2.飾り屋
続き~です。
「いやあ、コックリさんと全く関係ないモンスターを召喚しちゃった時はオカルト部の終わりかと思ったね! ロクくん!!」
「俺が殴って戻したんだから感謝しろ」
「ありがとう!! あ、職員室着いた! 時間かかるから先に帰っちゃっていいよ! ばいばい!!」
最初から待つ気など皆無だったのでそのつもりだ。ロクはコカに手を上げて踵を返した。
ミツキは既に部室から出て十歩進んだところで女子生徒の軍団に捕まり、彼女たちに囲まれて帰ってしまっている。後で吊るしてやろうと心に決めたロクだった。
ふと見た廊下の窓から見える空には灰色の雨雲が広がっていた。濡れても困ることはロクにはないが、少し急ぎ足になって階段へ向かった。
階段に足をかけかけたところで、ロクはピタリとその動きを止めた。
何か違和感があった。今日だ。今日何かが足りなかったという違和感があった。しかし、今日一日を思い返すと特に何もない普通の一日だった。そんな心配事などが入り込む余地がない。
ロクは少しその場で少し考えて固まって思考していたが、すぐに気にしないことにした。そうして改めて階段に足を踏み出した時だった。
ガコッ!
「ッうぉ!?」
突然ロクの足に何かがはまり、バランスが崩れて目の前の景色がひっくり返った。とっさに手すりに手をついたがそれも滑った。びっしょりとロクが手をついた部分のみが濡れてた。
ロクは視界に入った自身の片足に鉄製の掃除用バケツがはまっていたのを見た。しっかりとそれを足に引っ付け、校舎中に響くであろう金属特有の派手な音を立てながら階段を転がり落ちていった。
階段の踊り場でようやく止まったロクの体のあちこちに鈍痛が走る。
「ちッ……肘ぃッ……」
そこでやっと違和感の正体が判明した。なぜ自分の特徴と言える忌々しいものを忘れていたのか。
ロクは重度の“不運”持ちだった。物心ついた時からそれは自覚していたが、今に至るまでその体質に慣れるはずなどなく、苦労を強いられてきた。
先程のこっくりさん騒動など序の口も序の口である。あれは不幸に入らない。ロクの力で抑え込める程度のものだからだ。大袈裟な表現は一切なし。
全く自慢では無いが正月初詣のみくじは毎年のように『大凶』を引き続けるのはもはや常識である。もういっそ運がいいのではないか。そう考えたロクは、ある年に「大凶を引けば今年は幸運になる。大吉はその逆」と無駄な抵抗の決めつけでみくじを引いたところ、見事に『大吉』。
その年は居眠り運転の車が歩道にいたロクに突っ込んだのが五回、自室の床がロクごと抜けたのが一回。そして、駅のホームで酔っ払いに絡まれ電車の滑り込んできた線路に華麗な一本背負い投げで無様に投げ捨てられたのが一回。類似の出来事三十回強。
それからロクは、元旦にはみくじを引く以前に外出すらしなくなった。
──とにかく、立った不運フラグは強制回収。むしろ不本意にも自らフラグを建設してしまう体質持つ人間、それがロクだ。
今さっきロクがハマったバケツは、階段掃除担当の生徒が片付け忘れたものだろう。手すりが濡れいたのも掃除当番が雑巾を絞る加減を間違えたから。それは必然的にこの階段を通ること選んだロクへの不幸フラグと変貌した。
全く迷惑なことだ。どこの生徒がこんな面倒なフラグを——
「………………………………コカだ」
ロクは思い出した。階段掃除担当はロクたち。そして階段の窓拭き用にとコカがバケツを持っていたような気がする。自分が注意していれば回避できたフラグだ。しかしこんなものいつものこと。
ロクは経験から違和感を感じていた。どんなに考えても思い返してもいつもより格段にバッドイベントが少ない。
「今日が不幸が少ない普通の一日だった」という事実は、ロクに薄寒い予感を感じさせた。非常にろくでもないことが起こる予感がする。
ロクは深く考えないようにとコカへの仕返しの方法を練り始めた。そして早く帰るために痛みの引いた体を起こして足にハマったバケツに手をかけた。が、これがなかなか抜けず——
「あ」
バランスを崩し、ロクは再び階段を転げ落ちていった。
・ ・ ・ ・ ・
脳天を刺すような冷たさを感じ、ロクは白目を剥きたくなりながら天を仰いだ。
校門を一歩踏み出した途端に雨が降り出した雨は嫌がらせだとしか思えない。もちろん、折り畳み傘なんてマメなものは持ち合わせていなかった。
嫌な予感のこともあって早く帰りたかったロクは、学校へは引き返さずひとまず商店街の店の軒下に移動する。
そして隣り合う店の軒下を伝って家を目指した。いつもならこれで帰ることができる。いざとなったら濡れてでも帰って良い。
しかし、ロクの思うがままになってくれるわけがなかった。
時が経てばたつほど強くなる雨風。それもそんな表現では表しきれないほどにただ事ではなくなってきた。
今ロクは唯一折りたたみ式ではない木の軒があった店の壁に張り付くように立っているから良いものの、もしこの商店街のど真ん中で仁王立ちしようものなら確実に豪雨と風になぎ倒される。もしそれに耐えて立っていられたとしても、強風に煽られて飛んできたスナックの看板や新装開店を知らせるのぼりが襲いかかってきて再起不能になる。
今も真横から飛んできた何かの雑誌をすんでのところでロクは避けた。もともと光がなかった彼の目は死んでいる。自分が止むのを待つ雨は自分の望むタイミングでは止まないと百パーセント経験から悟って諦めているからだ。
ロクは空に嫌われることをした覚えはない。どちらかと言えば雨乞いやら召喚術という神の類に迷惑しかかけない事をしているコカの方が嫌われていそうだが。
ともかく、帰れないことには何もできない。そこそこ雨が止んだら通りかかったコカに傘を貸してもらうことに決めた。なんたかんだ付き合いの長い二人の仲。コカはそのぐらいの頼みなら簡単に許してしまうのが目に見えていた。
——と、思考がひと段落したところでロクは気がついた。振り返ってそれを一見する。
それは今ロクが雨宿りしている店。
木造だが、装飾から洋風な雰囲気が見て取れる。入口の扉の横にショーウィンドウらしき大きな窓があるが、磨りガラスが嵌め込まれているせいでその役割を果たせていない。剥げかけた金メッキのドアノブには『CLOSE』の札が提げられている所から店であるのは間違いではなさそうだ。
商店街の一部にしては浮いている外観だったが、ロクの記憶にはこんな店は無かった。新店か、という考えが浮かんだが刹那でその思考は吹っ飛んだ。何しろ外見だけでもその店の寿命が近いことを悟ることができるからだ。外観には至るところに壁の亀裂や蜘蛛の巣が腐るほどに存在している。
いくらロクに記憶力がないからと言って、物心ついた時から通っている商店街にこんな印象が強烈な店が立っていることを忘れたりしない。
それにしても、ロクはいったいどうして潰れないのかと、そしてこんな店に誰が入るんだと疑問になり——
——ブルッ
ロクは咄嗟に二の腕をさすった。雨に濡れた寒さで震えたのではない。悪寒だ。得体の知れない無言の視線と圧力のようなものを感じ、後ずさる。
これがゲームならば、「雨宿りに中に入った途端扉が閉まり、仕方なく外へ出る方法を探すために探索を始めるが一気にホラー展開に!」──というフリーホラーゲームの様なイベントが発生しそうなこの状況。コカなら「レアモンスター居そう!」などと言って肝試し感覚で喜んで飛び込みそうだ。
今のロクの直感は危険信号を放っていた。下手な動きをしたらその瞬間を“不幸”は見逃さず牙を向く。ロクは明日風邪を引こうと絶対に入らないと心に決めていた。初めから入る予定などなかったが、そう決意をしないといけない気がしていた。
背後から飛んできたプランターを避けた。幸いプラスチックで中身もほぼ入っていなかったため、店の外壁にカツンと当たって再びどこかに飛ばされていった。
忘れかけていたが、今はボロ屋の中身よりも外の豪雨から身を守ることに徹しなければならない。どうあがいても強風が止むまでは家に帰ることはできないのだ。
ロクは小さなため息をついて店を背に振り返り、壁に寄り掛かった。
——ガチャ、と。小さな鉄の擦れる音が。
「──は」
寄りかかった衝撃で壁だと思っていた店の扉が勢い良く口を開く。重力に逆らえないロクの体は暗い店内へ引きずり込まれるように倒れていった。
「アグッ……ッ!」
受け身も取れず後頭部を強かに硬い床に打ち付け、意識が遠のいていく。自身の体を飲み込んだ店の扉が掠れる音を立てながらゆっくり閉まるのが最後にロクの目に入った。
・ ・ ・ ・ ・
「おおう……」
思わずロクは声を洩らした。意識を取り戻してすぐに自分の状況を思い出していた。
目覚めてから最初に目に入った例の磨りガラスのショーウィンドウからは昼の明るさは消え去り、月の微かな光が差していた。どうやら不覚にも気絶してから数時間が経ち、完全に夜が更けてしまったらしい。あまりの不覚さにロクは白目を剥きそうになる。
不本意にも入店してしまった店内を見回すと、照明は無く殆どが闇に包まれ、差し込む月明かりでぼんやりと何かの輪郭が見えるだけだった。
冷たく、やはりボロボロの床からむくりと身を起こした。
「おわっ……」
微かな音と共に背後に光が差し、ロクは一瞬固まってから振り返った。仕込みが入っている袖に一瞬手が伸びるが抑えた。見れば、壁に掛かった数本のロウソクが静かに店内を照らしていた。背中に流れる汗を感じながらロクはそれを凝視する。
先ほどまで照明などついていなかった。店内にある数本のロウソクはたった今、同時に灯ったのだ。
先程から薄ら寒い無数の気配が店の奥から感じる。確実に怪異あたりのもだが、部室に居たち小さなものだけでなく予想もつかぬような大きな脅威までも。
そんなものが息を殺してロクを取り囲んでいる気配。
歴史があり、信仰があり、怨念がある。そんな建造物には人ならざるもの集まる、ということも無くはない経験をロクは過去にしたことがあるが、まさかと頭に嫌な予感がよぎる。
もしそうなら早く店を出たほうがいいとロクは立ち上がった。ロクの不幸はロク自身が侮ってはいけない。これだけの量がいるなら厄介事に巻き込まれない保証はロクに対してはゼロに近いのだ。
以前ロクは瘟鬼に憑かれた経験があるが、そいつを力づくで叩き潰すまでずっと頭痛、腹痛、咳、鼻水、関節痛のクインティプルコンボで丸々一週間まともに動けなかった。
焦るロクだったが立ち上がって改めて店内を見回した時、少し意外な光景に立ち止まった。どうやらこの店は廃墟というわけでは無いらしい。
窓際には本棚、店内中央には腰の高さ程度の台が並び、その上には女子が好きそうな小物や飾り物が所狭しと陳列している。店の奥側にはネックレスやピアス、木製の腕輪がロウソクの暖色の灯りに照らされ控えめに輝いていた。ホコリだらけの壁や床とは異なり、そのどれもが大切にされているようだ。
店の最奥に設置されたカウンターには誰もいない。その更に奥にもう一部屋あるようだが、頼りないロウソクの灯りはそこまで届かずよく見えない。
あの外観をしていてまさかの「飾り屋」を営んでいるというのか。「アクセサリーショップ」と表現するには華やかさが足りなかった。
ロクは凝らしていた目を開いて我に帰った。懐からスマホを取り出し液晶を覗くと、時刻は既に十時を回っていた。ロクが学校を出たのは五時頃。つまり五時間以上気絶していたことになる。
無防備すぎる自分に絶望しながらロクは出口の扉に手をかけた。
「──あら、見ていかないの?」
前触れなく呼びかけられ、不覚にもロクの体は跳ね上がった。
「ぼうやぁ? おーい」
今度こそ袖の仕込みに手をかけたのに気がつかれないように首を後ろへ回すと、先程までは誰もいなかったはずのカウンターに肘をついてこちらを見ている者が居た。
「やっと気づいたわねえ! お姉さん幽霊になっちゃったかと思ったわぁ」
黒髪の長髪の女だった。
カウンターに置かれたロウソクに照らし出された陶器のような白い肌、口元には何か自信に満ちた笑みが浮かんでいる。
整った顔でニコリと効果音がつきそうな笑顔でそんなことを言う女に、ロクは怪訝そうな顔をして警戒態勢に入った。こんな明らかに異質で妖艶な雰囲気を放つ女が怪異地味たホラーハウスにいること自体おかしいと、流石のロクも察しがつき勝手に体に力が入る。
「……誰だアンタ」
「あたし? この店の店長に決まってるじゃない」
当たり前だろうと言うかのような顔で言い返された。
「店て……」
「良い品揃えでしょう? 全部私特製、特注の自慢の品なのよ。良かったら見ていって!」
どこからそんな自信が湧いてくるのか。というかまずは、気合を入れる場所を店の外観の補修に移せ、ロクはそう考えた。何なんだこの謎店長、そうも考えた。
だが、確かに悪くない商品ばかりなのが鼻につく。家族に(ある意味)ファッションモンスターと言われ続けてきたロクが興味を示すのだからなかなかのものだ。だがしかし、ロクはファッションに興味はない。それにこんな怪しいところで買ったものなど曰く付きに違いない。
「帰る」
「ええ、もう帰っちゃうの?」
謎店長はそう言って不機嫌になったかと思うと、ふと無表情になってジッと見つめてきた。
ちなみに、カウンターからロクまでの距離は五メートルを優に超える。ロウソクがあるとはいえこんなにも薄暗いというのに、ブレることなくジッとロクを見つめ続ける。
「ちょっとこっち来て」
「はあ」
何か買えという催促か、なんなのか。疑いながらも無言の圧力に耐えきれず手招きされるままにカウンターまで歩く。仕込みをいつでも彼女の首に突き出せるように構える。
雰囲気に飲まれて忘れかけていた“何か”の気配がより一層と濃くなりロクは顔を顰めた。完全に帰るタイミングを逃した。口の中で舌打ちをする。
「……ねぇ、犬と猫だったらどっちが好き?」
「……はぁ?」
会話に困ったコミュ障の質問かよ、と内心ボコボコに悪態をついたものの、謎店長はそれはそれは真摯な表情でロクの返答を待っている。
「……ねこ、だな。絶対」
「猫なの!?」
状況も謎店長の意図も読めず、腑に落ちないロクは渋々答えた。途端、謎店長は予想外だというように拍子抜けした表情になった。すると、一拍置いて──
「──ふ、ぷッ……! あはははは!!」
「…………」
「そ、そうかそうか! それでププッ……猫なんだ! それで!? なのに猫!? アハハハハッ!!!」
突然、破裂するように笑い始めた謎店長は、カウンターに突っ伏し苦しそうに肩をビクビクさせる。今の時刻は十時過ぎ。クレームが来てもおかしくない声量だ。
確かに同じ質問をコカ辺りに同じ質問はされたことがあり、意外だと言われるのには慣れているものの、大笑いする程なのかとロクは眉を上げて笑い転げる謎店長を冷ややかな目で見下ろした。
ちなみにこのロク、犬は大の苦手である。
というか、「それで」とは何だろうか。なにか文句があるのだろうか。ロクは眉を顰める。切り捨てたい気持ちを抑えて、ロクは仕込みを袖の中に戻した。そこまでしてやる価値はない。
「帰る……うおっ!?」
「──良い、やっぱり気に入ったわ!」
彼女に背を向けて帰ろうとしたのを、ロクは胸ぐらを思い切り掴まれて物凄い力で引き戻された。謎店長の顔がすぐそこまで迫る。まさに目と鼻の先に突如現れた怪しく口端を上げる美女の表情に、ロクは目を剥く。
——そして、その双眸の中に確かに燃ゆる何かを見た。
静かに交わっていた両者の視線だったが。先に店長の方の力が緩み、彼女の手はパッと離された。表情はロクを笑うにやけ顔に戻っている。
「笑っちゃってごめんなさい? 不可抗力ってやつだったのよ、許して?」
「けなされた気分だ」
「それよりよ! それよりキミ気に入ったからさ、笑っちゃったお詫びさせて?」
謝罪の心が一切伝わってこず即帰ろうと足に力が入りかけたが、「詫び」はロクも気になるところだ。昆布でも貰えたら機嫌も一発で直るのにと、扉に向きかけていた体を戻した。
「お詫びか……」
そう来なくっちゃ、と謎店長は笑って続けた。
「──この店のもの何でもひとつ、持ってっていいわ」
「…………ひとつだけ」
「ひとつだけよ」
ジト目に呆れ顔のロクと、自信満々の顔の謎店長。二人の間になんとも言えない空気が流れる。
「ケチく」
「何か言った?」
ロクの開いた口からようやく出てきた言葉を食いちぎる勢いで謎店長は被せた。その笑顔に威圧を感じる。
「一個だけて……そりゃあこんな奴が店長じゃ儲からんわな! 人のこと散々笑っておいてよォ!」
だがロクは屈しなかった。再び袖に手をかけかけたところで謎店長は両手で耳を塞いで首を振った。
「あ〜あ〜! わかったよ! じゃあ、キミが一つ商品を選んだら、私が直々にそれに一番合うオマケをつけたげる!
「そんなんで俺が納得すると——」
「いいから、早く選んだ選んだ!」
仕方がない子供をあやすような調子でロクは背中をポンっと押され。商品ばかりの空間へ戻された。
あれ、とロクは違和感を覚える。先ほどまでロクの心を満たしていた怒りとがめつい心がすっぽりと消えていた。別にオマケがなんであろうと、ひとつしか商品が貰えなくともそんなことにこだわる必要などないではないか。そんな心の言葉がロクの脳内に反響する。
途端、一瞬だけ物凄く不快な吐き気がロクを襲った。本当に吐くほどではなかったが、その直後に自分が今何を考えていたのかを忘れてしまっていた。
違和感を覚えながらも、ロクは店内を改めて見回した。まあ、ここはきっと商品を選ばないとあの謎店長はロクを帰さないだろう。従うしかない状況に陥り、ロクは口の中で舌打ちした。
しかし、ロクは飾りに興味は無い。ライブに行く際につけるイヤーカフなどのお気に入りのセットは持っているがこれ以上増やそうとは思っていない。何をすればいいのかと首を左右に向けて店内を見回す。
一先ず、女物の小物には用は無い。スルーして腕輪やネックレスが重点的に並ぶ棚を眺める。
雰囲気で見るとレトロで派手過ぎないラインナップで、天然石が埋め込まれた木製の腕輪、光る小さな指輪やピアスなんかが並ぶ。視界の端に映るトカゲの剥製や液体が入った「Help」と書かれたラベルの瓶達をロクは見なかったことにした。
なるべく高そうで良い物を持って行ってやろうと思って店内を一通り回ったものの、ロクにはピンとくる物がなかなか無い。何も貰わずに当初の目的である早く帰るのを優先しようか、と考え始めた時。
ゴトンッ
「うおわ……ッ!」
不覚にも本日二度目の驚きの声を出したロクは、飛び退いて音の方へと視線を投げる。見れば一体どこから来たのか、商品らしい一つの腕輪が転がっていた。
ロクは腕輪など驚いたことを悔やみながら棚に戻そうと、その腕輪を拾い上げた。ところが、すぐに腕輪が微かだが小刻みに震えていることに気づいてピタリと動きを止める……が、確認する間もなく震えは止まった。
不意に店の奥からの感覚と同様のものを感じ、また怪しいのが……とロクは警戒したが、改めて腕輪を見てみるとなかなかロクの好みに当てはまるデザインなことに今更なから気づいた。
木製で、木目に沿うようにシルバーの細いラインが引かれ、小さな水晶と他の透き通った石が散りばめられている。一見はその石のせいで女物のようにも見えるが、ベースの暗い木目が全体の派手さを下げていて良いバランスが取れている。丸みがあって少し分厚くゴツイものの、身につけ無いのならそれはそれで飾りとしても使えるかもしれない。
遺憾ながら嫌いではない。先程の気配は気になるが、せっかく良いと思えたこの腕輪を頂戴することにした。
「じゃあこれを……あ゛?」
いない。謎店長が。
ロクが落ちた腕輪に
腕輪にビビって飛び退いた所までは、彼女が肩を震わせて笑って見ていたのをロクは見ている。
まさかオマケは嘘かと、殺気立ったロクがカウンターに近づくと、あるものに気がついた。カウンター隅に置かれたロウソクのすぐ側に。小型のウェストバッグが無造作に置かれていた。
ロウソク下暗しというようなくだらないことを考えて、ロクはそれに近づいた。ロクがそれを最初にそれを見落としたのではなければ、謎店長が去り際に置いていったのだろう。手に取ってみると、中身があるようでほどよいずっしりとした重量を感じた。
これがオマケ……で、良いのだろう。おそらく。
「んじゃ、これ持ってくからなーぁ……」
念のため店の奥へ声をかけるが返事はない。
ロクの背中に小さなおかんが走る。早くここを出なければならない。
変わらず感じる無数の気配に警戒しながら出口まで歩き、扉に手をかけてゆっくりと外へ出た。屋外の暗い空気が全身に触れる。
「また、来てくれるでしょう? ……待ってるわ」
「…………」
ロクが振り向いた時には、もう扉がカチリと小さな音を立てて閉じるところだった。
「……『OPEN』……変な店」
目線を下げると、ドアノブにかかった札はいつの間にかひっくり返っていた。
なんだか取り返しがつかないことをしてしまったような気がして、ロクがなんとなく空を仰ぐと、夜空には米のような色の満月が浮かんでいた。
ふと、ロクは例の腕輪を左手に通して良く見えるように月にかざして見る。はめ込まれた石の数々が月光に反射して輝いた。
久しぶりに不運でもなかったかもしれない。そんなことを思いながらロクはすっかり闇に包まれた商店街を抜け、帰路についた。
それから自身の不幸体質の本質を思い出し、本当に後悔する時はすぐそこだった。
・ ・ ・ ・ ・
性格、性質、才能、感情……面白い。ずっと待っていた。期待して待っていた甲斐があった。少し手遅れではあったが、損は無かった。
それに見たか、あの一瞬の奇跡のような出来事を。
ボクは“アレ”を置いておいただけだ。ふつうに、他の装飾品と全く同じ扱いで置いておいただけだ。そう、試した。そしたら本当に思った通りになった。
彼が装飾品を眺めながら歩いていたルートの床板一枚一枚が少しずつ動いていって、“アレ”が乗る台を微かに揺らしていた。そのせいで台に乗った装飾品も少しずつ少しずつずれていった。そして、彼が通り過ぎたそのタイミング。まるで人の手が加えられているんじゃないかと、演出なのかと錯覚するほど惚れ惚れするタイミングで、“アレ”だけが床に落ちた。他の装飾品も一緒に動いていたのに、“アレ”だけだ!!
そして彼に見つけてもらった。
あの一連の出来事は不幸だ、彼にとっては。しかしボクにとっては幸運だ。収穫と喜びの嵐だった。
ああ、頼むから。もっと強くなって、狼くん。
——何度だって助けてあげよう。
月の隣に、らんらん光る目が浮かんでいる。
謎店長の最後の方のセリフ厨二がかってますね、ありがとうございます。
追記2020.5.6:物語の本筋を変えない程度の加筆修正をしました。