15.忍び寄る
青春の汗を流し活気のある声が飛び交う、学校生活の定番とも言える放課後の部活動時間。
快晴の空の下のただっ広さが取り柄の校庭では生徒達が個々の役割を全うする。時には自分や仲間のミスをめげずに慰めあったり、楽しげな雑談を交わす。
──のを蛍光灯に照らされる部室のパイプ椅子に座って机に肘を付き、ぼけりと眺めるロク。
ロクは勉強はまるでダメだが、これでも運動神経はこの学校の陸上部の方が劣る程の実力を持つが、興味を引く部活がなかった時コカに誘われたというのもオカルト部に入部した理由の一つでもある。
そして、今ロクがこの部室で黄昏ている(?)理由はと言うと、
「なあ……やっぱり遅くないか?」
「心配症か」
昨日のロクの発言でセロトに「なぜ渡す」、「今は無害化しているとはいえ危険だ」などと一時間程説教くさいことを長々と聞かされ、挙げ句の果てにはコンにまで「アホかお前」と罵られたのだった。
そういうわけで、直ぐにコカに鎌鼬の依代を返すように頼んだのだが、
『えっ、この前くれたやつ? あれね! サブバックのストラップにしたんだ!!』
と、笑顔で返され隠れてそれを聞いていたセロトが呆然としたのも束の間、依代を返すことを了解したものの今度はそのバッグを今日は運悪く学校に置いてきたという。
本来ならば、コカにセロトらの事情を話して学校に忍び込み魂を回収すればいい話なのだが、セロトがどうしても女の私物を触るのを遠慮したため翌日に学校で手渡ししてもらうことになった。
しかし、今日学校にきてバッグが何故か見つからないと言うのでロクたちは部室で待ちぼうけを食らうことになったのだった。
「ぐぅ……それにしても、まさか依代を鞄の飾りにするとは……」
セロトが参ったというように頭に手を当てて呻く。
そもそも、ロクがコカに依代を渡したのは、先日部室で魂の扱いをどうするか迷っていた時、
『これどうすっかな……』
『なになにー? うわぁ、何この綺麗なの!?』
『これか。これ鎌鼬の──』
『鎌鼬!? 妖怪! スゴい!!』
『……いるか。 俺はいらないし』
『いいの!? いる! 欲しい!!』
──と、依代の説明をする前に、それはもう物凄くガッついたので本人も『妖怪の』『綺麗』という理由だけで、これが鎌鼬の何なのかわかっていないまま受け取ってストラップにしたのだろう。
極度の妖怪オタクのコカの事だ。もしそれが鎌鼬の魂だと知ったら例え敵だったとしても祀ろうとするかもしれない……とロクはくだらない想像をした。
そろそろロクが部室に戻ってこないコカに疑問を持ち始めた頃、ポケットに入っていたロクのスマホが振動して着信を知らせた。取り出すとその液晶画面には、発信者「アマコ」と表示されている。
「む、誰だ?」
「あぁ、これコカだ。イヤほら、あいつ“アマ”サメ “コ”カだから……」
「なんだその壊滅的なネーミングセンスは!?」
「まぁ、そん時の気分で登録したから。普段はコカ呼びだし……へい、ようアマコ」
『はい、もしも……アマコ!?』
放置気味だった着信に応答すると、急にボケたロクに驚くコカの声が返ってきた。すると、そのコカの音声にの背後には少々雑音が入っている事にロクは気づく。
「……何、お前外にいるのか」
『え? あ、そうそう! 今家出たところだよ!』
「家って……」
・ ・ ・ ・ ・
「あっ、バッグ家に持って帰ったんじゃん」
時間は数十分前に遡る。
コカは例の依代ストラップを着けたバッグの場所を綺麗にど忘れして、朝から思いつく場所を手当たり次第に探していた。放課後になり、部室にロクを待たせてから再びバッグの捜索に戻ろうとした時にふとその事を思い出した。
そもそも、バッグは数日前からコカの自宅にあったのだ。バッグを持ち帰った日、予想外の雨のせいでコカは傘もさせずにびしょ濡れで帰宅し、すぐに風呂に飛び込んだ。なのでバッグは風呂の脱衣場に置き去り。
そして次の日突然風呂が故障して湯が出なくなり、急遽ロクの家の風呂を借りることになった。この時点で既にバッグを脱衣場に放置していた事は頭から抜け去り、自分の部屋にあった記憶が無かったことからロクにはバッグは学校にあると伝えてしまったのだった。結局はバッグはコカの家にあったということ。少々無駄足になってしまった。
「学校に無いと分かったらここにいる意味はないぜ! 家近いし今取りに行っちゃおうっと」
こうして、コカは家が近いからという理由でロクには伝えずに学校を後にした。
「──あっ、鍵忘れた」
数十分と経たずに自宅の玄関に立ったコカは、制服の懐をまさぐり家の鍵を学校の方に置いてきたことに気づいた。
コカは焦りはせずに「しょうがない!」と呟くと、スゥ……と大きく息を吸って、とある“裏技”を発動した。
「付喪神さぁーん! 鍵開けてくださぁーい!」
コカの声に答えるように数秒後、家の中からカサカサと何かが動く音が聞こえて来る。程なくして、カチャンと、小さな音を立てて鍵が家の内側からひとりでに開いた。
「ありがとー!」
これはコカがロクから伝授してもらったのだ。
そもそも付喪神と云うのは長い間使われた物に意思が宿ったものなので、余程雑な扱いをしなければ持ち主にとても懐く。そんな付喪神の習性を利用したのがこの技だ。鍵を忘れた場合は呼びかければ付喪神が内側から鍵を開けてくれるのだ。ちなみに、家を出る時に鍵を閉め忘れると勝手に閉めてくれる。
ある時、鍵を忘れて閉め出されてしまったロクが編み出したという。それからは何かとこれにお世話になっている。
無事にサブバッグごとストラップを回収したコカは、玄関で靴を履いて家を出ながらスマホを操作した。液晶に表示された時刻はいつの間にかロクを待たせてから三十分はまわろうとしている。取り敢えず心配させないようにと、ロクへ電話をかけた。
『──るし……へい、ようアマコ』
「はい、もしも……アマコ!?」
少し間を置いてロクが電話に応答すると、ロクに影で変なあだ名を付けられていることに内心で複雑になりながら直ぐにそちらに戻ると伝えた。そして、そのまま電話を切ろうとした時だった。
「ほんとごめんね~。直ぐそっち戻……る……?」
『……どうした』
「……ロクくん、今ロクの家の前にいるんだけどさ。ちょっと確かめたいんだけど……」
コカの家はロクの隣。家から出た際にふと、顔をあげてその家の姿が視界に入った途端、同時に異様な光景が現れた。しっかりとそれを認識する前にぞわぞわとした何かが周辺に迸っているのがわかった。
張り付くようにしてその体を乗り出して、家の屋根の上からロクの部屋に繋がる窓に腕を、否、前足を伸ばしていた。黄褐色の毛並みは光を反射していながらもくすんだ灰色に近かった。そして最大の特徴は胴体より大きいのではないかと思えるほど大きな尾。そして、その細長い目は恐ろしい静けさを保ちながらにコカを見つめている。
「───ロクくんの家って野干は居なかったよね?」
『なん──』
「見つけた」
ロクの返事を最後まで聞くことなく遮られた。
目の前に急にだった自分より大柄で黒い外套を着た男に驚いてしまった。そのせいで自分に襲いかかった打撃から逃げることが出来なかった。
「かッ……はぁっ!! 」
突然、男の手がコカの首元を躊躇い無く強打し、気管が潰れコカは思い切りむせながら地面へ叩きつけられた。その弾みで手に持っていたバックと携帯電話が手から離れる。強打した痛みと呼吸が儘ならない辛さがどっとコカに押し寄せる。
「ゲホッ! ……ぅっゲホッ」
「……本物か。ようやく見つけた。現世に居るだけで骨が折れると言うのに……全く」
男の呟きにやっとの事でコカは涙目になった目を開けると、すぐ近くで立て膝になってしゃがみこむ男の姿が見えた。男の視線の先を辿ると先程コカが倒れた時に投げ出されたあのサブバッグに着けられたストラップ──依代があった。
男は素早く魂をバッグからもぎ取ると外套の懐へしまい込んだ。
「さて、お前が同僚の魂を持っていたという事は……そういう事で宜しいな?」
「……ぁ、え……?」
男は鋭い目つきでコカを見下ろしている。未だに呼吸が整わない所に質問を投げかけられ、コカは内心で焦り始めた。何が起こっているかわからない。だがこのままでは危険な事だけは身体がわかっていた。タラりと首筋に冷や汗が流れる。
「共に来てもらおうか」
男はそれだけ言うと倒れているコカの首根っこを掴み、肩に担ぎあげた。
「わ……!? いやいやいや! 何やってんの放して!?」
「五月蝿いな。大人しくしろ」
抵抗しようと手足を振り回して束縛を振りほどこうとするが、一瞬早く男の手のひらがコカの視界を覆った。その途端に全身になんとも言えない無力感が広がり振り挙げられていた腕はダランと落ちて垂れた。徐々に視界の隅からジワジワと暗くなっていく。
「う……た、すけてロクくん……」
その助けを求める声を最後に意識をブラックアウトさせてグッタリしたコカを男は担ぎ直すと、少しの間顎に手を当て俯いて考え込んだ。
「……術が直ぐ効かず、言葉を発する余裕があるとは……後で話を聞けばすぐにわかるか。……“影転移”」
直ぐ考えを打ち切って顔を上げ、詠唱した次の瞬間には男の姿は民家と民家の隙間の暗闇に溶けるようにして消えた。その場に静けさが戻り、後に残されたのは投げ出されたバッグと、通話中のまま地面に転がった携帯電話だった。
──数秒後。ズダダダダッと砂埃を巻き上げながら全力疾走でここに少年が向かってきた。スマホを耳に当てた状態で、バッグが落ちている場所を少し通り過ぎそうになり、ギャリギャリと音を立てて急ブレーキをかけてやっと停止する。
地面に落ちた携帯を見つけるとそれを拾い上げると物凄い剣幕で周りを見回すが、あるのは民家が並ぶ風景と取り残されたバッグだけ。何も無いとわかると舌打ちをしながら通話を切った。
「チッ…… アイツ持ってかれた後か……!」
「お、い大神ッ……ハァッ、ハァ、何で人間のお前の方が足速いんだよ……」
ロクに遅れてセロトが追いてきた。膝に手を付いて息切れしながら自分が人間の足に負けたという複雑な心境について考え込みそうになるが、今はそんな場合ではない。
ロクは学校の部室でコカの異変に気づいてから、同じように気づいたセロトがコカに呼びかけようとするのを抑え、息を潜めて微かに聞こえる話し声から電話の向こうの様子を探っていた。そしてコカの声では無い男の声が依代のことを同僚と言った事から、コカの危険を察知してセロトの制止の声も聞かず部室を飛び出したのだった。
「野干て……何だっけか」
「『やかん』か。……沸かす方か? 化かす方か?」
「化かす方……多分」
野干はコカが襲われる直前にロクへ聞いてきた言葉だ。
電話越しに聞いたのでロクは一瞬湯を沸かす方を思い浮かべたが、今冷静に考えてみると聞き覚えが単語だ。恐らく妖怪の類だろうと予想がついた。
「『野干』……簡単に言うと狐の妖怪だな。」
「じゃあコカを攫ってったのはその狐か」
「恐らくな。少なくとも依代の事を知っていたのだから妖怪なのはほぼ間違いないだろう。……それにしても何故依代だけでなくあの子もろともをさらって言ったのかが問題だ」
セロトが真剣な顔で考え込むが、ロクはその答えを察することができた。
「……あの依代の鎌鼬は俺とコンが倒したんだ。あと電話から聞こえた声はその“敵”の鎌鼬の依代を同僚だって……」
ロクが淡々と言葉を続けていくうちにセロトはハッとしてロクが言いたいことに気づく。
「じ、じゃあ、あの野干は同僚の鎌鼬の救出をすると同時に、依代を持っていたコカが鎌鼬を倒したのだと勘違いして攫って行ったということが!?」
まさか、という顔でセロトはロクの言葉を続けた。
普通は自分が倒した敵の魂をほいほい他人に贈ったりはしないもの。多少コカが依代を持っている事に違和感があったとしても、まず妖怪が視える時点でそう勘違いされてもおかしくないのだ。
「むぅ……それなら攫って行った理由は分からなくとも辻褄が合うか……?」
「辻褄が合う云々よりも、早くコカ連れ戻そう。……どうやって見つけるかだな」
「それならオレに任せてくれ。鈍足の泥を塗られた名誉を挽回する!」
「根に持ってたのか……」
俄然やる気が出たセロトは胸をはってそう宣言した。
「……それにしても、コカ……アイツよく一発で野干って見抜いたな……」
再び発揮させられた妖怪オタクの高スキルを、改めてさりげなく見せつけられたロクだった。