11.切り裂き女
刃渡りは二十センチ未満ほどの普通の使い古された家庭科室の包丁である。
「これがあの泥野郎のマザーAIだったのか」
「……いや、怪異だしそんなハイテクノロジー的なものじゃないでしょ。まあ本体だったってことなのかな」
ロクたちは手に持った包丁をひっくり返したり透かしてみようとしてみるが、やはりなんの変哲もなさそうだった。
コカの情報通りならば、この包丁は殺人に使用されて人の生き血を浴びているらしいが、そんな様子は感じられずにミツキは首を傾げる。
「あんな禍々しい怪異を生み出すような包丁には見えないなぁ……? 普通の包丁だし。血もついてるように見えないし……」
「本当にただの包丁だな。刀身にドス黒い瘴気と怨霊がまとわりついてて、古い人間の血の臭いがするだけだ」
「思いっきり怨霊注意警報発令レベルじゃないか!!!」
ミツキは「ひぃいい!」と叫びながら、すぐさま包丁を持ったロクから跳躍して距離を置いた。
「なんですぐ言わないんだよ! キミのボケは凶器になりかねないっていい加減自覚しなよ!!」
「なんだ見えてなかったのか。見えててあえてスルーしてるのかと思ってたぞ」
「どうやったらその禍々しいラインナップをスルーできるんだよ!」
「俺にとってはこれが日常だからな」
アンラッキーライフを約十年間攻略し続けたロクのメンタルは、もはや鋼に等しかった。
『うう……グスン………』
「ん? ……なんか変な声聞こえない?」
じめじめとしたすすり泣く声が何処からか聞こえてくるのに気づき、ミツキはキョロキョロと辺りを見回した。しかし、声の主らしい姿は見当たらない。
「ミツキ」
「え?」
「ほい」
ロクは首を傾げるミツキの肩を叩いて振り向かせると、手に持っていた包丁をミツキの耳に近づけた。
『グスッ……ウゥ……』
途端に包丁から発せられた地を這う声に聴覚を支配され、ミツキの背筋に悪寒が走った。
「ヒイイッ!? ひ、人様にすすり泣く包丁向けちゃダメでしょうがーッ!!」
「恐怖で訳分からんことになってるな」
人気のない校舎に響く男の悲鳴……立派な七不思議に仲間入りできそうなほど、今日のミツキの絶叫回数は某夢の国のジェットコースター乗客並だ。
「やっぱり、これがファザーAI……」
「そこの言い方変えても別にハイテクじゃなくならないからね!?」
『うう……こんな子供に捕まるなんて一生の不覚…….』
「しゃべった」
「急にしゃべったね……しかも凄い悔しがってるし。本当に何なのさ」
急に言葉を発した包丁のおかげでミツキは思わず正気を取り戻した。
歯を食いしばって悔しがる様子が安易に想像出来る声色となった包丁は、心做しかプルプルとロクの手の中で震えている。
『なんだよちりとりで弾き飛ばすって……予想できるかよ……どうせ自分は出刃包丁から家庭包丁に進化したただのザコだよ……』
「しかも酷く卑屈だ」
「それは包丁的にザコに分類されるの? ていうか、何? 進化って」
センチメンタリズムを醸し出す包丁の落ち込んだオーラが目に見えるようだ。
すると包丁から垂れ流しになっていた愚痴がピタリと止まった。
『……あれ? アンタら自分の声聞こえる感じっすか?』
「聞こえるけど……」
『チッ……このクソイケメンがァ……』
「褒められたのに貶された!?」
と思いきや、次はイケメンへの罵詈雑言の呟きと共に周囲を漂う瘴気の濃度がグンと上がった。
そして、高濃度の瘴気に当てられたロクの腕が毛皮に覆い尽くされ、鋭い爪が伸び始めた。
「噂ではイケメン好きって言ってたが逆みたいだな」
「な、なんで? こんなに女の子はすっごい喜んでくれるほどカッコイイのに……イケメンって好印象の象徴でしょ?」
「『それはない』」
「声揃えてまで言う!?」
こんな時でもナルシストエンジン全開のミツキは、「女の子」の枠に入らない者に対しての配慮をする思考は一切存在しない。
そして、ロクの体は半分ほどまで毛皮に覆われ、牙が伸びて獣化が進んでいく。
「なんでイケメン毛嫌いしてんだ」
『チッ……そっちのイケメンに説明するのも癪っすけど……それは、自分が人間だった頃……』
「包丁なのに人間だった頃があるの!?」
『話進まないんでそこを突っ込まないでくださいっす』
ミツキはメガネツッコミの性をなんとか留めて、切り裂き女の話に耳を傾けた。
ロクは狼耳化して毛皮に覆われた耳を傾けた。
『自分人間だった頃、自分の妹が付き合ってた二枚目なイケメン彼氏に裏切られて殺されちゃったんすよー。それを知って自分大激怒して家にあった刃物でその彼氏惨殺しちゃったっす。それからは死後も刃物に取り憑いてイケメンを見つけては辻斬りしてきた感じっすね。とりあえずイケメン死ね』
「軽い口調とは裏腹に悲惨な過去だね!?」
「そのイケメンひでえな」
「イケメンもだけど大激怒して惨殺した方もした方だよ! でも女の子を傷つけた罪は許されないから一応よくやった!」
「イケメン is Die」
切り裂き女と言うよりも辻斬りブラコンの包丁に向かってミツキとロクはガッツポーズした。
「と、とは言え……包丁に取り憑いてずーっとイケメン狩りをしてたなんて……」
『いや、最初は刀でイケメン斬ってましたし、取り憑いてたんすけど刀狩令で回収されそうになって仕方なく違う刃物に取り憑いたっす』
「まさかの安土桃山から続くイケメンへの殺意!?」
「その時代からイケメンの概念も変わったろうに」
『各時代に流行っていて人目につきやすい刃物に乗り移っていって今のこの体になるっす。ちなみに泥は自分のイケメンに対する殺意が具現化したものっす』
恨みも五百年近く積もれば泥にまみれた怨霊になるらしい。
「……ってあれ? なんでボクらこんなにイケメンイケメン連呼してるんだろう……ハッ!? こんな話してる場合じゃない!」
ミツキはそこで今の自分たちの状況を思い出した。
今この二人は部長に命じられて学校探索中であり、その当の部長が行方不明中なのだ。
「そうだぞ、こんな話よりも聞かなきゃならねえ事がある。おい包丁、お前切り裂き女って呼ばれてっけど性別どっちだ」
『男っす』
「クソッ……ミツキの言う通りだったか……」
「わあい! ボクの勘ったら百発百ちゅ……ッ違うよ! コカちゃんを探さなきゃだよ!! しかも、ロクくんいつの間にかすっかり毛がフサフサのワンちゃんになっちゃってもう!」
「犬じゃないだろ。狼だ」
「どっちでもいいよ! さらにクリーチャー化してるからもういい加減に包丁くんは瘴気引っ込めて!! ロクくんも何でそんなに冷静なんだよ!」
瘴気のせいで骨格も狼と化し、更に第三形態を迎えようとするロクが咥える包丁を、ミツキは慌てて取り上げようとした。
『瘴気は呪いの装備なんでちょっと……』
「じゃあロクくんが早く離して! ……ちょ、なんで離さないの! この包丁はよくある犬の引っ張りっこする玩具じゃないから! 危ないから!」
行動すらもイヌ科のそれとなったロクは本能のままになかなか包丁を咥える顎を緩めず、ミツキが本気で引っ張ろうとしてもビクともしない。
完全に主従関係が逆転してしまった犬と飼い主の図が出来上がっている。
「犬じゃない狼だ!」
「どうでもいい反論のために離したぁッ!」
「あ、バカ」
カパッとロクの空いた口からスポンと解放された包丁は、勢い余ってミツキの手からも抜けてしまった。
弧を描いて飛んでいく包丁は、数メートル先で床に投げ出された。
『もらった!』
「え? あっ、しまった!」
床と接触した途端に包丁の鈍い輝きが一瞬増したかと思うと、周囲に散っていた泥が一斉に動き出した。一直線に包丁へと集まっていく。
『というわけで、自分の成仏のため大人しくそっちのイケメンには死んでもらうっす』
「五百年成仏しなかったお前が何言ってんの!?」
包丁をすっかり飲み込んだ泥は、元の切り裂き女の姿を完全に再生しきった。
「お前何やってんだよ」
「ごめん、ボクの握力が無いばかりに!」
瘴気を払って人型まで戻ったロクはミツキに蹴りを入れながら箒を手にして臨戦態勢をとって切り裂き女に斬りかかろうとしたが、その前に頭の中に声が響く。
『おいクソガキ。こいつの相手だけしてる場合じゃねえぞ』
「コンか。俺完全にお前のこと忘れてたぞ」
『それより、アイツだ。追いついたみたいだがやっぱりキレてるぞ?』
「アイツって……」
ロクの頭がコンの話に追いつく前に、遠くから聞こえた爆発音が鼓膜を揺らした。一瞬空気が張り詰めたかと思うと、閉じ切っていた家庭科室の扉が轟音を放ちながらくの字に折れ曲がってロクの方へ飛んできた。
「ろッ、ロクくん危ない!」
「知っとるわ」
ロクは余裕の表情でプロ野球選手の投球よりも早く飛んできた扉を半身で避けた。
ちなみに、目標を失った扉は、飛んでいく進路上にいた切り裂き女に直撃し、その体の泥にねっとりと飲み込まれて行った。
それを見たミツキが「自分もさっきまでこんな大変なことになっていたのか」とサッと青ざめた。
「このフルパワーでものが飛んでくる感じは……」
ほんのり漂う薬品のツンとする臭いにロクは顔を顰めた。嗅ぎ覚えのあるこの臭いはついさっき、理科室でも嗅いだもの。
それは──
「ポルガスか!」
「なにそれ!?」
ポルターガイストである。
姿は勿論見えないがやはり大変ご立腹の様子で、次々に浮かび上がりだした家庭科室の備品はゴキゴキとプレスをかけられたように変形させられている。
ブチ切れて見えないポルターガイスト、イケメン絶対殺すマンの切り裂き女、傍に役立たないツッコミ……と濃いメンツによってすっかり四面楚歌になったロクは、思考をめぐらせる。
いくら身体能力の高くても実体のほぼ無いポルターガイストと、切り裂き女の二体では相手にならないと察したロクは逃げるが勝ちだと即決して、ミツキを担ぎ上げた。
「うわ!? どうしたどうした!」
「大人しくせい」
切り裂き女の手を素早くくぐり抜け、ロクは窓に張り付いて外へ逃げ出そうと鍵に手をかけた。
しかし、何故かロクの怪力を持ってしても鍵が回らず解錠できない。ふと、ガラス越しの外の風景に違和感を感じて、ロクは一瞬動きを止める。
「これは……」
「ロクくん! うしろうしろぉ!!」
肩にかついだミツキが、バシバシと背中を叩いて暴れる。
ハッとしてロクが窓から飛び退くと、僅差でロクがいた窓ガラスに切り裂き女の泥爆弾がへばりついた。
『イケメン逃がさん! この恨みはらさでおくべきでないわァ!』
「キミすごい流暢に喋るようになったね!? 最初のうめき声なんだったんだよ!」
『イケメンを恐怖のどん底に落とすための演出っす!』
「すっごい夢壊れた!」
泥の次には、次々とポルターガイストによって飛来する食器や包丁などの家庭科室用品をよけるロクの動きにガクガク揺られながらミツキはツッコミを挟む。
すると、扉を失って開け放たれた扉から教室内を満たす勢いで白い煙幕が立ち込め始めた。先程ロクたちを無限回廊へ転移させたポルターガイストの技(?)だが、それを見たことのなかったミツキは狼狽える。
「あれは!?」
「仕方ねぇか……捕まれッ」
「えっちょ。どこ行くつもッ……!?」
飛んでくる食器の途切れ目を狙い、その場にたったひとつしかない逃げ道へ突っ込んだ。
煙が吹き出してくる前扉から、廊下であるはずの場所へ飛び出すと、瞬時に視界が白に染まった。
怪異の相手をする覚悟で、あえてこの不思議空間に転移させられる白煙に自ら飛び込み、切り裂き女を振り切ってポルターガイストとの一対一を狙う。
予想通り、廊下を数歩と進まぬ内に踏み込んだロクの足が宙をかいた。
「ひっ!?」
全身を襲った浮遊感にミツキは喉を引き攣らせて呻いた。
どこぞのモノマネ選手権のごとく廊下の床が抜けて綺麗に消え去り、気づけばふたりは暗い穴のそこへ落ちていった。
「うわぁああああああ!!!!」
「もっと腹から声出せ」
「出てるわァああああ!!!!」
芸人としては百点の叫び声をあげるイケメン(笑)のミツキと落ち方に余裕があるロクは数秒間の間、白煙と暗闇が入り混じる空間を落ち続けた。
落下の行方が気になり始めた頃、突然ビタンと音を立ててロクは仰向けに地面に叩きつけられた。
「ぐっ……」
鼻を若干打ち付けたが、さすが不思議空間。覚悟していたほどの衝撃は無く、ロクは膝をついて起き上がろうとした所で、
「……──ぁぁあああアアア!! イッタァッ!」
「グハッ」
さらに、その上からミツキがロクを下敷きにして落下した。
今度こそ顔面を打ち付けたロクは、上に乗ったミツキを振り下ろして立ち上がり、その脇腹に蹴りを連射した。
「い、イタッ! ちょ、痛い痛い痛い痛い!!! イケメンが崩れる!!」
「顔から下ちぎってその白髪を意味もなく白染めしてやろうか」
「一見わからない!!」
一方的な暴力がミツキを襲う中、ロクの背後から聞き覚えのあるハイテンションな声が聞こえてきた。
「……あれ!? ロクくんとミツキくん!?」
「ルビの悪意!! って、コカちゃん!?」
「コカだ」
振り向けば、そこには声の主のコカ……と、そのコカに手を握られた足のない透けた幼女がいた。