物語の始まり
少女は無表情で海を見つめていた。遠い、水平線の彼方を。その視界の端には満月が映り込んだ。
雲一つない夜にその月は少女の世界を美しく照らす。
だけど少女にそんな世界の機微なんてどうでもよかった。
例え暴風が吹き海の波が大荒れで絶望的な世界であっても、ここで見られるはずのない綺麗なオーロラが見えてもーー少女にはどうでもいいことだった。
少女の唯一は待ち人が来る事だけ。
それ以外に興味がない。
少し前から少女の記憶はなくなっていた。
徐々に記憶は消え頭に残ったのは誰かを待っている事だけ。
残りは事実かどうかも曖昧な記憶。
何が少女から消えても誰かを待っている記憶だけは揺るずに残っている理由は少女にも分からない。それでも待つ以外に少女は出来なかった。それしか今の少女に残されていないのだから。
かなり無謀な待ち合わせである。
ただ少女には少し当てがあった。
『ここで待ってて』
という言葉ーーここに居れば相手から会いに来てくれる。
そんな僅かばかりの希望。その裏は不安で満たされている。自分に時間がないことに少女は気付いていた。記憶が消えるのと同時に少女の存在も同様に消えようとしていた。
少女は自分が消える事を不安に思っていない会いに来る人に会えずに消えるのがーー怖い
そんな不安。
そんな思いも裏腹に今日も待ち人は来ない。時間が過ぎていく程に焦燥にかられる。
「…………!」
少し離れた所に人影を見た。一人の青年であった。
……しかしその青年も少女に一瞥もくれずに通り過ぎた。
少女も本気で期待していた訳では実はなかった。もう何度も何度も同じような反応だ。
それでも少女は誰かが通れば心を躍らせーー打ち砕かれた。
と少女は異変に気づく。通り過ぎた青年が少女の近くで立止まったのだ。
しゃがみ込んで地面に落ちている何かを拾い上げていた。
どうやら少女に気付いたわけでは無いようだ。
何をしているのか気になって近づこうとすると--急に強い海風が吹き少女の長く綺麗な白い髪を揺らした。青年の手からはピンクの欠片が舞った。
舞う欠片を追うように振り向く青年と少女はーー目が合った。見えないはずの少女と見えていないはずの青年の両目は確かに互いを見つめた。
自分から目を離さない青年を少女はただジッと眺める。
「なあ」
しばらくお互い固まっていると青年が口を開いた。
少女は驚いた。珍しくその無表情にほんの少しだけ顔に出るくらいに。
「お前は何なんだ?」
そんな質問をされる。
そして少女は口を開く。
「わたしは……」
--こうして記憶を亡くした神様と田舎の男子高校生の物語が始まるのだった。