鵺 -妖は何処から現れたのか?-
「妖退治にございますか?」
「左様。これは帝からの勅命でもある」
源頼政は、緊張した面持ちで帝の側近と対面していた。
時は平安時代末期。帝の住まう御所――清涼殿が怪事に見舞われていることは、頼政も承知している。
毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が御所中に響き渡り、ついには帝も病の身となってしまった。薬や祈祷による治療にも、効果は見られないという。
病の原因と思われる不気味な鳴き声を放つ妖を仕留める以外に方法は無い。
それが、お上の下した決定であった。
「そなたは弓の達人だ。かつて源義家が弓を鳴らし怪事をやませたという前例もある。此度の怪事を鎮めることが出来るとしたら、弓の達人であるそなたをおいて他にいない」
「承知いたしました。この頼政、命に代えましても、不届きな妖を討ち取ってみせましょう」
深々と頭を垂れ、頼政は妖退治の命を受け入れる。
下げた面には好奇心にも似た表情が浮かぶ。妖という未知なる敵を射る機会を得たことで、射手としての血が騒いでいた。
「気味の悪い夜ですね」
「ああ、歪な気配を感じる」
ある夜。頼政は家来の猪早太を連れ、妖を討ち取るべく清涼殿周辺で警戒を行っていた。
手にする得物は、先祖である源頼光より受け継ぎし弓。頼光はかつて酒呑童子や土蜘蛛といった妖を退治したことでも知られている。此度の妖退治に、これ程適した弓は存在しない。
「頼政様。あれを」
「あれが、妖の潜む黒煙か」
数刻が経過した頃、清涼殿の上空を黒煙が覆いはじめ、不気味な声が周辺に響き渡る。
潜在的な恐怖を煽るかのようなその声は、武人である頼政にさえも不快感を与える。毎夜このような声を聞かされては、御所の方々は生きた心地がしないであろう。
「早太、あれを使うぞ」
「承知しました」
通常の矢とは別に用意していた特別製の矢を、頼政は早太から受け取る。
山鳥の尾を材料とした尖り矢。この鋭い一撃を受ければ、どのような妖だろうと地に墜ちることであろう。
「妖はどこにいる――」
黒煙を射線上へと捉え、頼政は妖の本体を捜す。黒煙によりその姿を隠しているが、鳴き声がする以上は清涼殿上空のどこかに存在するはずだ。
そして――
「そこだ!」
鳴き声の発生元を特定し、頼政は一際黒煙の濃い場所へ向け、尖り矢を撃ち放つ。
尖り矢が黒煙と飛び込んだ瞬間、短い悲鳴と共に矢の突き刺さった獣のような影が姿を現し、二条城の北側へと落下していった。
「早太。取り押さえろ!」
「承知!」
すかさず早太が妖へと飛びかかり、小刀で妖の首元を突き、止めを刺す。
妖の絶命と同時に上空を覆う黒煙も晴れ、清涼殿に静かな夜が蘇える。
「なんと面妖な」
「はい。このような獣は見たことがありません」
頭は猿。胴体は狸。手足は虎。尾は蛇。
妖の骸は、様々な獣の形を併せ持った奇々怪々なものであった。
このような獣が自然に存在するとは思えない。その姿はまさに異形だ。
「ともあれ妖は討ち取った。これで怪事も止むことであろう」
「そうですね」
頼政と早太は安堵した様子で黒煙の晴れた夜空を見上げる。これで清涼殿にも安寧が訪れるはずだ。
「骸は如何しましょうか?」
「他の者と話し合った上で処遇を決めよう。これだけ面妖な姿をしているのだ。無下に扱えば祟るやもしれぬ」
時に祟りは、実害そのものよりも恐ろしい。塚を造り丁重に葬るなどして、祟りが起こらぬように努めねばならない。
「……しかし、このような妖。一体どこから現れたのだ」
妖など何時の世も神出鬼没。気にするだけ無駄だとは分かっているが、時にその出自が気になることもある。いかに妖といえども、無から生まれるはずはあるまい。
「妖よ。お前はどこからやって来たのだ?」
物言わぬ骸に頼政は問い掛ける。
当然、答えなど返っては来ない。
「キマイラを仕留めたか。異界の民もなかなかやりおる」
嵐山の山中に、黒いローブを纏った怪しい二人組の男の姿があった。
男達の正体は、魔術の発展した異界より侵略目的で平安の世に現れた魔術師達である。
此度の怪事は、異界の魔術師達が作り上げた魔物――キマイラの仕業であった。呪いの声を持つキマイラを権力者の集う清涼殿へと放つことで混乱を生じさせようとしたのだ。
「魔術で会話を拾いました。今回キマイラを射止めた射手は、源頼政という武人だそうです」
「やはり源の系譜か。どうりで手こずらせてくれる」
「お知り合いで?」
「私の師の時代にも、この平安の世に魔物を送り込んだことがあったそうでな。オークやアラクネといった強力な魔物を送り込んだのだが、源頼光を名乗る武人と頼光に仕える4人の豪傑によって全て撃破されてしまったという」
「異界の民の戦闘能力、侮れませんね……」
「うむ。我らも本気で臨まねばな」
ローブの魔術師達は空間移動の魔術を発動し、異界へのゲートを解放する。
いかに強力な魔物といえども、単騎での侵略は難しい。次回の襲撃の際には、圧倒的な数の魔物で攻め入る必要があるだろう。
元の世界に戻り、状況を立て直さねばならない。
「次は無いぞ。異界の民よ」
不敵な笑みを浮かべ、魔術師はゲートの向こうへと消えた。
後世に百鬼夜行と伝わる、大量の妖による襲撃が世を騒がせるのは、この少し後のこととなる。
了