正直なのは彼のいい所でもあり、また損な所でもある。
彼女の質問に声を上げたのは以外にも智己だった。
「ぼ、ぼく興味あります!」
唾を飲み込み思い切った智己がシャイと知っている吉田、相手がいない香枝。きょとん、とする二人に恥ずかしさを感じる智己。彼の耐えれる制限時間内に香枝は滑り込む。
「ほ、ほんと!? きみ、ええと確か白河くん! 部活は今は入ってる? 入っているのなら転部する気はある? いや、私の部活に入部する気はある? あ、私AI研究部っていう部活の部長なんだけど、入る気はないかな? 今までにプログラムを組んだことはある? 家にパソコンはある? 勉強は得意かな。私は一応得意だから部に入ってくれれば教えてあげるよ。私一人しかいないから誰かに入って欲しいんだ。私が男子にこうやって話しかけると逃げられちゃうから。逃げないのはきみが初めてだよ。後勧誘できるものは……、ティッシュでもなんでもあげるから!」
「ちょちょちょ! ちょっと待って下さい!」
香枝は同類を見るような目で智己を質問攻めにする。智己は初対面で女子に両手で胸ぐらを掴まれ逃げられないほど積極的に来られたことはもちろんない。通信販売員も驚くほどの客を囲むマシンガン勧誘は女子との関わりが比較的多い吉田でも動揺するだろう。
しかし香枝の興奮を抑えて智己は望まない回答をしなければならなかった。
「あの、先輩はお詳しいんですよね? 失礼になるかもしれませんが、ぼくはただ興味があるだけで……」
そう、智己はメディアが最近よく取り上げていた話題に少し興味を持っていた程度なのだ。きっかけが無ければじきに忘れられる。そんな浅い考えの無礼者の発言が本気で取り組んでいる人に失礼に当たるのではないかと思っていた。
「なお良し!」
香枝は智己の言葉を遮り、空に向かって何かを掴んだかのようにガッツポーズをする。
周りの目が気になった二人。この回答の影響を心配していた智己は予想を反した好感触で自然と微笑む。一方、吉田は友人として智己の立ち直りが出来て良かったと親のように少し離れて見守っている。
安心も束の間で、場の主導権を一方的に香枝に握られてしまっては誰も止めることは出来なかった。
「安心して! 変な基礎があると覚えてもらいにくいし、私が一から教えるから!」
───"私が"
それはつまりマンツーマンを意味する。
些細な言葉を聞き逃す男子高校生は場にいなかった。智己に対話する権利を与えてしまった吉田は智己に撫で下ろした心を逆立てて、さぞ悔しがる。
今までAI研究部には部長の香枝以外に幽霊部員しかいなかった。幽霊部員と言っても活動しているのが部長のみであるため必要な存在である。入部した者も部長に会うことなく書類提出のみで活動の実態は知る者はいない。
まさか穴場に豪華特典があるとは誰も思わなかったのだ。香枝の気分次第を考慮してもだ。
「分かりました! 今日にでも入部します!」
「やったあああああ!」
朝のテンションとは思えない二人は確実に暴走し吉田を放っていく。香枝にとって幽霊部員がいることは知らず、自分一人の部活だと思っているために初めての仲間を手に入れたことを喜ぶしかない。
急に転部に思い切った智己はただ香枝と一緒にいる時間を約束されるだけで嬉しかった。彼の在籍していたのは帰宅部。入ると決めた今、入部には書類を出すだけであるため決断は容易だった。
「はあ、はあ。入ぶっ、はあ、届けは、っ、多分いつでもいいからっ。私は、学校にいる時授業免除で、いつも部室いるから、いつでも来てね!」
「はい! 吉田は転部しないの?」
「俺はサッカーで忙しいので少し厳しいです。あのー、楽しそうなとこ悪いんですけど、走らないと遅刻必須かもです」
吉田はサッカー部に入部している。捻子巻高校はスカウトにも力を入れていて全国でも強豪校だ。物心ついた時からボールを蹴っていた彼はこう見えて一年でも中々の上級者で期待されていたため、断らざるを得なかった。
二人の暴走は完全に忘れ去られていた吉田信号機によって静止。周りにいた香枝に視線を飛ばす者は既に無い。時間を気にしながら三人は先程まで活発に働いていた口をも忘れ学校へ急ぐ。
興奮の余韻による能力向上によりサッカー部の吉田にも劣らず二人は付いて行く。校門をくぐり抜け、なんとかSHRの鐘がなる前にそれぞれの教室の席に到着するのだった。
なお、席についても香枝と智己の興奮は落ち着かなかった。