第1話 君の記憶が戻ったら
僕と君の会話は、いつも同じフレーズから始まる。
「初めまして」
「あなたは、誰?」
「僕は、佐伯アキラ。君の幼馴染だよ」
「そうなの? ごめんね。私、何も覚えてないから」
この返答もいつも同じ。僕の存在が、君に黒い影をもたらす。
「知ってるよ。君は、成瀬ヒカル。1日しか記憶が持たない病気にかかっている」
「うん。だから、あなたのことも明日になったら覚えてないわ」
「それ、昨日も聞いたよ」
白いベッドの隣に椅子を置いて、そこに腰かけた僕と驚いた君の目が交じり合うのもいつも通り。
「僕はね、いつも君と話に来てるんだ。記憶がない君に、今まで生きてきた18年分のお話をしにね」
「でも、それって次の日になったら忘れちゃうよね」
「うん。君は決して覚えていない。僕のことも。昨日のことも。今までのことも」
「ごめんなさい・・・」
君の顔に後悔の想いが浮かぶことに見慣れても、僕はいつも少しだけ罪悪感を抱いてしまう。
「いいよ。それが君なんだから。ところで、今日は何の話が聞きたい? 小学生の時、君が壁に落書きして怒られた話? それとも中学生の時、君が制服のリボンを忘れて怒られた話? あ、高校入ってすぐにふざけて遊んでいたら君が窓割っちゃって怒られた話でもいいな」
「ふふっ。何それ。私、怒られてばっかりじゃない」
今日初めて、君の顔に笑顔が灯る。
「君は問題児だったんだよ。怒られるのもしょっちゅう」
「他には?」
「そうだな。小学生の時、クラスで砂場に落とし穴作って、担任の先生を落としたこともあったな。まあ、あれはクラス全員が悪いんだけどね」
「それは、先生も悪いわよ。小学生が作る罠にはまるなんて」
まるで実際に落とし穴を作ったかのように、君はいたずらな笑みを浮かべた。
「君たちはわざわざ職員室で新聞紙をもらってきて、巧妙にカモフラージュしてたんだ。大人が嵌まるのも無理ない。しかも泥水まで入れていた。でも、それだけじゃあ、ないんだな」
「どういうこと?」
「君たちはそのまま落とし穴を埋めたんだ。泥水も新聞紙もそのままね。そして、次の日の朝礼で言われる羽目になる。『砂場に落とし穴を作った児童は、今すぐ綺麗にしてきなさい』って。君たちのクラスが全員で砂場に駆け出すだもん。壮観だったね」
今日初めて、僕は笑顔を浮かべる。
「ふふ。楽しそうでいいわね。私も早く、自分の記憶を取り戻したいわ」
「君が一日しか記憶が持たなくても、僕が毎日話をしにくる。だから、君は今のままでいいんだよ」
「あなたって、変な人ね」
「なんだよ、それ。僕は、当たり前のことを言っているんだ」
「私に記憶が戻ったら、私は一番にあなたにお礼に行くわね」
君の記憶が戻っても、君の中に僕の存在はどこにもないだろう。