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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

待ってる (B)

作者: エモトトモエ

 それは昼休みになる少し前のことだった。

 デスクでデータ整理をしていた私に、課長が近付いてきた。

「馬場さん、ちょっといいかな?」

 声を潜めてそう言われ、私は椅子に座ったまま、脇に立った課長を見上げた。

「実は…さっき、…赤川君のお父さんから電話があってね…」

 赤川。その名を聞いて、私は自分の体が硬直するのを感じた。

 課長も気付いたようで、とても言いにくそうな口調を更に小声にして、

「彼が行方不明になった、っていうんだ」

 そう言うと、周りを伺った。

 私も周囲を見回した。近くの席の同僚は皆、席を外していた。課長はあえてこのタイミングを見計らって話しかけてきたのだろうか。

「それで君に、何か知らないか訊いてくれって言うんだが…」

「知りません。あの話し合い以来、彼には会っていませんから」

 私は強い口調で言っていた、と思う。

「そうか。そうだよな。嫌なことを思い出させて済まなかった」

「いえ。行方不明なんですか? 赤川さん」

「ひと月ほど帰っていないそうだ。お父さんは捜索願を出すと言っていたよ。…でもあんなことをやらかしたんだ、警察には頼りにくいかもしれないな。まあ、いまさら君の所に来るかはわからないが、もし見かけたらすぐ警察に」

「もちろんです」

「君も大変だな。しばらくは残業しないで、早く帰りなさい」

 親と同年代の課長に言われ、私は素直に頷いた。

 そうさせていただきます。実はひと月前からそうしていますけれど。



 私は今日も急いで帰宅すると、まずクローゼットを開けた。一番奥の扉を。

 そしてペットの姿を確認して安心した。うん、今日も元気そう。

 そして懐中電灯を手に、ペットの口を開け、中を覗く。

 もう殆ど消化液ばかりだけれど、まだ毛髪や骨の一部は残っていた。

 ひと月経っても残るものなんだね。溶けにくいんだね。私はいつものように写真を撮り、ペットの口を閉じた。

 赤川さん。

 暫定的にペットをそう呼んでいる。

 今は赤川さんを養分にして生きているからね。



 ある日、一人暮らしの部屋に帰ると、赤川さんがペットの消化液に、上半身漬かって動かないでいた。どうして赤川さんだと分かったか、というと、彼とは少しだけ付き合ったことがある上、私のストーカーだったからだ。

 元は会社の同僚で、社内でも有名な変人だった。断り切れずに付き合ったものの、その間私は全く楽しい思いなどなかった。同僚に間に入ってもらって別れたけれど、その後から半年近く、付きまとわれたり、ゴミや汚物をポストに入れられたりした。私を中傷する文章を社内の一斉メールで出されたし、気味の悪い文字や卑猥な絵を玄関ドアいっぱいに落書きされたこともあった。

 それで私は警察と弁護士、会社に相談し、彼は会社を首になった。弁護士と上司の立会いのもと、彼に、私と関わらないよう誓約書を書かせた。

 それから数日後、彼はどうやって手にしたのか私の部屋の合い鍵を使ってここに侵入したらしい。

 そしてペット(その時は名前はなかった)に呑み込まれかけていたのだった。

 ペットに不思議な袋状の器官があるのは疑問ではあった。

 だって、鉢植えの観葉植物だったはずなんだもの。買って間もなく気付いた、小粒のブドウくらいの大きさだったその器官は、あっという間に人を呑み込める大きさになっていった。一メートル程の背丈に、大きな袋状の器官。そんな植物はいくら調べても見つからなかった。

 生き物を呑み込む器官だったんだ…私はただただ感心し、そして、…



その後を知りたくなった。

  


 一日目。消化液は真っ赤で、中の様子は見えなかった。血のにおいがきつかった。

 二日目。同じ状態だったので、思い切って、中身を浴槽にぶちまけてみた。においは血と吐しゃ物の混じったようなものになっていて、その濃度も昨日より増していて私は思わず風呂場で吐いた。はからずもペットと同じ事をしたわけだが、私の方は何度もえずいた。吐くものがなくなると、私は浴槽を覗いた。赤川さんの頭部の一部は溶けかかっていた。服の漬かったところは粘り気を持っていた。手袋をはめた手でめくると、中の体は頭のように溶けかけだった。写真を撮り始めたのはこの日から。

 四日目には頭蓋骨が見えはじめた。消化液はどろりと重くて黒ずんでおり、不思議なにおいがした。吐き気を催すほどのものではなくなっていたが、やはり悪臭といえた。手袋に穴が開きそうになっていたので、次からは使い捨てにすることにした。消化器官以外の、葉や茎の部分に、艶が出て来たような気がした。

 七日目には上半身が砕け、全身が消化液に漬かった。

 下半身が砕ける頃には、上半身は骨にわずかな肉片がくっついている体になっていた。毛髪がかなり残っていたので、掬い上げて引っ張ってみた。簡単に切れた。肉片に触れてみると、やはりすぐにばらばらになった。面白いようにほぐれて溶けてゆく。思わず頭を掴んでかき回したい衝動にかられた。彼には長い間苦しめられてきたのだ。…いや、それより、目の前に漂う、私だけのおもちゃを振り回したくなっただけかもしれない。罪悪感を抱かない相手。だって私が彼をここへ突き落したわけじゃない。勝手に入り込んでいただけだ。

 いや、これは大事に観察したい。…私は自分を必死で落ち着かせた。そして、余計な破損を避けるため、浴槽に移して観察するのはこの日までとした。消化液もこの頃には澄んできていた。

 それ以降は少しずつ進む消化を、ゆっくりと楽しむこととなった。撮りためた写真を見比べるのもいい。特にはじめの頃の大きく変化するさまは、今でも思い出すたびに興奮と恍惚とを伴う。今日でひと月。ひと月といえば、私と赤川さんが付き合っていた期間と同じだ。あの頃に比べて、今のなんと満ち足りたことか。

 ペットは枝を伸ばし、ひと回りは大きくなった。

 クローゼットの隙間では手狭になってきている。日影が好きなようなので、クローゼットの中を整理して、広く場所をとってやりたい。

 そして…いずれ。

 私もこんなふうに溶かされ、消化されたいと思うようになった。それはきっと他では味わうことの出来ない至福であると、私は確信している。

 赤川さんの消化が終わったら、ペットのことは『私』と呼ぼう。人の味を憶えただろうか。成長に役立つと、もっと摂取しようとするだろうか。できれば私があの中に飛び込むのではなく、あちらから呑み込んでほしいのだけれど。

 そうなれば、恐怖と困惑ばかりだった私の日々は、最高の形で終わるのに。

 ああ、楽しみ。

 だから、待ってる。



読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 怖っ! [気になる点] 最後にいきなり主人公の狂気が見えて驚きました。 Aパートの赤川さんといい、この植物は人間を狂わせる香りでも放っているんでしょうか?
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