9.ボッシュート
「あれ、マジで切れたのか」
ロクはきょとんとした顔で、独りでに吹き飛んできて顔をかすめた豪音の原因を眺めた。
「そりゃ怒るよ!? 何今の高度な煽り文句! 汚い言葉過ぎてわたしほとんど内容わかんなかった!」
若干顔を引き攣らせたコカはロクと同様にそれを見た。
豪速球のごとく空気を切って宙を突進してきた理科室の椅子は確実にロクを狙っていたが、直撃の寸前で避けられ、そのまま直進して鉄製の教卓に激突し、ぐわんぐわんと大きな余韻を残した。
ポルターガイストによる被害者になった椅子は、原形を留めているものの、豪速で叩きつけられたために深刻なダメージを負ったようだ。次に生徒に座られたら恐らくご臨終するだろう。
さらには、椅子だけに留まらず、理科室中の備品が投げつけられるのを望むように宙に浮きあがり始めた。
(お前がいるから近寄れないんじゃなかったのかよ)
『これだけキレたらもう……てか、さっきの煽り文句、お前の公式も覚えられない頭のどっから出てきた?』
一国を吹き飛ばしたコンにまでドン引かれたロクは、軽い動きで飛来してきたチョークを避けた。
「物が飛んでくるぐらいなら何ともねえな……インタビューはもうできそうもねえし早く次に行こうぜ」
「ロクくん! もう煽らなくていいよ!?」
ロクの余裕な声のせいでさらに激情したかのように、突然、闇に包まれていた教室を青白い光が照らした。
「なッ……火の玉!?」
火の気のない教室に現れた光源。それは、オカルトチックなゆらゆらと揺れ動くか細い人魂……ではなく、ごうごうと燃えさかる直径五十センチメートルはありそうなまさに火の玉だった。
「何だありゃ、他の妖怪でも乱入したのか!?」
「こ、これもポルターガイストだよ! ロクくん!」
「ふつうの火の玉じゃないのか!」
『馬鹿野郎、“発火”も『現象』の一つだ! それより早く逃げろ! お前が死んだらオレが面倒なんだよ!!』
「発火ってレベルじゃねえよ…… 逃げるぞ、コカ!」
「わかった!」
宙に浮く備品を避け、ふたりは素早く扉に飛びつく。
一足先に扉に辿り着いたコカは、引き戸の取っ手に手をかけるが、ガタッと物音がするのみで鍵をかけていないにも関わらず開かなくなっていた。
「開かない!? これはホラー定番の『館に入ったら唯一の出口が開かなくなってる』シチュエーション!? 意外とレアだよロクくん!」
「どけ!」
状況に似合わず感激するコカをスルーして、ロクは勢いのまま扉にタックルした。途端、引き戸はサッシからバコンと音を立ててあっけなく外れ、廊下に吹き飛んだ。
ロクはコカの手を引いて、タックルした勢い余って壁に激突しながら教室を飛び出すと、廊下を疾走した。
直後、追尾してきていた火の玉が、ロクが激突した壁に直撃し、一瞬輝きを増したかと思うと爆発を起こした。
しかし、ロクたちの背中を襲ったのは、熱風でも爆風でもなく真っ白な煙幕のような大量の煙の波だった。
「け、ほっ! げほ! な、何これ!」
「クソッ……とにかく走るぞ!」
視界が奪われる中、ロクはとにかく廊下の壁伝いに走る。突き当たりを曲がり、つまづきながら階段を駆け上り、ロクは躊躇すること無くしつこい白煙の中を突き進む。
あまりの躊躇わなさと俊足に、途中で足が回らなくなったコカはほぼ足が地面から浮いていたが、なんとかロクの手にしがみついていた。
どこまで校内は白煙に侵食されているのかと不安になってきた頃、ようやく白煙がふわりと裂けて視界が開けた。
「ぜぇっ、やっと、ケホッ、はれたッごほっ」
散々振り回されたコカはぜいぜいと肩で息をして、煙のせいではない咳をした。
「……煙は晴れたっちゃ晴れたが……なんだこの感じ」
対して涼しい顔で息切れひとつしていないロクは、辺りを見回して感じた違和感に首を傾げた。
そうは言っても、周囲にあるのは閉じられた教室の扉、外が見える窓、消火栓、全て学校の廊下として違和感のないもののはず。
しかし、つられて顔を上げたコカも「あれ?」と首を傾ける。
「えっと、ここ……どこ?」
「だよな」
感じる違和感にこの場所がおかしいと確信したふたりは、相変わらず闇が包み込む廊下を見渡してその正体探す。するとそれは思ったよりも早く見つかった。
「ろ、廊下長っ! 先見えないよこれ!?」
「なんじゃこりゃ」
せいぜい長くて五十メートル程の校舎の廊下が、前後ろ共に延々と続く異空間に姿を変えていた。
さらに恐ろしいのが、床のタイルや教室の扉など、日常で目にする学校の備品の質感や素材の雰囲気までを完全に再現しているところだ。
しかし、あくまでも再現であるのは明白で、無限に連なる廊下は一定間隔でコピー&ペースト感が漂っていた。
「いつの間にこんなところに……!?」
「……俺ら、さっき逃げる途中で階段登ったよな」
「そ、そういえばそうだけど……あれ!? さっきいた理科室が三階だったよね!?」
この学校の最上階は三階、それ以上登れば屋上に出るが、そもそも普段は出入りができないように机で封鎖されているはずなのだ。
つまり、ロクたちの階段を登った記憶が確かなら、今ふたりは有り得ない場所にいることになる。
「うわぁ〜! 久しぶりだねこのラビリンス感! 前回は人体模型に追われて、気づいたら裏世界にいたよね!」
「……覚えてないぞ、それ。ラビリンス感てなんだ」
やはりテンションの高いコカは、ロクを置いて周囲を物色する。一番近い教室の扉に手をかけて開こうとする。が、しかし、何故か壁の一部かのように、ガタリとすら動かない。
「大体なんだここは……神隠しでもされたのか」
「もしかしたらそうかも。教室も開けられないし……居るだけで楽しいけど、ずっとここにいる訳にもいかないしね! 脱出の方法を……と」
「取り敢えず探すか」
単純な神隠しならば、その世界の内に元の世界に戻れる引き金があることが多い。
このようにループした世界ならば歩き回るよりもどこかにあるその引き金を探すのがいい。
それを探すために扉を開けるのを諦めると、コカは消火器へと駆け寄る。壁から取り外そうとしたり噴射できるかと試すが、これも全く通用しない。
「そういや、これは例の怪談の噂には入ってないのか」
「あ、よく考えると入ってるよ!」
ロクも同様に探索しようかと、周りに目を向ける。といっても、廊下という殺風景な場所では、既にコカに物色され尽くされてしまっていた。
まだだれも触れていない窓にふと目を向けると、不自然に大きな赤い満月が浮かんでいた。恐らくこれも神隠しによる世界の中に作られた物なのだろう。
近づいて窓枠に手をかけて破壊できるかと試すが、これすらロクの馬鹿力を持ってしてもビクともしない……と思ったら少々金属の部分が変形していた。
──その時。
窓枠を見つめていた視界の端にうごめく何かを捉えた。
窓の外──校庭のような場所に何かが這いつくばっている。赤い月光が逆光となり姿はよく見えない。
それに目を奪われているあいだにもコカの話は続いていた。
「噂では確か……『底なし無限回廊』っていって、無限に続く廊下を彷徨っていると突然にこういうタイルの床g………!?」
「………あれ」
突然途切れたコカの言葉にロクは窓の外からコカがいたはずの消火栓の付近に目を向けると、その姿がきれいさっぱり消え去っていた。
「……やられた」
「やられたなあ」
コカが連れ去られロクが額に青筋を立てていると、すぐ側に今まで息を潜めていたコンが姿を現した。
「凄かったなあ、今の。あの妖怪ハンターの女がそれはもう綺麗にパカッと開いた床のタイルの中へとボッシュートされていったぞ」
「見てたんなら助けろよ。ってかなんだそのビックリハウスみたいな仕掛けは」
「最初から助けないって言ったろ?」とコンはケロッとした様子で口の端を上げた。
「まあ、単なる神隠しで連れてかれただけだしな。多分生きてるだろうな」
脱出手段探しを手伝う気が無さそうなコンを睨みつけるロク。だがすぐにこんなことをしている場合ではないと舌打ちをして、コカを探すことにした。
コンから離れようとループする廊下を突き進んでから探索をしようとしたが、すぐに鎖が出現し、コンがトコトコと着いてくるため手が付けられない。
「そうツンツンすんなよガキ……いや、だから威嚇すんな。そして距離をとるな。近づくのめんどくさいんだよ」
「何だよ、用ないなら近づくんじゃねぇ!」
ロクから毛嫌いされていることを面白がっているようにコンはジリジリと近寄ってくる。悪魔の笑みだ。
「あのコカっていう女探したいんだろ? だったら手っ取り早い方法があるぜ」
「……もしかしてここの脱出手段を見つけたとかか」
「そんな感じそんな感じ。ほれ、そのまま裏を見て」
「裏を見て…….」
解決策だと知った途端ロクはあっさりと、それまで耳を傾けなかったコンの言う通りにくるりと後ろを向いた。
「そこに消火栓があるだろ?」
「消火栓……」
「それで消火栓の取っ手があるだろ?」
「取っ手……」
「それを引っ張るとな」
「引っ張ると……」
なんの疑いもなく、更に言う通りにロクは本来消火栓を開く為の取っ手を引っ張った。
途端、全身が浮遊感に襲われた。
「うおッ!?」
「床のタイルが開いてボッシュートだ!」
コンに騙され完璧にコカの二の舞にされたロクの足元がパカりと開いたタイルの中の深淵に飲み込まれる。
視界が一瞬で闇に染まる中、落ちまいとロクは手を伸ばすが、もう遅かった。
「これで脱出&コカを発見だなあ!」と嫌味にしか聞こえないコンの声が遠のき、ロクの体は穴の奥へ奥へと吸い込まれて行った。